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子どもの自分がワクワクする会社、ヘラルボニー

いつもお世話になっている皆様、初めましての皆様、こんにちは。
2023年の秋からヘラルボニーの一員となった忍岡(おしおか)真理恵です。
※トップ写真でボールに食らいついている方です。

経営企画室の仕事をする傍ら、11月から執行役員COOを拝命しました。
会社全体が成長できるよう必要なことはなんでもやる、そんなお仕事です。

今日は少し私のこと、そして私がヘラルボニーに託している夢についてお話しできたらと思っています。

「浮いてる」子ども

父の仕事の関係で4歳からアメリカに住んでいた私は、小学校4年生のときに日本の公立小学校に戻りました。

のどかな住宅地にある小学校に突然やってきた帰国子女の私は、浮いてました。

逆上がりも、跳び箱も、習ったことがなくできない。
周りの子が面白いと思うことを面白いと思えない。
休み時間も自分の席で本を読んでいるような子供でした。

同時に、時は1990年代後半、
阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件など暗いニュースばかり。
毎日、星条旗に向かって国歌を元気よく歌っていたアメリカの小学校とは真逆で、小学生にすら「日本っていけてないよね」「頑張るのはダサい」という空気がどことなく流れていました。

そんなシニカルな雰囲気になかなかなじめない、反発したい自分もいたのだと思います。

そのような中で、私は、いつか日本をみんなが「ここに生まれてよかった」と思える国にする仕事ができたらいいなと密かに妄想していました。

当時の好物は鳩サブレ

優等生から劣等生へ

時間は飛びます。

社会人になって、子どものときに抱いた、日本のためにできる仕事がしたいという想い胸に、初めての仕事は国家公務員を選びました。

多くの官庁がある霞ヶ関駅に降り立ち、ドーンと並ぶ(建物は古くぼろぼろですが・・)官庁街を見て「私はここで一生懸命仕事をするんだ」とドキドキしたのを忘れません。

その後も仕事は順調、留学の機会も得ることができ、自分はキャリアを追求していくのだと、そう信じていました。

順風満帆、「優等生」な自分に、浅はかにも驕っていたのもこの頃。

子育てというハードル

そのような中、2014年に息子を出産。
子どもを育てる人なら誰もが経験することだとは思いますが、それまでの自分中心の生活がすべてが大きく変わっていきました。

子育てそのものも大変でしたが、それよりも、頭にこびりつく、あるいは世間が暗に伝えてくる「理想の母親像」に追いつけない「劣等生」な自分に苦しむようになりました。いい子ちゃんだった自分が初めて、そうなれない自分と対立したときでした。

専業主婦だった自分の母には散々手間をかけてもらったのに、自分は子育てに全力投入してない。子供に申し訳ないことをしているのではないか・・?

良いお母さんであることより、仕事を優先する自分はわがままで傲慢で欲張りなのか。。。

他方で、ときには、なんで女性だけがこんなに葛藤しないといけないんだという気持ちを抑えることができず意地を張ったり、無理をして周りにも迷惑をかけました。
結果、夫婦関係も壊れてしまう。

大好きな父と息子が・・・

同じころ、父がステージ4、末期の膵臓がんであることが発覚します。

父は生粋の娘ラブ男で、酔えば誰が相手でも娘の自慢話を延々に語り、ひたすら私を応援し、味方であり続けてくれた父。仕事と子育ての狭間で悩んでいた私に、それでいいと太鼓判をおしてくれた父。その命が残りわずかであることがわかりました。

さらにタイミングの悪いことに父の宣告を聞いた1週間後、息子が幼稚園で階段から転落し、腕を骨折。

自宅から2時間近く離れた、当時働いていた都内のガラス張りのオフィスで連絡を受けた私は、自分に対する情けなさでいっぱいになりました。


こんなところで意地をはって何やってるんだろう。

私の人生は私だけが自由に使えるものではないんだ。

自分のことではなく、家族のためにまずサバイブしなければ・・。

そうやって留学から戻ってついていた、コンサルの仕事を離れました。

大好きな父と、大好きな息子。

むくむくと戻ってきた子どもの自分

その後、ラッキーなことに素晴らしい会社にめぐりあい、キャリアと子育てが両立でき、多くのことを学ばせてもらう日々に恵まれました。

父を見送り、離婚も成立し、息子は元気な小学生になり、あっというまに5年がすぎました。

時にはSNSで溢れる幸せな家族の写真に苛立ちを感じ、自分が築けなかった「理想の家庭像」に対する無念さに心が痛むこともありました。

とはいえ徐々に、自分が自分らしくあるために選んだ人生はこれなんだと受け入れられるようにもなれたと思います。

息子には悪いけど、こんな母に付き合ってもらうしかないわ!と開き直れるようにも。(とはいえ、月に一度くらいこんな子育てでいいんだろうかと落ち込むのですが。。)

会社も成長している、自分も学べている、これ以上何を望む?

しかしどこかで、子どもの頃の社会をポジティブに変えたいという思い、今までなかったようなビジネスに全力で投じてみたいという欲望が少しずつ戻ってきてしまったのです。

自分が生きたい人生を、思いっきり生きてみたい。

いわゆるインパクト系スタートアップをちらちらと横目で探す日々。ただ、何かが違う、しっくりしない・・。


爽快な会社

そんな頃、「かわいい名刺入れの会社」として出会ったのがヘラルボニーでした。

一目惚れしたMidori Kudoさんの「(無題)(青)」カードケースと、入社後に作ってもらったTaisuke Kinugasaさんのアートがあしらわれた名刺。

目に飛び込んできた素敵な色、のびのびとした柄、元気に楽しく生きているかのようなドット。

アートに惹きつけられてヘラルボニーをフォローし、そのストーリーを知り、なんてかっこいい事業だろうと思いました。

ヘラルボニーが面白いのは、扱っている課題はとても難しく、悲しい歴史もある軽々と語れないものであるのに、その解決方法が、こんなに元気で明るく、楽しいものであるということ。
原画を見れば生きていることを肯定してくれるような鮮やかさ、エネルギーに心を打たれます。

阪急梅田のポップアップ、ディスニージャパンとのコラボ・・どんどん飛躍していくのをファンとしてみていました。

そのうちに、この人たち本当にとんでもないことをやり遂げるんじゃないか?と思うようになりました。それが成功したらなんて爽快なんだろう。

硬い言葉ですが「資本主義」という仕組みで回る今の社会は、必ずしも全ての人が公平な条件で参加できるものではありません。女性として、母親として、わずかですがその歪みに振り回され、悔しさを感じていた私は、それを爽やかにぶっ飛ばしてくれるかもしれない人たちの登場に心が沸きました。

しかも「異彩を、放て。」というミッションは日本だけでなく、世界中の人の心に響くものだと感じます。

たとえば、ニューヨークのMOMAショップでふと素敵な雑貨を手に取る。
そこで初めてヘラルボニー作家のストーリーを知る。しかも日本の会社なんだ・・と気づく。
そんな映像が目にありありと浮かびます。ヘラルボニーのような会社が、日本から世界に飛び立てたらなんて素敵なんだろう。

革命的なお祭りが始まろうとしている。わたしも最前列で参加したい。参加しなくちゃ絶対に後悔する。

そんな妄想と勢いが収まらず、当時は経営企画の募集がなかったのでできもしない経理募集の窓口に突撃したのが2022年の年末。
無理やり面接をしてもらい、いれてもらうことができ今の私がいます。
(入社後に自分が必死に経理の方を探すことになりました笑)

これからのヘラルボニー

ヘラルボニーと関わるようになってから、奇跡のように素晴らしい方々がこの会社を応援してくださるのを目の当たりにしています。

たくさんの方の様々な夢を帆に受けて走る船のようです。もっと行け、もっと飛べと。

まだ小さな帆船かもしれませんが、そんな素敵な船の乗組員になれた幸運に感謝して、いままで自分が学んできたこと、感じてきたこと、その全てを投じて世界を横断できる大きな船にしていきたいです。

引き続きの応援をよろしくお願いします。

経営企画、コーポレート、人事、法務、ウェルフェアのみんなと!

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