見出し画像

君はHSPかもしれない。この言葉は正義なのか

「店長、私ってこんなこと考えちゃうんですよ」

あれは4ヶ月ほど前だっただろうか。
アルバイトと営業後に他愛も無い話をしていた時、流れからその子が打ち明けた。

聞けば、気付くとネガティブな事ばかり考えてしまったり、考え過ぎてキャパオーバーし、人間関係をリセットしてしまいたくなる。遊びに行くとすごく疲れて帰ったあとは動けなくなる。相手に気を遣いすぎてしまう、大きな音が苦手。との事だった。

聞いてすぐに僕はわかった。この子はHSPだ。

とても意外だった。その子は毎日仕事中は笑いを絶やさず、楽しんで仕事をしている。彼氏もいて、プライベートも充実していて楽観的な子だと思っていた。

自分と一緒だ。強く隠してしまっているんだ。
そう思った。

「それってさ、HSPじゃない??」

数年前に、友人に僕が言われた言葉をそのままその子に発した。その子は、調べてみたらそれっぽいんですが、やっぱりそうですかね?と言っていた。

もちろん、自分もHSPである事を告げ、こんな時こう思うよねー!って話を1時間くらい続けた。共感者は初めてだったようで、深く聞いてくれ、話してくれ、彼氏から来ている電話をずっと無視していた。

その夜はとても寝心地が良かった。
生きづらさを感じている人を、1人救った気持ちでいた。


寝心地のいい夜は、そう長くは続かなかった。
考え方が、徐々に変わってきた。

僕は、HSPを知った時、なんてものを背負って生まれてしまったんだと思った。そしてそれは色々理解した今でも、大きさは変われど心に座布団を敷いてあぐらをかき続けている。こいつを退かす事はできない。

その子にも、同じ思いをさせているんじゃないかと思った。

心の病では無いから治す事は出来ない。一生一緒に生きていかなくてはならない。なんでこんなに生きづらさを感じて生きていかなくてはならないのか。非繊細の人間を羨ましく思い、同時に理解してくれないもどかしさを感じる。そんな心持ちの人間に、この子をしてしまうんでは無いか。

安心の寝心地を提供してくれた夜は、いつからか僕にそれを恵んではくれなくなった。眠れない日が続いた。


昨日、久しぶりにその子と2人きりになる時間があったので、あれから心の変化とかはあるか聞いてみた。

「確かにまだまだ今月もネガティブに病んでばっかりですけど、HSPの本も買って、周りの友達とか彼氏にも言いました。少なくともみんなはそんな自分と付き合ってくれてます!」


今まで何度もやって来たじゃないか。勝手に心配して、勝手に背負い込んで、勝手に沈んでいく。確認をちゃんとしてみたら、そんな事は全然無かった。

この子の方が、前を向いて歩いているじゃないか。

7歳も下のこの子の方が、地に足をつけて強風の中、帽子を抑えながら進んでいるではないか。

雨風が怖くて、秘密基地に閉じこもっているのは僕の方ではないか。
そう思った。


正義かどうかなんて結局本人次第だし、少なくとも本やネットで対処ができるって事は教えてあげられたんだ。性善説で良いじゃないか。

いい加減、秘密基地から出てみろよ、自分。
自分のペースで進めばいいじゃないか。雨風は酷いけど、途中に泊まれる宿もあるし、晴れた街の方向を教えてくれる人だって世界には居るんだぜ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?