発達障害のある子の母になりました。だからこそ本気でビジネスを、未来を、作ることに挑みたい。
「お母さん、発達障害って診断書に書いていいかしら?」
忘れもしない、2020年6月19日。
小児科の先生から言われた言葉です。
なんて答えればいいかわからないのに、涙が止まらない。
必死に堪えながら会計を済ませ、2歳の娘を連れて、診断書を手に病院を後にしました。思えばこの帰り道から、ヘラルボニーに出会う運命は始まっていたのかもしれません。
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2024年1月にヘラルボニーに入社した國分さとみ(こくぶん さとみ)です。
現在はアカウント事業部で、戦略設計やビジネス開発を担当しています。アカウント事業の中長期的なビジネスを強くするため、とにかくなんでもやっていくポジションです。
編集者はクリエイターの才能をお金に繋げるのが仕事だ
ヘラルボニーに出会うまで、私は社会課題とはかけ離れた「エンタメ業界」で社会人生活を送ってきました。
2009年に広告代理店に新卒で入社しアカウント業務に従事後、経営企画部立ち上げ等を経て、2013年より漫画アプリ「GANMA!」事業の立ち上げ&漫画編集としてエンタメ業界でのキャリアがスタートします。GANMA!は1,700万ダウンロードを突破し、300万部発刊されたタイトルや、アニメ化作品も輩出する漫画アプリです。
2013年当時は、漫画アプリがまだこの世にない時代。新参IT企業が伝統ある漫画業界に参入するとあり、多くのハレーションがありました。専属契約を主軸にしていたため、デジタル配信転換期に漫画家が抱える様々な課題に編集者として一緒に直面してきました。業界構造や課題についてアクションする機会も多かったので、ビジネスマンとしての視座を上げてくれるきっかけになった仕事です。
「編集者はクリエイターの才能をお金に繋げるのが仕事だ」と育ちました。初めて漫画家の月収が100万円を超えた喜びは今でも覚えています。作家とそのご家族と手を取り合い単行本発売を喜んだ経験は、私にクリエイターリスペクトの根幹を教えてくれました。
産業を大きくするにはビジネスの力が必要
さらにエンタメビジネスをグローバルに広げるキャリアを積みたいと考え、前職ではIP(Intellectual Property、知的財産)のライセンスビジネスを担当していました。
キャラクター、漫画版権、アニメ版権、幅広いIPをグローバルで展開するライセンスビジネスやWeb3・メタバース等の新技術に関わるデジタルコンテンツの制作を行っていました。
海外事業を担当していましたが、日本のエンタメIPが世界中から深くリスペクトされる一方で、中国や韓国は市場が急成長しており、日本が遅れをとっていることにとてつもない危機感がありました。
世界一の市場規模を持つアメリカや、KPOPを世界に輩出した韓国は、エンタメ企業の経営層に金融・コンサル・IT出身者が多く、多様な経験を持つ優秀なビジネス人材の層がとても厚いです。日本のエンタメ会社はプロパー入社のままでキャリアを積むことが多い業界なので歴然とした違いを感じました。(プロパーキャリアを否定したい意図は全くありません)実際にディズニーの経営陣は他業種出身者が並んでいます。
世界が大きく変わる時代の中で、グローバルで勝つには過去のビジネス経験や思想を活かし、多くのアクションを積み重ねなければ大きな躍進はあり得ない。そして何より才能あるクリエイターに収益が循環していくことで、さらに素晴らしい作品が生まれるというエコシステムの構築は競争力を発揮するためになくてはならないという想いを強くしました。
予想外の当事者家族という立場
話は変わり、冒頭にも書いたように、現在5歳の娘が知的障害を伴う発達障害があると診断されたのはコロナ禍の2020年のことでした。
その間、仕事では役員にも着任し、責任がある立場になっていました。やりたい仕事に裁量を持ってコミットできる。本当に充実していましたが、頭の片隅に「自分の人生にとってこの仕事は本当に意味があるんだろうか」という迷う気持ちがありました。
それほどに娘が障害があると診断されたことは大きなターニングポイントで、子供の就学・就労のことを考えると、どんなに働いても、家族の未来が明るいものに感じられず、希望を持てずに過ごしていました。
失われた「日常」生活
娘が成長するにつれ、日常生活で娘の特性が強く出始め、近所の公園に行くだけでも決死の覚悟でした。繋いでいた手を振り解いて、車道に出て轢かれそうになる。公園に行っても遊具の順番待ちができないので癇癪や大声を発してトラブルになってしまう。
家族でのお出かけは夢のまた夢で、日常だったはずの買い物、外食、電車移動など社会に接する機会が猛スピードで減っていきました。
また保育園でも差別的な対応や発言を受けて、深く傷ついたことも多々あります。
家族の意見もすれ違うことが多くなり、娘の癇癪の声で警察に通報されてしまうこともあり、トンネルのように暗い日常が2年ほど続きました。
しかし時間の経過とともに、障害があると診断を受けたけれども
「目の前にいる娘は何も変わらない」
というとても大事なことにも気づき始めました。
不幸だと思っているのは親だけだった
発達支援施設で出会った同じ立場の親御さんと少しずつ交流を深めていましたが、みなさん本当に辛い日々を送っているように感じられました。
そんな親たちをよそに、娘は毎日美味しそうに好物の韓国海苔をむしゃむしゃ食べ、大好きなタオルに包まれて、ただただ幸せそうなんですよね。
そしてマイペースだけれども、彼女なりに成長を見せてくれたことで、未来に対して希望を感じることができるようになった時期でした。
福祉領域の仕事をしているわけでもないのに、この壁多き社会で「障害のある人に関わる全ての人を勇気づけたい」という想いが強まり、他人から見ればとても非合理的な転職活動をし始めました。
キャリアを完全リセットする想いで始めた転職活動
ただし、1つだけこだわっていたことがありました。
それは、非営利ではなく「株式会社」であることです。
ビジネスの力で会社や産業を大きくし、大きくした分だけ障害のある方たち達に循環していく。
それができるのは、株式会社だからです。エコシステムを作ることは、娘をはじめとした障害のある方の未来を作ることだと信じているからです。
自分のキャリアと思想を体現できるのがヘラルボニーだった
しかし、転職活動はあまりうまくいきませんでした。
エンタメ・ITなど成長市場で働いてきた自分のキャリアを見たら、説得力や覚悟が感じられなかったのかもしれません。度々、「この業界には耐えられないと思う」とフィードバックを頂きました。
ある時、就労支援をやっている事業者の面接で「うちの会社もヘラルボニーみたいな成長ができたら面白いと思ったから、あなたは未経験だけど面接したんだよね」と言われました。
ヘラルボニーってなんだ?
面接が終わり、帰りの電車で検索したら、障害のあるアーティストのライセンスビジネスをやっている会社だと言う。
見慣れたビジネスモデルで、直感的にぴーんときたことを覚えています。
そして何よりも、弱みではなく、障害のあるアーティストからスターを生み出すという思想が輝いて見えました。
この仕事なら自分のこれまでのキャリアを活かして、未来を作ることが両立できる。
採用サイトを見て、「アートについては深くはわからないが、きっとできるはず!」という興奮した気持ちでアカウント部門に応募したのをよく覚えてます。
本気でビジネスを、未来を、作ることに挑んでいる
その後、ヘラルボニーの面接に進みますが、アカウント事業部のシニアマネージャーである新井さんとは面接というよりガッチガチのビジネスディスカッションタイムという印象でした(笑)
両代表との面接では、これまで会社の人にひた隠しにしていた娘の障害をなんの抵抗もなく自己開示ができ、とても幸せに感じました。しかし、最終面接もビジネスディスカッションタイムだったように思います(笑)
しかし、それほどに本気でビジネスを、未来を、作ることに挑んでいると感じることができたのはとても素晴らしい体験でした。
これから
1月から入社し、盛岡での本社研修を終えて、始まりの地「るんびにい美術館」で異彩アーティストと素晴らしい触れ合いを経験しました。
そして、まさに中期戦略の策定と実行を進めているところです。
私には、障害者家族という原体験があります。
しかし、それ以上にビジネスマンとしてこれまでの経験を全て注ぎ込んで、
全身全霊でヘラルボニーのビジネスを大きくしたいと思っています。
未来を作るために。
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