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春を謳う鯨 ㉒

◆◇◇◇ ㉑ ◇◇◇◆

…だから?

佐竹さんはちらりと、鈴香の顔色を伺った。

お薬、飲んでいい…?

鈴香は軽く、首を傾げながら、苦笑して頷いた。



最後に一度、ごく普通のセックスをしようとして、結局…佐竹さんは遂げられなかったから、「一緒にいけてとても幸せごっこ」をして、鈴香は、一本締めみたいと言って笑った。佐竹さんはツタンカーメンのふりをして、有終の美と元素の話をした。バーで軽食を食べた。駅で、電車が来ているのに気づいて、ふたりで階段を駆け上がった。佐竹さんはあと三段のところで立ち止まり、穏やかな笑顔で軽く手をあげ、鈴香を見送っていた。

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◆◇◆◇◆◆◇◆◇◆

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鈴香は、ミナガワのことを思い出す時間が、好きだ。

前から、飲みに行ったあとも、遊びに行ったあとも、泊まりのあとも、ふと思い出すことはもちろん、あったけれど、ミナガワに体を許してからは…こんなに、体が熱くなるような思い出しかた…比べようもないほど、ミナガワとの時間は濃密になって、ところどころは、体が反応するくらいはっきりと、覚えている。

ミナガワは…? ミナガワも…? ミナガワは鈴香に触って、どんな気持ちに、なるんだろう…。鈴香はミナガワのことを考えようとして、ミナガワのことを思い出す。そして思い出すと、体が熱くなって、胸が高鳴って…考えるのをやめて、ずっと、ずっと、思い出そうと、してしまう。

鈴香が行ってしまうって決めたら、どんなに追いすがっても、どんなに引き止めても、もうだめなんだろうなって、思うよ。

鈴香はミナガワの髪を洗って…そうだ、鈴香の部屋の浴室は狭くて、ふたりで洗い場にいるのは難しいから、鈴香はミナガワだけ浴槽に残して、自分は外に出て、洗ってあげた。

腿のあいだに手を挟んで仰向き、背中を反らせたミナガワを見下ろした鈴香は、ミナガワの寄せた二の腕へ零れ落ちている、ふっくらした山並みに、そっと手を添えて、…ミナガワは、指先に返ってくるのと同じ優しさで、微笑んでいた…。ミナガワは鈴香が渡したバレッタで、髪を留めた。濡れて色合いの濃くなった髪をざっと、搔き上げて、まとめるミナガワを、鈴香はどきどきして、見つめた。メイクを落としたミナガワは、大雨のあと蕭然と立ち尽くしている少女のような、ときおり寂しく光って見える、透き通ったまなざしを、水面に向けていて…鈴香はそんなミナガワを見ると、森に分け入って鹿を見つけた人が、鹿と見つめ合うほんの一瞬のような、はっとした気持ちになる…。

「もう」…「だめなんだろうな」…? どうして、そんな話になったのだろう…?

お湯は、ぬるま湯で…鈴香は、自分の体に付いた泡を流して…ミナガワに向かい合うように、ミナガワの腿を脛で開く格好で、浴槽に入ってから、斜めに脚を崩して、ミナガワの腰骨に両足を添えて、反対の肘を縁に乗せ、ミナガワの膝と腿の上に、手を置いた…。

鈴香のこと好きな人に、できるのは…きっと、鈴香にここにいてもらう時間が、少しでも長くありますようにって、願うことだけなんだろうな。他には、何にも、できない。

ミナガワは鈴香にちゃぷちゃぷとお湯をかけて、流れ落ちる水滴を逆さに撫でて、掬い取って、楽しんだ。時々、脇から鎖骨へ、鎖骨のつなぎ目から顎へ、指が滑った。鈴香は瞬いて、合わせた膝に力を込めた。

でも、私はどこかに行ったり、しないのに。

それは、鈴香が行きたくないと思ってるだけ。私が…私たちが、引き止めてるからじゃ、ないんだよ。

薄情ってこと?

ううん、鈴香はすごく優しくて、思いやりのある人だよ。鈴香はそういう優しさや思いやりを、まるで、当たり前みたいに持ってるけど…私みたいな普通の人間には、その当たり前な感じが、眩しいんだよね。普通は、鈴香みたいにいようと思ったらきっと、すごくいやしい気持ちからそうしたり、気持ちがいやしくて結局できなかったり、するんじゃないかなぁ。でも鈴香にはそういうの、全然、ないんだもん。

…。

鈴香の優しさは鈴香には当たり前で、…当たり前に、鈴香のもので、鈴香が優しくしてあげる人のものじゃ、ないんだよね。鈴香が行ってしまうときはね…きっと、なにも言えないし、できない。しょうがないよ。なにかをしたから、いてくれたわけじゃない…ただ鈴香がいたいから、いてくれただけなんだから。

じっと聞いてはいるけれど、何も言えないままの鈴香に、ミナガワは寂しげに笑いかけた。

あんまり、うまく言えなかったかなぁ…。なんか、ごめんね私、根が暗いから…いっつも、諦める練習、しちゃうんだと思う…。

ミナガワ、…。

あのね、鈴香ってなんだかね、夢みたいな人なんだよね。本当にいたら、いいなって夢、見るでしょ、それで、本当に本当だから、夢を見てるような気になっちゃうの。

え…ミナガワも…? ね、私には…ミナガワが、そんな感じだよ…? ミナガワが私のこと好きすぎる気がして、そんなはずないって思うとき、結構、ある…。

鈴香は冗談めかした口調に変えて、続けてみた。心配になるもん。大丈夫? ちゃんと普通の私、見えてる…?

見えてるよ、だから、その普通の鈴香が私には、特別なの。と、ミナガワは答えた。

それは、だって、ミナガワが特別だから…。ミナガワが優しいから、優しくしたくなるんだし…ミナガワの気持ちがそれなりにほしくて、思いやりのあるふりしてるときだって、あるよ? ミナガワが私のことどんどん、甘やかすから、慣れちゃって嫌われないか、すごく不安になったりもするし。

ミナガワは鈴香の鼻に浮いた汗を指の背で拭って、鈴香の頰を包んだ。

鈴香…。もう。そういうところがね…? はぁぁ、好き!って、なっちゃうんだよ、もう、もう、もう…嫌うわけない、もっと好きになるに決まってる。もっともっと、甘やかされ慣れてほしいよ。ね。やっぱりこれじゃなきゃ、あまーいって、うっとり、言ってほしいなぁ。

うっすらと、照れながら、あ、まーい、よ? と、呟いて、夢見ごこちなのは、私だな…と付け足した鈴香に、ミナガワはにっこりと、笑いかけた。

ね、鈴香がここにいることが、誇らしくて、嬉しい。

…誇らしいなんて、そんな…。

鈴香といるとね、選ばれているために頑張ろうって思える。それで私が頑張ってると、鈴香はそれを、応援してくれて。達成すると鈴香は、私が自分の成長を自分で喜んでいるのを、一緒に、喜んでくれるでしょ。それがどんなに、心強いか…。

…? それは…そういうものじゃ、ないの…?

ミナガワは、目を細めて、言ったでしょ、鈴香には、そういうもの。ね…? と、鈴香の肩先の鎖骨を、確かめるようになぞった。

鈴香といるとね、自分が、どんどんよくなるの。よくなりたいと思ってる自分を、ちょっとくらい信じてみようって、思えるんだよ。

ふうん。魔法使いみたい。変なの…。

鈴香は微笑んだ。もちろん悪い気はしなかったけれど、あまり、しっくりともこなかった。ただ、そうやって話すミナガワの、明るい声音には、通りがかった道端で綺麗な花を見つけたような、気分の良さを感じていた。

うん。鈴香は、魔法使いだよ。と、ミナガワは真剣な面持ちで呟いて、そんなミナガワを鈴香は、抱きしめた。抱きしめて、それでもなんだか足りなくて、もどかしくて膝立ちになって、ミナガワに覆いかぶさってみた。鈴香はミナガワの背中に浮いた肋骨の間に沿って指を当てて、ミナガワのこめかみに、頰をくっつけた。

ほらね…鈴香…。

…?

やっぱり魔法、使ってる…。

ミナガワは頭をゆらゆらと巡らせて、鈴香の頰を押し返しながら、囁いた。

好きすぎて怖い気持ち、こんなに嬉しく受け入れたこと、ないもん…ね、鈴香…私、鈴香じゃなきゃ…。

ミナガワは、背中もとても、綺麗なんだな…と、鈴香は思った。ミナガワのピアスホールを、舌で、確かめた。ミナガワは柔らかく、ため息をついた。

ミナガワ。…私、あれ、やってみたいなって、…いま、思って…。

あれ…?

鈴香は唇を結んで俯いて、なんと言ったものか、考えた。ミナガワが鈴香をじっと見ているのが、俯いていても、わかった。

あれって、なに…?

鈴香は躊躇いながらも、あの…ふたりで、こうやって、やるやつ…と、自分の両胸をひっそりと、両手で押し上げた。

鈴香…。

ミナガワは、答える代わりに自分も膝立ちになって、鈴香の両手を取り、重たげに影を作っているその丸みの下に導くと、自分は鈴香の乳房を丁寧に、包んで、その鋒を、鈴香が支えている自分の先端に、触れさせた。

ああ、すごい、こんな…。

思わず呟いた鈴香に、ミナガワは盗むようにキスをして、微笑んだ。交互に、周りや付け根を愛撫した。鈴香は、ずっしりと鈴香の掌に委ねられるミナガワを、うっとりと、感じていた。

あ、…ミナガワ…ミナガワも、硬く、なってきた…? 私すごく…興奮、してる…。

ミナガワは、鈴香、ちょっとずつ、ちょっとずつね…? ぴったり、くっつけて、だんだんくるくるって、擦ってみよっか…? と、吐息交じりに、囁いた。


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今日は明日、昨日になります。 パンではなく薔薇をたべます。 血ではなく、蜜をささげます。