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黙しても良い事をわざわざ言う

なぜなら今朝目を覚ました際に頭に浮かんでしまったから。


私達は愛に縛られ愛がある方へと行きたがる。

慈悲に満ちた仏の世界においては肉体を重視しない。
有り体に言えば死者の世界なのだから、
(ただし死者であってもその命は
 「生きている」と解される。)

ヒトの身に在りながら愛を求めなくなった者は、
ヒトとして一種不遇だと言える。

私の親世代においては致し方あるまい。
第二次世界大戦中あるいは直後に生まれ出で、
肉体が存在する事のみを良しとされ、
実質的には存在を顧みられなかったのだから。

「心も死ぬ」という事実は
(私にとってはまさしく「事実」であるのだが)、
実に長い間認識すらされて来なかったようだ。

愛を渇望し補填を求めた結果の高度経済成長期だ。
心を度外視すればより容易になる。
稼げない者は切り捨てれば済むのだし、
面前から追い払ったとしても代わりはいる。

愛などは無意味である軟弱であると、
笑い飛ばし打ち捨てて構わない。
時代は重工業だ。

多くを稼いで来る事に、
子に稼げる道を整えてやる事が、
疑い無く「親の愛」であり「正義」とされたわけだ。

既に魂の数多くは死んでいた。

幸いにして心の場合は、
死んだとしても全体の一部で済み、
完全に死に切る事は有り得ないのだが。

なぜなら全ては繋がっているので。

一部であれ心の死においては、
誰かの死は私の死でもあるので。

誰かが生き残っている限りは、
私もまた生き残れる。

生き残っている部分にすがり付く。

ヒトであるという事は、
執着を離れ得ないという事だ。
誰が否定すべきもののように受け取った?

死ぬ寸前の貴族が安堵を得るための解釈を、
生きている庶民にまで適用させる道理は無い。

ヒトは一人一人が等価だが、
人生までが平等なものか。
存在する場所に道筋は異なるのだから、
適切な言葉もまた変わる。




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