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澪里という人(の、素描)

【あわせて読みたい:これは短篇『大人の領分⑤澪里』の付録です。なにやら複雑な事情を感じさせるこの人に、さまざまな角度から光をあてるこころみ。傷つく自分が悪いと思っちゃう人っているんですよね、生き抜いて大人になるまでには色んなことがあります、頑張ってればだんだん夜が明けてきます、友情というのはかくも複雑で困難でかけがえのないものです、大人な澪里の、こどもの国。ほか】

なにも、シリーズ最後にこんな切ない主人公、持ってこなくてよくないか…? って、きっと私がいちばん思ってますよ、ええ、クッション系代表、澪里さんは、中堅香料メーカーの化粧香部で働く中堅調香師。小規模アパレルメーカーなんかが季節販促に出すオリジナルクリームやオードパルファンなんかの受託開発が主なお仕事です。キレイなのでホームページに白衣を着て出ており、荻原さんは夜のお供にこのページを何度使ったかしれず、友人に武勇伝的猥談をするときにはこのページを見せます。うわ、最低。最低な荻原さんの話はおいおいすることにしますが、澪里の性格はどうも、弱々しいところがあって、そこを弄ばれているうちにそれが癖になってしまったきらいがありまして、鶏と卵の問題になりますが、昔から身勝手な友達とか、身勝手なクライアントなんかに好かれがちです。で、頑張っちゃう。時には頑張ったなりに成長もし、結果も出てまして、新しいクライアントさんに営業の人がベテランとして澪里を紹介した時のクライアントさんの印象は、「この人なら責任を持ってやり抜いてくれそう。うちのブランドを一緒に考えてくれるだけの経験もありそう。それに、なんだかうちの商品にぴったりな、キレイな人だなぁ」です。はい、きちんとした、立派な、大人の女性なんです。

澪里はちっちゃいめの153㎝、歪みのない左右対称な顔立ちと、美しい地眉、黒目がちなじゅわっとした感じの甘い目元が特徴的な人。商売柄、健康がすごく大事なので、体のコンディションにとても気を使います。体組成計の体年齢24歳。内臓年齢26歳。健康診断はフルフルのA評価、普段はメイクしてないので、肌、全然傷んでません。柚希さんや蓮くんに会うと分かっている日はメイクしますし、荻原さんに会う日もメイクしてましたが、わ、華やかーってなるのに、結局、人間的なギラつきに欠けていて、ポスターの無名のモデルさんみたいな感じですね、その場では人目を引くんですが、印象に残りません。

澪里には数年前、といってももう5年以上前になりますが一応、正式というか普通というか、大学時代から5年付き合ったのちに2年同棲した彼がいまして、この彼が結婚に踏み切るのをなんとなく待っていた時期もありました。あるとき、飲み会で同級生が彼に「お前、もう結婚してやれよー」と言ってるのを聞いてふと、自分は結婚して「もらう」立場なんだと思ったところからモヤモヤが始まり、彼の上司がいる席に深夜に何故か呼びつけられ、ベロンベロンの上司に「お前、こんなにキレイでまともな彼女、お前にゃもったいねーよぉ」と言われたベロンベロンの彼が「いやーもうときめきとかないですよ、こいつも俺ももう若くないし、熟しきっててもはや、家族です」と答えているの見たときに、そんなベロンベロンな彼にまだ、普通にときめいているらしい自分が虚しくなり、考えごとを深め、その後まもなくして別れました。彼は一年経たない間に、婚活サイトでマッチした五歳下の保育士とおめでた婚(同級生情報)。いまはもう、連絡ないです。以来、ご想像の通りモヤモヤしたやるせない男性関係をいくつか抱えながらも仕事は頑張って、受託なんで名前は出ないんですが結構な回数の中堅ヒットを飛ばし、中堅どころの地位を固めた澪里。31の時に、場所はとある小料理屋、澪里をまだ、行っても27くらいだと思って声をかけた当時35歳の荻原さんと「お付き合い」することになりました。この荻原さんがね…お金と性欲はあるけど女性に対してすごくコンプレックスがある、セックス弱いのに性欲強い、かなりしょーもない人だったんですが、ちょうど、お金がないうえ、奥さんにバレるとやだから、とか言っておしゃれもしないでデートに来るような薄汚い既婚子持ち青年との薄汚い恋愛に燃え尽きていた澪里は、見た感じ小綺麗で金離れもよく、まあセックスは弱いけど優しい荻原さんが、すごく良い物件に見えた。問題は荻原さんに貞淑な妻がいることだった、と言いたいところですが、最たる問題は荻原さんが異常に貞淑な人を妻に選んだ異常な背景でした。そうなんです、荻原さんは自分とセックスする女性を全員「[自主規制。聞くにも見るにも耐えません]」と呼んで蔑むことでしか欲望を達成できない、変態EDおじさんだったんですね。困ります。とはいえ、自分を無理矢理薬で勃たせて、澪里が下手だと責めながら2時間もあれこれさせるようになったのは末期の話。はじめのうちは普通を装い、膣内射精障害を理由に毎回どうにかこうにか手で達成してましたし、前戯も本番も普通、食事は特上、澪里にちゃんと洒落たプレゼントもしてました。そのうち、閉鎖空間での様子がおかしくなってきまして、騎乗位してるときにあっちを向いて君の全てを見せて欲しいとか言い出し、視姦したいと言って澪里をテーブルの上に四つん這いにさせてブランデーをくゆらせてみたり、澪里だけ裸にして床でコンニチワさせてえっちな質問をしたりするようになり、そのうちちょっと、こんな私の口からでさえ出せない恥ずかしいことを要求するようになり、澪里はそれでも、事前事後の荻原さんが澪里を大切な女性のように扱って大好きだよとか棒読みに言うのを信じて頑張ってたんですが、ある日、(相変わらず、)荻原さんご所望の剽軽なポーズで自慰してみせてほしいって言われてやはり頑張ってた澪里が、それはまあ澪里には当然というか、特にすごく気持ちいいわけでもなく困惑していたところ、荻原さんが「そんな調子では友達に貸してあげられない」と言い放ちまして、さすがに腑に落ちなくなって別れを切り出したのでした。ちょうどよかったよ、君みたいに堕ちきった変態女に付き合うのはもう疲れたと思っていたところだ、と、やはり腑に落ちない捨て台詞を吐かれ、腑に落ちないまま、澪里は気分だけはどん底まで落ちきって半年くらい過ごし、そんなある早朝、貧血で気を失ってしまった柚希さんに愕然として意を決し、澪里宅のインターホンを押したピカピカの小学一年生、蓮くんと、出会ったわけなのですね。

柚希さんと蓮くんとのこれまた複雑な関係は柚希の素描、あるいは蓮の素描に譲ることにしますが、「おうちの人が動かない」と小学一年生の男の子に言われた澪里は大人としてしっかり対応せねばと、初めて隣人宅にお邪魔し、そこにぐったりとしてた柚希にはしかし意識が戻っていて、滅多にないんだけど何回かは経験があった貧血と判明、ことなきを得ました。その日から、この二人と澪里とのふんわりした交流が、少しずつ深まりながら、今日に至っている次第です。

さてこの、麗しのワンレン大人美女、営業用のスーツが似合いすぎて、山手線から半蔵門線の乗り換えで渋谷歩くだけで色んな人を振り向かせる、ノンケ上等のバリタチ柚希さんですが、はじめは澪里にそれほどピンとこなかった。くどいようですが澪里は人間のギラつきが全くなく、キレイなのに印象が薄いんです。けれども、柚希を事情の深いシングルマザー? と認識して、特にメリットはないはずなのに柚希が困る日の蓮のお迎えやら勉強の面倒やら食事やら、地雷を完璧に避けながらほぼほぼ完璧に助けてくれる澪里の素晴らしいクッションぶりに、次第に興味を持つようになりました。澪里は体が疲れてない午前中が仕事のクライマックスなので朝早く夜早いとか、そこそことはいえ売れっ子の特権、使いものにならないと自分で思う日は早く帰ってこれることもあるとか、独り身でヒマだからではなく、プロ意識からジムや整体に通っててすごくヘルシーな体をしてるとか、マスコミ嫌いでその辺はマネージャーみたいな人に任せてるとか、その形のいい頭には、膨大な量の化学式が詰まってるだけでなく、悲しい思い出もたくさん詰まってるとか。よくよく酒の肴に聞くと、澪里の最後のしあわせな恋愛は、高校の同じクラスの女の子と家を行ったり来たりしてキスしたりしてた時期だったらしい。澪里はこのとき、よくある話というか、柚希の性的なところについては、子どもがいるくらいだからと特に、ダイバーシティ云々みたいなところまで思い至らなかった。むしろ、自分のちょっとした性自認のミステリーというか、荻原さんのありえない性癖を語ってしまったついでに、ポロリと出た話でした。いま思えば、あのとき私、すごくしあわせな恋愛してたんじゃないかって思う。体が付いて行ってなくて結局、大学で別れ別れになって立ち消えたけど、もしいま会ってれば、あの子ともっとちゃんと、恋愛できてる気がする…と、澪里はたどたどしく当時の思い出を語りました。蓮くんが寝たあとの金曜の夜でした。柚希は澪里に優しく口づけ、いいよ、しあわせな恋愛、しようよ。私と。と、澪里をだきしめて、言ったのでした。このように…澪里にはいつも、そう、いつも、天国の香りのする地獄の釜が、口を開けるわけですね。だれか澪里を助けてあげて、と思わなくもないですが、だれかに助けてもらわなきゃ助からない人って、基本、助かりませんからねえ。これ以上頑張ったら壊れちゃいそうですが、頑張れ澪里、以外に言葉がでてきませんね…。

さてここいらで、澪里への世間ニュース仕入担当、同じ大学に同じ高校から上京して長年友人をしている同窓生の綾部さん(35)にインタビューしてみたいと思います。柏木くんよろしくお願いします。

柏:よろしくお願いします。
綾:よろしくお願いします。
柏:早速ですが自己紹介をまず。
綾:綾部です。化粧品の会社で研究員してますが、澪里とは仕事のつながりはありません。
柏:なんのつながりがあります?
綾:特につながってません。澪里の不倫体質、俺はちょっと汚らわしいと思ってるし。ソーシャルの方も、澪里は目にストレスだからってゲームしないし、仕事で気にしすぎてて嫌気がさしてるって、SNSとか毛嫌いしてるし。あ、SNSといえば、こないだエゴサーチしてみたら似たような名前の、気持ち悪いノリの港区女子と、売れてない見苦しい地下アイドルと、高学歴をかさにきたけばけばしい自傷系ブロガーがヒットして、すごいウケた。名前が悪いんじゃねえの。いまさらお相手見つかんないだろうけどさ、苗字変えたら運気変わるかもよ。
柏:その…ちょくちょく、澪里さんに対して棘があると思いますが。
綾:苛々してはいるかもね。
柏:なぜでしょう。
綾:なぜ。なぜって。いまもう、俺と澪里のビジュアルと性格、比べてみたらわかるでしょ。澪里は昔から色々なもん持っててさ、でも、自分のいいところをないがしろにして、手にしてるものをどうでもいい人間にあげちゃうんだよ。俺みたいなのとディズニーランド行っちゃったりして、すれ違うぶっさい男から、そいつとできるなら俺ともできるだろ、みたいな視線を投げかけられて、本当は居心地悪いくせに、何も見えてないふりをする。とかね。見ててこんなに苛々すること、ないよ。俺が澪里だったら、あんなボロい会社さっさと見切って、大きい仕事できるとこ移るし、いい男に奢らせまくってやりまくるし、セルフブランディングに余念なくオシャレしまくるね。そういうのを投げ捨てて、挙句、クソでダメでカスな男に髪、引っ掴まれてズルズル引きまわされるような、ノー不幸ノーライフみたいな生活ずっとしてんだぜ。見てるこっちが死にたい。
柏:…。綾部さんはひねくれ者だから言いかたがそうなるけれども、澪里さんのことは普通に友人として大事に思ったり、心配したりしている、ということで、いいですかね。
綾:俺に…普通に友人になる資格があるんなら、もちろん、普通の友人になってあげてるだろうね。
柏:はあ。…すみません。鬱陶しくなってきました。
綾:…。自覚はあるよ。
柏:だったら直せばいいのではと、僭越ながら多少、思わなくはないですが…。
綾:…俺のこと、よく見てみ? 目、合わせて、見てみろよ。なあ、どうやって直すの? 直して何があんの? せめていい人になって、なんか得すんの?
柏:保証はしません。
綾:…。いい人が得しない話、してやろうか。俺、澪里が結婚しかかってた奇跡の時期にさ、カレシの浮気、ずっと黙ってたの。
柏:それは…たしかに、判断が難しいですね。
綾:難しくないよ。言えないって。澪里はそいつと、結婚したいんだよ。その、カレシもさぁ、内面ずるんと裏返したような、ひどい見た目のクズなの。でも、俺は俺でこんな人間じゃん。俺が澪里をどうこうできるわけないでしょ。澪里の人生なんだからさ。俺の気持ち、わかる?
柏:あまり経験したくないですね。
綾: 俺だって経験したかねえよ。
柏:結局…。
綾:澪里はそいつと別れて不倫体質になって、俺はそのことは一生墓まで抱えて生きることになった。
柏:暗い。…あ、すみません、つい本音が…。
綾:一生、暗い道を生きていく人間もいるんだよ。明るいほうばっか見てんじゃねえよ。虫かっつうの。焼かれて死ねばいいのに。
柏:くら…いえ、なんというか、正直に言わせてもらうと、僕の気分がすぐれなくなってきましたので、この辺で終わりにしようかと思うんですが。
綾:あのさ、自覚があるから終わりでいいんだけど、せっかくなんで最後にさ…あのな、俺は、いいんだ、俺は別に、ここにぽっと出てきただけの、顔も口も悪いミソッカスでいい。でもさ、もし、もしもだ、柏木くん? だっけ? な、柏木くんが、澪里をしあわせにしてあげられる誰かにつながってるなら、その人に伝えてほしい。…澪里を、…しあわせに、死なせてやってほしい。他はみんな諦める。俺が生きて、死ぬ時に思い残すことがあるとしたら、それだけだ。澪里を頼むと、伝えてほしい。
柏:…。いまもどこかで聞いてるとは思いますけど…僕の方からも、言っておきましょう。きっと…僕はあまり、そういう話はするなと言われてはいるんですが、…作者は、澪里さんから全てを奪い尽くせるほどには、心根が強くない。澪里さんはきっと、…どうなるかは、わかりませんよ、でもそのうち、振り返って、まあまあ悪くない人生だったと、思えるようになるんじゃないっすかね。

…。

そっすかね…?

どうしましょう。ね…?


大人な澪里の、こどもの国。自分へのお誕生日プレゼントに銀座和光で購入した、4万円のメルヘン髪飾り。ランのあと、コームダウンが終わってもしばらく続く、全細胞で呼吸してる感じ。とりあえずなんでも「くんくん」する癖があって、いちばん好きなのは予想外に汗ばむ陽気になった日にアウターを脱いだとき、自分の胸元から立ち上ってくる甘い、汗の匂い。と最近は、蓮くんの耳の裏に混じってる、シュガーミルクの匂い。チョコレートの匂いは、色々ある。憧れで買ってみた黒レース下着。は勇気がなくて、誰にも着た姿を見せていない。フィットネスクラブのサウナは、常連マダムの会話を聞くとちょっと世間ずれする気がするから、あんまり行かない。ディズニープリンセスで好きなのはアリエル。足のサイズが22cmだから、靴がないことがある。柚希さんの上布団カバーの手触りが、柚希さんのフェザータッチみたいで、興奮する。ことは、内緒。蓮くんがくれた鏡文字まじりの「てかけます みおりちやんた"いすき みおりちやんかわいいね わすれてないからね れんより」の折紙の置き手紙を、ファイリングして保管してあること。ひとりで夜、布団にくるまって、通り過ぎて行った色々な人がふと、思い出されて涙が出てくる、のを、大丈夫、大丈夫もう、みんないない、って、呟いて、壁一枚隔てた隣で柚希さんがその、綺麗な爪の手入れを念入りにしてたりするのを、想像しながら、眠りにつくこと。


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今日は明日、昨日になります。 パンではなく薔薇をたべます。 血ではなく、蜜をささげます。