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「さようなら全てのエヴァンゲリオン」の意味【えるぶのつぶやき】

アヤナミレイ(仮):サヨナラって、なに?
 
ヒカリ:また会えるためのおまじない。
 
シン・エヴァンゲリオンでのトウジの妻のセリフは実に的を射た答えである。
 
フランス語で「さようなら」を意味するau revoir(オ ルヴォワール)は、
直訳すれば「再会(revoir)まで(au)」である。
 
ドイツ語のauf Wiedersehen(アウフ ヴィーダーゼーエン)も同様にauf(~まで)とWiedersehen(再会)から成る。
 
中国語の再见(zai jian)も読んで字の如くである。
 
このように多くの言語で「さようなら」は再び会えることへの願いが込められている。
 
ところでロシア語には「さようなら」が二つある。
до свидания(ダスヴィダーニヤ) はフランス語やドイツ語同様、「また会うときまで」である。
一方、прощай(プラシャーイ)は今上の別れを意味する。
 
チェーホフの戯曲『三人姉妹』にはこのようなやり取りがある。

イリーナ:ダスヴィダーニヤ!
フェドーチク:「ダスヴィダーニヤ」じゃなくて「プラシャーイ」ですよ。私たちはもう二度と会うことはないのですから!
クルィギン:誰が知るもんか!
アントン・チェーホフ、『三人姉妹』、拙訳。

では、シン・エヴァンゲリオンの副題「さようなら全てのエヴァンゲリオン」はロシア語ではどのように訳されるのだろうか。
 
答えはПрощай, Евангелион(プラシャーイ エヴァンゲリオン)であり、エヴァンゲリオンとの永遠の決別が連想される。
 
「さようなら全てのエヴァンゲリオン」のこのロシア語訳は、しかし、適切だろうか?
 
もしこの「さようなら」にも再び会えることへの願いが込められているとしたら?
 
庵野秀明監督は、そして私たちは、またエヴァンゲリオンに会えるのだろうか?
 
その答えは、
 
チェーホフが書いたように

「誰が知るもんか!」
 
である。

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