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金持ちになったら成功という短絡的な考え

金持ちになりたいというのは漠然とした夢だと想う。

誰しも一度は考えるだろうし、金が無いよりはあったほうが良いと思っている。

noteでは、やたら投資を勧めたり、数ヶ月で日本人の平均年収を超えました。みたいな人の宣伝が多い。

別にそういうのが好きな人ならそれでいいと思うが、個人的には自分の好きなことをやって生計を立てたいと思っている。

なんというか、簡単にお金が稼げるとしたら、人間は本能的に流れてしまいがちである。

昨日、安住アナが出てる土曜のニュースキャスターを見ていたら、小学生が3分で描いたデジタルアートが数分で8万くらいで売れていた。

NFTという仮想通貨の仲間のような、デジタルでもコピーされないようにシリアルナンバーがついて、オリジナルや現在の所有者が誰なのか分かる仕組みがあり、NFT市場では高値でそのようなデジタルアートが売買されているらしい。

もちろん、苦労しているアーティストが、こういう新しいテクノロジーをきっかけに日の目を見るのは素晴らしいと思う。その対価が正当なのかどうかは、誰にもわからない。ただ、芸術とはそういうもんである気もする。

インターネットによって、規模が大きくなったことで、ちょっとしたことに考えられない大金が流れ込んでくることが不思議ではない世の中になった。

それで一発逆転を狙うのもいいだろうし、なんだかんだ言ってやっぱり難しいことは事実である。

別に大金を稼ぐのはいいことだが、前に私の記事でも書いたとおり【お金=パワー】なので、使い方をしっかり理解してないと大変なことになったり、人に迷惑を掛けることになる。

そこの理解は先になされるべきじゃないかな。と思っている。

富の再分配なんて言い方をするが、別にそんな大事に考えなくても、会社の構造を見てもわかるように、自分の給料が上がらないのは、自分の上司や人事が自分の給料を安く設定しているからである。

それが果たして正当な対価なのか誰にもわからない。

コストはとりあえず安く押さえればいいと思っている人が多いし、売れるならなるべく高く売ればいいと思っている人も多い。不動産などの売買はそういう感覚に近いかもしれない。

確かに金持ちになったらいいんだろうが、金持ちになるにしてもどのレベルの金持ちか。という話にもなる。

前に働き方改革が総合商社でも始まっているとの特集をガイアの夜明けか何かで見た。夫婦と子ども1人の家族で生活していたが、世間的に見たらかなりハイクラスの夫婦であるんだろうが、子供目線で考えると私の子供の時の生活水準とそんな変わらない感じがした。

なんというか、もちろん家も一軒家で東京住まいなので、地方の私の実家とは全然金のかかり方が違うわけだが、国を代表する一流企業に勤めても、そんな門から何メートル家まであるような巨大な豪邸が建つわけでもなく、いわゆる住宅地の一角の一軒家に住むわけである。

じゃあ、企業の社長やIPOで会社を売って数億円手にした元社長がどんな家に住んでいるのかというと、だいたいタワマンの最上階などで、投資家でがっつり稼いでいる人などもそうである。

家で仕事ができる人であれば、家をオフィスにして税金を安くしたりも出来るので、そういう意味でも高い家には住みやすいんだろうが、どうも私はタワマンがあまり好きじゃない。

タワマンと言っても意外と狭いし、庭は無いし、エレベーターが停まったらしんどいだろうし、単純に下の階で火事になったら自力では逃げられないだろうし、私にとってはあまり羨ましいものではなかった。

もちろん高いところが好きで、住みたいなら全然好みの問題なので良いと思う。ただ、私はあまり好かんというだけの話である。

お金を稼いで、この世にある高額なものを手に入れて、人生成功しました。という結末だと、私はあまり楽しめない気がする。

なんというか、タワマンに住むくらいだったら家賃7万くらいのアパートでいいが、限りなく金があって、田舎に広い家を建てられるのであれば、ハンターハンターのゾルディック家くらいの、山がまるごと自宅の敷地でその上に城が建ってるくらいのレベルにしたいものである。どうせ金持ちになるなら、そこまで自分の理想を描きたい。

嫌な仕事を長時間続けて大金を稼ぐのは私の中で成功ではない。

かといって、数分で描いた落書きが数万とかで売れても、私の中ではそれはやりたいことではないので、成功したとは言えない。

金を稼ぐ方法というのは、この世にいくらでもある。

同じ能力の人間がいたとしても、私個人としては年収1億の人もいれば、100万まで差があると思っている。

運といったら、それまでだが、時代やタイミングや人間関係があると思う。もちろんそれも含めてその人の能力と言えるが、現実的に同じ仕事内容でも会社によって給料が違うし、それは仕方のないことである。

もし生まれ変わっても同じ人間で、同じ親の元で同じ教育を受けても、果たして同じ人生になると言えるだろうか。全くの同じにはならないと思う。

人生で何をしてもいいし、大金を稼ぐとか豊かに暮らすとか、そういう感覚から外れて生きている人もいくらでもいる。

もちろん金があって困るものじゃないので、金があればあるだけ可能性が広がる。

金持ちになって、金持ちっぽい生活をするために金を使うのはあんまりセンスがない気がする。

前澤さんのように不特定多数に配らなくても、何か面白いことをみんなでやれるような仕組みを作ることもできそうだし、単純に奨学金みたいなものもできそうだし、認可が降りないだろうが、学費無料の大学を作るとかも楽しそうである。

成功の概念が、自分ひとり安定した生活を送ることに特化するのであれば、正直金なんかたくさんあったところで何にもならない。むしろ年収500あれば、そんな極端に生きられないということはない。

日本に金融知識の勉強が足りてないと言われる一つに、カネを稼いで何に使うかの教育が行き届いていないこともある。

性教育と金融教育については、わりと文部科学省は真剣にやるべきだと思う。その2つをないがしろにすると、人生が急転直下して、意図せずとんでもない目に遭う可能性があるからである。

実際、何のために金を稼ぐのかとか、飢えないためにどうやって稼ぐか、または稼ぎ過ぎたらどのようにお金を使うべきなのか、その選択肢など知らないままラッキーやアンラッキーでそんな状況が訪れてしまった時、人生が破滅しかねない。

莫大なパワーだけ得ても、子どもにミサイルを持たしたら大変なことになるし、パワーと教育はいつもセットにしなければいけない。

もし望まない妊娠などがあったとしても、金の稼ぎ方などを勉強していれば、難しいなりに多少は手助けになるはずである。結局の所、金の問題にぶち当たることが多い。

その金の重要性を説いて、どのように周りを助けて、自分が生きていくかということを成功の中の一部として位置づけるべきだと私は思う。

極端な話、一人ががっぽり稼いだところで、国として繁栄することはない。あらゆる分野で産業が発達すれば、状況が変わるかもしれないが、ある意味独裁国家のように、王様が栄えて民衆が飢える構図になってしまう。

そういう状況下で、金の使い道などたいして無いだろうし、やはり大きく世界を変えるには何かを生み出さないといけないし、それをするには中間層や最下層から経済的に底上げ出来るような、生活を担保するような経済の仕組みに自分が関わらなければ、産業の生産性を維持するのは難しい。

金持ちは羨ましがられたり、妬まれたりするものではあるけど、結果的に見れば、あの人がいなかったら今の私達の生活にコレは無いんだよね。という画期的なイノベーションを起こしたいものである。

究極的に言えば、自分がいることで誰かが喜んでくれるキッカケになったら、それは人生の成功と言えるんじゃないだろうか。規模の問題はさておき、それがわかれば、あとは他人と自分の幸福を擦り合わせるだけな気がする。

なんでもいいし、ちょっとしたことでもいい。ただ、自分ひとりが富めることで成功と位置づけるのは、やっぱり面白くないし、あまり広まって欲しくない思想でもある。

なんというか、金で買えないものに近づいていって欲しいというか、もっと本気で金の使い方を考えたら、いろいろ出来るはずである。

金の使い方の成功パターンを、今ある商品を洗いざらい高いものから買い占めていくだけの人間を成功と呼ぶのではなく、何か人の不満や悩みが解消されるような、日本全体が底上げされるような使い方が発見された時を成功と呼んで欲しい。





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