HelloTalkで英会話を勉強して気づくこと

最近、英語学習においてAIが話し相手になってくれたり、勝手に文章を作成してくれたり、添削してくれたりする。

簡単にネットで海外の話し相手を見つけられるし、いろいろなアプリが出ている。

その中で、英語を勉強しようと思ったらだいたいの人が最初に辿り着くのがHelloTalkというアプリで、言語交換アプリという謎の名称のカテゴリーに分類される。

不特定多数の人と会話が出来るとは言うものの、それって安全なの?大丈夫なの?みたいな感じになる人もいるかもしれない。だが、現代の若者はほぼ気にしてないと思う。

危ない事がゼロとは言い切れないが、中国アプリというだけあって、変なスパムアカウントみたいなものは当然のように多くある。そんなんは、「国連の仕事で現在ウクライナで働いている」とか「イラク戦争で物資が足りないから金くれ」とか、そんなんばっかなので、引っかかる人の方に問題があるので、気にしなくていい。

今回話したいのは、そういうことではなく、日常会話をいろいろな表現というのは、日本の学校では習わないな。ということである。

まず私が印象に残っているのは

A: What kind of fruits do you like?
B: Orange
A: How about you?
C: Grape

みたいな会話があったとき、How about you?って学校で習ったこと無いな。と思うことがあった。正直な所、How about you? What about you?などが通じないと、ほぼ会話がスムーズに行えなくなる。

How about you? を How are you? と勘違いして、Fine! Thank you. and you?と言ったら、何やこいつ?みたいな感じになるだろうし、文章ならまだしも、会話だとキツイ。

そういう失敗を繰り返しながら英語は学んでいくものだと思うし、継続は力なりというように、使わなくなれば筋肉のように英会話能力も衰えていく。

わたしもかれこれ英語の勉強を自分なりにずっと続けている。仕事で英語を使わない人であれば、意識しなければ日本で生きていると全く英語に触れる機会がないまま過ごせると思う。

私は基本的に会話の時に人と目を合わせるのが苦手である。だから、カフェなど対面で友達と座ってても、ずっと斜め下を見てソイラテを飲んでるか、話を聞いているが、顔は見たくないみたいな感じである。それは海外の人にとってみたら、かなり失礼になるらしい。

英語の勉強に関しては、必要がないのにやる必要はないが、私は海外に住みたいという夢があるので英語を勉強しているし、英語以上に海外の人と世界中に友達を作りたいという夢もあるので、このようなアプリをずっと使い続けている。

このような不特定多数の人と話していると、だいたい国の文化の傾向であったり、自分が知らないことが数多くある。まず日本だとクリスマスが12月25日だけだと思っているが、そうじゃない国もある。

当然ながらクリスマスをお祝いしない宗教の国もあるし、別の日にお祝いをする国もある。この歳になっても、やはり世界と日本の違いを知ることに好奇心があるのは、私はそういう事に向いているんじゃないかと思う。

大学の学問でカッコつけた言い方をすれば文化人類学なんて言い方もするが、日本人という先祖がどこから来て、どのように文化を形成して、いかに海外と違う文化を形成しながらも、多少なりとも似た部分がある不思議が、個人的にたまらなく好きだったりする。

NHKの番組でこの前やっていたが、日本人とは中国大陸みたいな方から移ってきた人達と思われてきたが、遺伝子を解析してみると、どうも違うらしい。そんなルーツを知るとものすごい面白い。


いろいろな国の人と話していると、統計的にこの国の人は優しくてチャットベースの会話でも安心感あるな。とか、アメリカだと個人主義で国民性みたいなのがあんまよくわかんないな。とか、そういう感覚が溢れてくる。

マッチングアプリで恋人になったり、マッチングアプリじゃなくても、ネットで何かのイベントに参加して、それで恋人や友達になったりして、結婚したりする人もいるが、ネットを使ったら簡単に出会えるというものでもなく、案外ネットだけで関係性を維持していくのは難しい。

例えるなら、会ったこともない人とずっと遠距離恋愛みたいなやりとりを続けていくわけだから、大体の人は続かなくなる。個人的な感想で言えば、半年~1年以上の関係を維持できるのは確率1%以下だと思う。

だいたい1年すれば、普通の人間なら人生になにかしら変化があったり、仕事が忙しくなったり、そういうことがある。数年続くのは、人生のタイミングや性格の相性など選ばれし者と言える。自分のような究極の暇人じゃない限りは、メッセージのやり取りを恒久的に続けていくのは難しい。

だからこそ、残った人とは本当の友人になれた気がして楽しい。メッセージのやり取りだけで、相手の顔が想像できるくらい仲良く慣れるのも面白い。こういうのは、実際に会ったら冷めたりするのかもしれないが、それはそれで良い気がする。恋愛目的でも友人目的でも、人間関係を構築できることが個人的には嬉しい。

HelloTalkようなアプリと、NHK英会話アプリ、YouTubeやPodcastなどなど英語を学べるツールを使えるだけ私は使って英語を上達させてきた。さらにこれからの時代は、英会話の相手を見つけるという難しい問題が、AIロボットのお陰で解決されようとしている。

既にChatGPTで有料プランにすれば、簡単にロボット英会話が出来るらしい。素晴らしいことだと思う。HelloTalkで話したいと思っても、相手は人間なので、約束を忘れていたり、時差があって面倒くさかったりする。

かといって音声を録音しても、発音の修正はできても、自分の脳内で英文をすぐに出す英会話の瞬発力みたいなものは養われない。

海外の人と英語で話すという緊張感みたいなものは、やっぱり対面であるのが一番いいだろうし、それを乗り越えると自信に繋がってくる。まず自信のない段階では、AIによる練習はかなり効果的に思える。そのうちVRで、シチュエーション別に普通に対面で話しているのと変わらない映像も見れるようになるだろう。

よく日本に来たことがないのに日本の漫画や映画から日本語を流暢に話せるようになる外国人がいる。それは、勉強を楽しんでできたということもあるんだろうが、文化的な興味や共感がすごくあって、自分の中に取り込みやすいということもあるのだと思う。

ただ、言語として言語を学ぶだけでは、どうしても限界があるし、人間同士で仲良くなろうとしたときには限界がある。気持ちを理解することや、文化へのリスペクトや言語の由来みたいなものまで辿っていくと、なんとなく言語が取り込めるようになっていく気がする。

日本人にとって、外国語を1つ覚えるだけでも一苦労だが、海外では生まれたときから2カ国語3カ国語を当たり前のように話すことを前提として生きている人もいる。そんな人と、日本にいる限りは出会うことはできない。

言語の広がりというのは、経済的なボリュームに由来する。アメリカが世界の超大国であるから、フィリピンやインド、ベトナムやアフリカの人達まで英語を話す。中国の経済規模が大きくなってからは、中国語を勉強する人が多い。

日本語というのは、ある意味特殊なポジションかもしれない。日本語を話せるメリットがあると、外国の人に思わせる何かが日本語にはあるということだろうし、なぜかわからないが日本に住みたいと思う海外の人も一定数いる。(大概は1~2年留学して帰るが)

私は前まで日本の文化が嫌いだった。同調圧力とか、そういう陳腐に表現される文化が嫌だったわけではなく、単純に日本の働き方や自由を謳歌しない国民性が嫌だった。

軍隊気質というか、コマンダー以外は働きアリのような文化が当たり前のように守られていて、それに疑問を感じない人は社会人じゃないような、誰もが戦争に勝てないと思いながらも、嫌々無駄な犠牲を垂れ流しているようなことを続けているのが嫌だった。

だが、パンデミックを機に何かが大きく変化したような気もする。地震にしろ、何にしろ、大きな問題が起こると日本人の方向性というのは一気にガラッと変わったりする。それにデフレからインフレへ転換し、長年苦しめられてきたデフレからようやく脱却しようとしている。

30年給料が上がらないと言われ続けてきたが、最低賃金はじりじり上がっているし、おそらく今年の春闘でも、それなりに上がることになる。パンデミックで被害を受けた飲食やレジャー関連も、想定以上のインバウンドで急激に潤っている。

あとは、自分たちで一歩踏み出せば、日本の状況は大きく好転して飛躍すると思う。なんというか、負け癖のようなものが染み付いて、自分たちの欠点を指摘されたときだけ、逆ギレのように「日本は昔からこの伝統を守ってきた」みたいな歴史の話に転換したり、現代の欠点を見直そうとしないことが本当に嫌いだった。

本気で海外から日本の欠点を学んで、自分の持っている力を本当に自分を必要としてくれる場所で活かして、得意で興味のあることに一生懸命になることで、日本人の真価というのは発揮されると思う。むしろ、それが日本という島国がここまで成長してきた歴史だからである。

日本から出て留学したいというと、大概の外国人は「なぜ?日本で十分生活できるだろ?」みたいな事を言う。海外に出るというのは、大概の人にとって自国での生活がままならないから、拠点を移すというイメージが強い。

日本人が海外に出たいと思うのは、もっと日本を良くしたいという考えが根底に染み付いているからだと思う。なぜそんな気持ちが湧くのかは、不満を言うのも称賛するのも、日本人が日本人であることに誇りを持っているからに違いない。

だからこそ、WordやExcelで資料作りをして生計を立てることに私は疑問を感じていた。YouTubeで世界旅行して生計を立てている人を見て羨ましいと思っても、なんとなく自分はそれになっちゃいけない気もしていた。

「もっと社会がこうなったらいいのに。」とか、そんなイメージが湧いてくる人間なら、それを解決するための仕事に就くのがいい。それを解決している国で学んで、日本に持ち帰る方がよほど何か自分の中に充実感で満たされる。

現代なら大掛かりな実験設備を必要としないものであれば、自宅でも海外から勉強することもできる。本当に便利な世の中だと思う。

ただ、小手先の知識を蓄えても、大人になったらそれを還元する場をちゃんと作らないといけない。それは数年単位でできるものではないだろうし、磨きながらおそらく一生かけてやることになる。

人間は鏡を見なければ、自分の姿を見ることはできない。日本を見ようとした時、海外に出るしか方法はない。将来何が起こるかわからないが、日本の将来を憂うなら、日本を国として健全なものにしていく方向を示す人と国民の意思のギャップが大きすぎることかもしれない。

気負う必要はないが、もっと本気で考える人がどんどん目立つ場所に出てきたら、またムードが少しずつ変わりそうな気がする。海外の人と話す度に、2000年以上続いている島国でも、まだまだ改善の余地は残されているように感じる。




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