「学ぶこと」「知識を得ること」で癒されている
この春、突然参加し始めたコミュニティでの日々が、早くも半年過ぎた。
長く家族以外の人との積極的な会話をする機会が少なかったものの、主人は今の状況を把握してくれていたし、自分の好きなことを一人でも楽しめる性格のようで、物作りもしていたし。
好きなように外出することは出来ないけど、未来、またもう一度今より良くなる可能性もまだあるのだという希望も持っているから、気持ちは元気に過ごせていたと思う。
そんな私が、いきなり参加することになったDiscordコミュニティ。
多くの人の会話を聞いたり、自分でも意見を発信してメンバーと会話する中で、「自分って?」ということを意識し、考えることが多くなった。
その「自分って?」の一つに、一人で自分の興味のあることをやっていた私の行動は、この
「小さな実験を繰り返していたなぁ」
というもの。
趣味のハンドメイドも、同じものを作るというよりは、材料が手に入って、自分が実際に使えるものを「これ、自分で作れるのかな?」というのを試すように作ってみたり。
性格的にも、何か気になることがあると、それを解決したいという気持ちがかなり働く。(出来ないことはすぐに諦めるけど)
夏休みの宿題を終業式が終わって帰ってきたら、すぐに始めるというタイプ。別に真面目だからではない気もする。
自分では、単に「問題・課題が目の前にあると、先に片付けないと、気になって仕方がない性格」という、ただそれだけ。
(なので、体力の無い今は、人からの課題を避けたいという気持ちと、やってみたいという気持ちのせめぎ合い)
そんな性格を、なんとなく思ってはいたけど、コミュニティでの日々で
子供の頃からの環境が、自分にはとても良かったのだとつくづく思う。
親は自営業で忙しく、私たち子供のすぐ近くでいつも見守ってくれてはいるけど、放っておいてくれた。周囲の環境もまだ田んぼが多く残る地方都市。子供どうしで遊び回った。
金銭的には、両親は大変だったと思うけど、そういうことの全てが私にプラスになっている。
「自己肯定感」が強く、時々自分のことが可笑しくなって笑ってしまう。
「自己肯定」は、しているのだ。
でも、それと同時に長年「申し訳ない」と「有難い」という気持ちが毎日のようにこみ上げて来ていた。
主人は、元気に定年延長まで働いた。周囲も定年まで子育てと両立して頑張っている人が多い。
やはり、長く家事だけをやっていると、どうも「何もやってないなぁ」と思ってしまうからなのか。
そんな私が今、コミュニティで様々な年齢・地域・経歴など多様な人たちの話を聞き、学ぶことで、自分にも社会の中でやれることがまだまだあることを知ったし、やらなければならないことを実行することも出来るのだと気づいた。
それを実感するとき、涙が滲んでくるのはどうしてなのだろう。
自分は、何も出来ていない。動くことが出来れば、もっとやれることがあったはずなのに、やれていない・・・。
そんな思いが、自分が思ってた以上に心の奥底であったようなのだ。
「申し訳ない」という思い。
でもそんな気持ちを、癒してくれるもの。
それは私の場合、「学ぶ」「知識を得る」ということのようだ。
このコミュニティは、私にその大切なものを与えてくれる大切な「場所」
だ。