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「合唱曲と管弦楽による『西海讃歌』」

 はじめましての人も、
 前から知ってる方も、
 ごきげんよう。

 偏光です。

 何のかの言って私が、
 魂の奥底では激熱ポジティブなのは、
 もしかするとこの歌のおかげなのかもしれない。

(文字数:約1000文字)


  物心ついて四、五歳頃には既に、
  明かりを消した部屋の内に隙間からの光を漏らす、
  襖の向こう側に聴こえていた曲だ。

  仕事から帰ってきた父が、
  晩酌でもしながら見ていたのだろう。
  テレビ長崎で長年、
  天気予報のバックミュージックに使われていた。

  私は寝ていなくてはいけない時間帯で、
  起き出そうものなら酔った父に怒鳴られるので、
  あの歌が何であるのか訊ね切れるまでには、
  更に数年ほど要したが、

  聴ける年齢になったところで、

 「あん歌? 知らん」
 「あがん歌の好いとるとぉ?
  いやぁ暗かし気持ち悪かし、
  何言いよるか分からんやかね」

  と両親からはけちょんけちょんだったが。

  おそらくはただ、
 「私が好きな歌」
 「私が興味を持った歌」
  というだけで、
  両親は「聞く価値も無いダサい歌」、
  と判断しそれぞれの興味から排除したようだ。

 「ちょろっと耳ば貸してみたけど、
  大した事は何も言うちょらんぞ」
  と父は苦笑もしてきたが、

  何の何の。

空いっぱいに 空があるように
海いっぱいに 海があるように

行こうよ 行こうよ
(本当は「人よ」だったのだが、襖越しに耳コピしていた幼児がそのような表現を知るはずもない)
心いっぱいに 美しい心を持って

この空を この海を この土を
愛そう

合唱曲と管弦楽による『西海讃歌』 ー佐世保市民に捧ぐー
作詞藤浦洸 作曲團伊玖磨

  四十を過ぎた今になって、
  改めて振り返ってみても、
  こんな歌詞、書けないから!

  空いっぱいに空
  海いっぱいに海
  心いっぱいに心

  その、まんまやん!

  幼児にすら耳コピできたこの平明さ!
  あまりに平明過ぎてきっと間違っていると思ってた!

  ああしかし青空の下で大海原を目にした際に、
  心に浮かぶ文言など、

  それしかないよな!

  そして空なみに海なみに、
  広々とした心を持てたならば、

  それは空を海を土を、
  四の五の言わずに愛する以外、
  頭に浮かびもしないだろう。

  と考える以前の年齢で、
  受け止め切れていた幼児であったが故に、
  外側では何が起ころうとも、
  心底では動じていない気がする。
  うん。

5月28日追記
 話は飛ぶんだが2022年頃に、
 「身の内に広がる海」の存在について、
 軽く小説化した事があった。

 自分としては実感が伴っていたんだが、
 文章化すると荒唐無稽な感じになったが。

以上です。
ここまでを読んで下さり有難うございます。


 

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