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【幼少期に育った環境は今の人生に然程関係ない】

※あくまで未熟な個人の自論です。異論、意見、矛盾等ありましたら、ご指摘して下さりますと幸いです。

要旨(自分の話)

祖父が土地を借りて家庭菜園をしていたこともあり
僕は小さい頃から緑や自然に恵まれて育ってきた。
だから僕は、緑や自然が好きで、こういった自然に関する発信をしている。

いや、違うんです。
この冒頭の文に、違和感を感じる方いますか?

今回は
「幼少期に育った環境は、今の人生にさほど関係ない」
という自論について綴ります。

序論

「幼少期の育った環境が、将来に大きく影響を与える」

といった類の話を聞いたことがあるかもしれないが、
僕はそれに違和感を感じる。

本論(反例)

確かに家庭環境の悪さと未成年の犯罪率には相関があるし
天才と呼ばれる子には、最も脳の吸収率が高い幼少期に英才的な教育を受けている事例が多い。

では、
世間一般的に恵まれていない環境で育った子は幸せにはなれないのか。

冒頭に上げた例の逆をいうと、
幼少期に自然に恵まれなかった子は緑や自然に関心の無いまま生涯生きるのか。

違うだろう。

本論2(具体例)

なぜ僕が自然が好きか。ハーブが好きか。

なぜ僕が、現在この様な活動をしているのか

それはただ自分が「自ら選択したから」に他ならない。

自分の人生を決めているのは自分自身である。

結論

いままで僕と関わってくださった人との出会いがあったからこそ、今の自分がいることは間違いない。

しかしどうしたって僕は成る様に成っていただろう。

なぜなら、外部からどんな刺激を受けたとしても、どう捉えるかは自分で選択できるからだ。

幼少期にいじめられていた経験があったとして

大人に成ってから復讐・仕返しをすることを考えるのか

それとも自分と同じ様にいじめに苦しむ人が現れないような社会づくりに励むのか

それは自分で選択できるのだ。

親に何を言われようが、どんな環境で育とうが、それをどう捉えるかは自分次第である。

メッセージ

どうか皆さん、
「親の教育のせいで自分はこんな人間になってしまった。」
なんて微塵たりとも思わないで欲しい。

親は「自分がどう人生を生きるか」その可能性を与えてくれただけだ。

あなたの親は自分に可能性をも与えてくれなかった?
じゃあ自分の可能性を自ら生み出せばいいだけだ。

そのために、まず、
「自分がどう在りたいか」を本気で考え
人生を「自分で選択する」ことを大切にしてほしい。

「自分がどう在りたいか」を考える際に
「親が〜だったから自分はこういう人間だ。」
「幼少期に自分は〜だったから私はこういう人間なんだ。」
といった「他人」と「過去」のしがらみは一切排除して考えてほしい。

そこには「諦め」と「他責」の感情が入っているからだ。
それは一気に自分の可能性を狭める。自分の人生を生きていないのと同然。

「自分がどう在りたいか」を考えると、
自身に無限の可能性があることに気づくだろう。

「自分がどう在りたいか」を
誰にも縛られずに、それを自ら選択できたとき、
自分に大きなパワーが宿ったような感覚を覚えると思う。

そこから、自分は何をすべきか、自分はどんな行動をすれば良いのかが見えてくるだろう。

あなたの人生が、彩りのある素敵な人生になりますように。

(PS.但し、子が育つ環境は何でもいいと軽視しているつもりは無い。自分に子供ができた時には、子供の子の可能性を最大限に引き出してあげられる様に、様々な経験をさせてあげたいし、自分が育った環境よりも、いい環境で育ててあげたい。それは、今まで僕が生きてこれたこの世に対する感謝の「恩送り」でもあり、自分の親への恩返しでもある)


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