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【ハーブ&スパイスビール】問題作(?)から垣間見る食や酒のフェノール類

こんにちは。阿部淳哉です。香りにかかわる創作活動をしたいと思っています。
本職はビール醸造家で、ホップにとらわれない多種多様なハーブ&スパイスを使ったビール造りをしています。

前回の投稿では、五香粉をビール向けに自家ブレンドして使用したアンバーエールを紹介しました。今回は僕が造ったビールの中で最も賛否両論あった問題作の紹介です(笑)。

精一杯の釈明というわけではありませんが、醸造の背景として、食や酒に含まれる「フェノール類」という化合物についてのレビューを書きました。少し長いですが、ハーブとビール、どちらのファンにも参考にしていただけるように書いたつもりです。

概要

〇ビール名
『Phenol Soup(フェノールスープ)』

〇特徴的なハーブや他の原材料
・タイム
・オレガノ
・クローブ
・燻製麦芽
・ヴァイツェン酵母

〇インスパイアされたビアスタイルや他の要素
・スモークビール
・ヴァイツェン
・アイラウイスキー
・燻製食材

〇アルコール度数
6%

〇リリース年月日
・2020年8月10日
CRAFT BEER BASEにて製造・販売

『フェノールスープ』及びフェノール類とは?

本作『フェノールスープ』はフェノール類と呼ばれる化合物を含む、あるいは生成する種々の原料を使用したビールです。アイラウイスキーにインスパイアされました。

僕の所属するCRAFT BEER BASEの社内テイスティング第一声は「正露丸」
アイラウイスキーの中でも特にスモーキーなものを飲んだ経験がある方なら、このコメントに対して僕がガッツポーズしたことがわかるでしょう(笑)。

他の社員からは「これどうやって売ったらいいんだ?」という声もありましたし、お客さんの中には苦笑いしながら飲む方もいらっしゃいました。
しかしながらアイラウイスキーと同じで、ハマる方はとことんハマるビールだったようで、再醸造を求める稀有な声もいただいています。

ではここでテーマとなっている「フェノール類」とは何なのか?
僕は化学の専門家ではないので厳密な定義を述べることはできませんが、ざっくり説明すると以下の内容です。

フェノール類は主に次図のような化合物を基本骨格に持つ化合物です。

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最も基本的なフェノールの構造式

フェノール類の多くが殺菌作用を有し、生活上用途では消毒剤に用いられます。抗ウイルス作用を有するものもあり、某インフルエンザ薬の原料であるシキミ酸は、種々のフェノール類を合成するうえで中心的な役割を果たします。
こんなイメージもあってか、フェノール類の香り(フェノーリックと言ったりします)というと、まずは薬品臭を思い浮かべます。

しかし実際のところ、フェノール類は薬品だけではなく、食や酒を嗜む方にとって非常に身近な存在でもあるのです。また、このフェノール類の生成には植物一般が大活躍します。

本作『フェノールスープ』で使用した原料を中心に見ていきましょう。

料理のハーブに含まれるフェノール

タイムとオレガノは料理にとても扱いやすいハーブです。オレガノはトマトソースには欠かせないハーブで、誰もがパスタやピザで食したことがあるでしょう。タイムは肉や魚の臭み消しに使われます。個人的にはクリームソースとの相性も良いと思います。
タイムとオレガノそれぞれが含有する代表的香気成分はフェノール類の「チモール」と「カルバクロール」です。これらが料理を美味しくする要因の一つです。チモール(Thymol)はタイム(Thyme)と語源が同じです。

クローブに含まれる「オイゲノール」は最も有名なフェノール類の一つです。クローブの他にシナモンやスターアニスにも含まれます。これらはカレーやお菓子に頻繁に使用されるスパイスであり、いずれも温かな甘い香りが特徴的です。この香りにオイゲノールが一役買っています。

当然のことながら、ハーブを含む植物たちは、フェノール類などの香気成分を「人間を喜ばせるため」に作りだしているわけではありません。動くことのできない植物たちが生き延び繁栄するべく、外敵を遠ざけたり逆に送粉者を引き寄せたりするためです。

燻製とフェノール

酒の肴として人気の高い燻製食材にもフェノール類が含まれます。これを付与するのはズバリ「煙」であり、「スモーキー」という香り表現をフェノーリックに含めることもあります。燻製がもともと防腐目的であったことと、フェノール類が殺菌作用を有することはもちろん偶然ではありません。
煙に含まれるフェノール類の生成にも植物が関係しています。植物の細胞壁はセルロース、ヘミセルロース、リグニンという巨大な3つの分子から構成されています。このうちのリグニンはフェノール類がたくさん繋がってできた巨大な化合物です。

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植物の細胞組織を構成する3つの高分子化合物
キリヤ化学HPより ( http://www.kiriya-chem.co.jp/q&a/q66.html )

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リグニンの構造式の例
Wikipediaより
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%82%B0%E3%83%8B%E3%83%B3

燻製の着火剤にはサクラやヒッコリーなどの木材が用いられます。木材に火をつけて熱することで細胞壁中リグニンが熱分解され、フェノール類を含んだ煙が立ち上がります。煙が食材をコーティングすることで、防腐効果とともに燻製食材特有の美味しそうな香りが付与されます。

醸造微生物が生成するフェノール

ビールにおいては、ある特定のビール酵母や、通常のビール造りには用いられない野生酵母・細菌が発酵に関与した際にフェノール類が発生します。基本的にはオフフレーバー(あってはならない風味)と捉えられることが多い一方で、意図的にそのような酵母を利用してスパイシー/スモーキーな香りを付与することもあります。
ドイツの伝統的な小麦ビール「ヴァイツェン」では、フェノール類を生成する酵母が用いられ、クローブのような香りが特徴となります。また、ベルギーの自然発酵ビール「ランビック」では、醸造所に浮遊する野生酵母(ブレタノマイセス属の酵母)が利用され、「馬の毛布」と形容される独特の香りが醸されます。この香りにフェノール類が関係しています。


ワイン醸造ではブレタノマイセスは多くの場合忌み嫌われますが、ごくまれに肯定的に捉えられるシチュエーションもあるようです。日本酒の醸造では麹菌が使用され、麹菌がフェノール類を生成しますが、これについても否定的な場合と肯定的な場合があります。

醸造微生物が生成するフェノール類も、麦芽やブドウ、米の細胞壁を構成するリグニンが大もとになっています。リグニンが部分的に加水分解を受けたのちに、さらにそれを醸造微生物が分解することでフェノール類が生成すると考えられています。

ウイスキーのフェノール

なんといってもフェノーリックな香りを愛してやまない酒飲みは、ある種のウイスキーのファンでしょう。アイラウイスキーに代表される、ピート(泥炭)で強くいぶされた麦芽で造られたウイスキーには、強い燻製や薬品の香りが最高の醍醐味としてあります。これがまさにフェノーリックと呼ばれる香りです。ピートでの麦芽のいぶし度合いのことを「フェノール値が何ppm」といったりします。

ピートは冷涼気候の沼地で植物が十分に分解されずに堆積して固まったものです。サクラやヒッコリーと同じく燻製の着火剤として用いられ、フェノール類を食材や麦芽にまとわせます。

また、ウイスキーを貯酒熟成するオーク樽からもフェノール類が引き出されます。これにはいくつか経路が考えられますが、オーク木材細胞壁中のリグニンが関わる経路は二つ。

一つは燻製と同じくリグニンが熱分解される経路です。
オーク樽の製造では、ある程度樽を組み立てたところで内部を熱し、滑らかな味わいをもたらす樽に仕上げます。この工程は「トースティング」とか「チャーリング」と呼ばれます。トースティングやチャーリングでリグニンが熱分解されて、樽の内部表面付近にフェノール類が生成します。

もう一つは醸造酒の項でみたようにリグニンが微生物によって分解される経路です。
伝統的なオーク樽製造では、樽に組み立てる前のオーク木材を屋外放置して灰抜き・乾燥を施します。この工程は「シーズニング」と呼ばれ、年単位で行われます。シーズニングを経た木材中リグニンは、雨風による加水分解や太陽光分解、そして繁殖したカビに分解されてフェノール類を生成します。
ここで生成したフェノール類はトースティングによってさらに別のフェノール類にも変化します。
またトースティングやシーズニングでできたフェノール類はウイスキー中で、何十年もの熟成を経て、他の好ましい香気成分へと変化していきます。

最後にまた『フェノールスープ』の紹介

一口にフェノール類といっても、その生成経路は様々であることがお判りいただけたかと思います。一方、様々ではありながら、根底にはいずれも植物の生きる知恵や強い身体構造が関与していることが面白いところです。

さて、今回はビール自体の紹介よりも、その背景のレビューの方が圧倒的に長くなってしまいましたが、ようやく話を戻します。

今作『フェノールスープ』は着想としては「ウイスキーの風味を表現する」というところにありました。しかし、こうして自分で背景を書いてみると、たった一杯で人間や植物、微生物の活動について多くの話を語れるおもしろい酒であることに気がつきました。
また、ホップ以外のハーブや、燻製麦芽、フェノール生成酵母は、現代では一部のビアスタイルを除くと一般的に使用されない原材料です。『フェノールスープ』には「ひょっとして古代のビールはこんな風味だったのかなあ」と思わせるようなロマンもあります。

ほぼ余談ですが『フェノールススープ』には食塩も使用しました。これも某スコッチウイスキーの潮っぽい風味を表現しようとしてのことですが、燻製麦芽と種々のハーブ、塩を投入された麦汁は完全にベーコンスープの風味がしました(笑)。これは問題作といわれてもしょうがない。

では、最後に宣伝させてください。現在、『フェノールスープ』は販売しておりませんが、もしリメイクされたら僕の所属するCRAFT BEER BASEで販売となります。よかったら通販サイトや醸造部のFacebookページなどをチェックしてみてください。
では、ここまで読んでくださってありがとうございました。

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