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財務省の広報誌を通じて、「障害者」という人物はこの世に一人も存在しない。を提言した話。

ヘラルボニー代表の松田崇弥(双子の弟)です。
令和元年、2019年最後の大仕事として、とんでもない寄稿依頼をいただいたことがあるんです。それは・・財務省の広報誌「ファイナンス」。

財務省広報誌「ファイナンス」
財務省が発行する月刊の政策広報誌です。毎月、旬なテーマで予算・税制など財務省の施策を紹介する特集や、著名人・有識者等が自由なテーマで寄稿する巻頭言をはじめとして、読み応えのある記事を多数掲載しています。さらに、表紙には、いきいきとした子供の姿。次世代に向け豊かで希望ある社会をつないでいく取組み、ご覧になってみませんか。

「!!!??!!!!?」

28歳、起業1年目の若造が、国家予算の編成や税制度の見直しを行うあの「財務省」の広報誌に寄稿して良いのか・・・?
困惑とともに、頭にこんな言葉が浮かんできました。

「めっちゃチャンスじゃん・・・」

何故ならば、国が現在使用する「障害者」という括りに対して私はとても懐疑的だから。アレルギーがあるから。障害というものは個人を表すものでも、個人に帰属するものでもないと考えているから。

ヘラルボニーのスタンスを国の機関紙に提言できる絶好の機会と捉え、「障害者」という人物はこの世に存在しないという当たり前のことを、綴りました。ぜひご一読ください。
(財務省広報誌「ファイナンス」令和元年10月号「今月の顔・巻頭言」より)

「お兄さん、お兄さん、私の洋傘を買ってよ!」

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”ある女性"の発言に背筋が凍りました。
それは何故か?
その言葉が向けられた相手が安倍首相だったからです。

驚愕する関係者の横で、一瞬で笑顔に変わる安倍首相の姿がありました。
それは、令和元年5月21日に総理大臣官邸で開催された「安倍総理と障害者の集い」での出来事です。

ここで”ある女性”を発表します。
彼女は知的障害があり、アーティストとしても活躍する工藤みどりさん。
その日は、自身が描いたアート作品がモチーフとなっている洋傘を持って官邸に訪れていたのです。

私が代表を務める株式会社ヘラルボニーは、「異彩を、放て。」をミッションに掲げる福祉実験ユニットです。

日本全国10以上の福祉施設とアートマネジメント契約を結び、知的障害のあるアーティストの描いた作品を日本の職人と共にプロダクト化して販売したり、工事現場の仮囲いを行政と連携してソーシャル美術館にしたり、SDGs・CSVの一環としてオフィス等の装飾に活用いただいたりと、1,000点以上にも及ぶアーティストの作品を預かり、福祉施設から生まれるアート作品の社会実装を生業としています。

ヘラルボニーは、彼らならではのこだわりや脅威的な集中力が、社会に新たな彩りをもたらす柱になると確信しています。

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(写真:奥山淳志)※寝転ぶのが兄、ストーブ前が特等席

岩手県の実家で生活する自閉症という先天性の知的障害がある兄の話をしたいと思います。
自宅のカレンダーには、安倍首相も驚くほどにびっしりと事細かに分刻みのスケジュールが書き込まれています。兄は20年以上、日曜日の12時にラーメンを食し、15時にカクレンジャーのDVDを借り、18時にちびまる子ちゃんを観るのです

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つまり、自閉症の特徴である「強烈なこだわり」が兄のアイデンティティであり、曜日毎のルーティーン活動を生み出しているのです。
同じ動きを繰り返す。決まった手順でしかやれない。一つのことに注目すると他のことに注目し直せなくなる。
しかし本特徴も実は一長一短、アート活動となると同じ表現を繰り返し描き続けるという"唯一無二の個性”に変化するのです。裏を返せば、「知的障害」の特徴そのものが「絵筆」に変わっているのです。

私たちは支援者と知的障害者という関係ではありません、ビジネスとビジネスの対等なパートナーとして、クリエイションを発注・受注し合いながら発表する福祉領域の拡張に挑む実践者です。

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最後に、最近よく考えている違和感について述べさせてください。

「障害者」という人物はこの世に存在しない、ということについてです。

そんなこと当たり前だろ!と思われた方、申し訳ありません。
然しながら、障害者○○法や障害者手帳、障害者アートなんて言葉まで現れているのが現実です。

時代は令和という元号に変わりました。「障害者」以外の表現を模索する時期が近づいているのではないでしょうか?障害というものは個人を表すものでも、個人に帰属するものでもありません。

障害というものは社会の仕組みやテクノロジーが追いついていない為「生じているもの」だと思います。

つまり、"欠落”ではなく”違い"なのです。

私が海外に行くと普段つかっている言語は通じず、流暢にコミュニケーションが取れなくなります。このように、ただの"違い”であると考えています。

私たちの活動は、障害そのもの取り巻く先入観を壊す実験でもあると思います。
願うことは一つ、障害のある方には一人一人の人生があり、ストーリーがあり、それを「個人」として捉えてもらいたい、そんな当たり前のこと、それだけです。

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