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映像化不可能
先日自分の小説が映画化された暁には、
エンディングに使いたい歌があるなどとぬかした私だが、
それどころか今の時点から多少でも届かないかと、
ボーカリストさん出演番組にメールを送ってしまったが、
配偶者に話したら呆れられ叱られるかもしれんな。
思いが昂じると私はわりと、
いきなりそういう事やっちゃいがち。
映画と同じシーンが見たくてヨーロッパに旅行したり、
ハリウッドスターに英語で当時はエアメール送ったり、
出来てるかどうかは勢い任せだし当てにしてないけども。
それはともかく、
そもそも映像化の話自体が来ていないのだが(爆)、
映像化するにしてもわりと重要な問題点があるなと気付いて、
終盤あたりのメインイベントの、
核となるシーンが映像化不可能。
ここで皆様に、
小説にとって「映像化不可能」とは何事であるか、
今しばらく時間を頂き訴えたいのだが、
それは作家本人にとっては紛れも無く、
「映像化不可能」な状況であるからこそ、
文章として書き表したかったわけであり、
映像技術を持たないがゆえに、
「映像化不可能」といった語句で逃げたわけでは、
断固として、ないわけである。
従って「映像化不可能」が映像化される際には、
せめて「果敢にも不可能に挑んでいる」という、
自負を持って臨んで頂きたいわけである。
「技術が進んで可能になったよ♪」
ではそもそも、決して、有り得ない文章なのである。
私はミヒャエル・エンデ作『はてしない物語』の、
映画版『ネバーエンディングストーリー』を、
こよなく愛してはいるが、
あの作品は映像化出来ていなかったからこそ愛おしいのだ。
不可能をどうにか形にしようとしたからこそ美しいのだ。
一方でスティーブン・キング作『シャイニング』は、
原作版がものすごく大好きなんだが、
映画版に関してはスタンリー・キューブリックに軍配を上げる。
そもそもあの作品の根底に流れる父親の愛情自体が、
「映像化不可能」だったんだよスティーブン。
もう取っ払って斧でドアバリバリにするしかねぇよ。
あれを演じ切ったジャック・ニコルソンにも大拍手だよ。
いや作者としては不愉快極まりなかったとは思うけどもな。
つまり映画になった時点でその作品における、
小説はあくまでも「原作」であり、
映画はあくまでも「監督作品」なのだからして、
私が「映像化不可能」と記述したまさにそのシーンが、
映像化されてしまっても文句が言えない立場ではあるが、
希望を言えばそこだけは本当に映像化しないでほしいな。
だって「映像化不可能」として書き表したんだもん、
と小説家としては思っている。
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