Haru@要介護5の母と家族の物語

2021年6月に58歳だった母が脳出血により要介護5と認定されました。突然の病によって…

Haru@要介護5の母と家族の物語

2021年6月に58歳だった母が脳出血により要介護5と認定されました。突然の病によって変わった家族の生活や感じたことを書いていきます✨😌父(61歳:会社員)、母(主婦)、長女(私🙋‍♀️29歳:会社員)、長男(25歳:会社員)、次女(21歳:大学生)、猫1匹の仲良し家族です☀️

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  • 要介護5の母と家族(急性期病院編)

    脳出血で要介護5となった母が救急搬送されてから急性期の病院にいる間までの家族の物語です✨悩んだり落ち込んだりする日々も、前を向いて家族で乗り越えていこうとする姿も赤裸々に書いていきたいと思います!😌介護に携わる方も、そうでない方にも色んな人に読んでいただきたいです!☺️家族の想いを綴っていき、いつか母に伝えられたらと思っています!今も悩んで泣いたりする日もありますが、母が言っていたように、「人生起きることにはすべてに意味がある」「明けない夜はない」の言葉のように、どんな状況でも家族で力を合わせて頑張りたいと思います!

最近の記事

意識を取り戻した母

2021年6月27日に脳出血で母が入院して もうすぐ2ヶ月が経とうとしていた。 急性期の病院には、 入院できる期間が国で決められていたため、 8月末には退院し別の病院へと 移動しなければならなかった。 自立呼吸が回復し、一般病棟に移ったものの、 2ヶ月意識は戻らなかった。 母は意識が戻っても 後遺症が残り歩けないかもしれない。 これまでと同じように 生活することもできないかもしれない。 それでも意識が戻った母に伝えたいことが 私たち家族にはたくさんあった。 ----

    • 母がいない誕生日

      2021年8月7日は私の20代最後の誕生日だった。 母が脳出血で入院し1ヶ月と少し経った頃、 私は必死に願っていた。 「どうか母の意識が戻るように」と。 ---- 私たち家族は仲が良く、小さな頃から誕生日には 大きな丸いケーキを囲んでお祝いしてくれた。 甘いものが大好きな私には、 夏にぴったりなアイスケーキを いつも買ってくれた。 家族がいること みんなで一緒に食事ができること そんな当たり前の毎日が 本当に幸せなことだったんだなと 今になって気付かされた。 大人

      • 母と話したい

        母が入院して2週間経った時、 主治医の先生よりこのまま自立呼吸が回復しなければ、肺炎の危険性も感染症の可能性も高まるため、気管支を切開する手術を行わなければいけない、と言われた。 そして、手術するどうかの決断を迫られた術後3週間経った頃に、母は自立呼吸が出来るようになった。 病院から知らせを聞いた父からLINEで家族に連絡があったとき、出かけていた私と妹は声を上げて喜んだ。 母はそもそも、脳出血で倒れた時に実家に弟と父がいなければ、発見が遅れて病院に運べなかったかもしれな

        • 母が倒れた後の仕事復帰

          母が脳出血で入院して半月が経った。 脳出血の血を取る手術をしたが、少しずつ血が広がってきていて、頭の中の水の通り道が塞がっていて、意識が戻らず人工呼吸器もつけたままだった。 寝たきりの状態が続いているため、エコノミークラス症候群、肺炎、脳梗塞の再発、いつ何が起きてもおかしくはなかった。 母が入院している際には、週1回の面会以外は会うこともできなかったため、リモートワークではあったが、私は仕事を再開した。 母の手術費・入院費はとても高額だった。 母の生命保険や、高額医療費

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        • 要介護5の母と家族(急性期病院編)
          16本

        記事

          世界で1番尊敬している母

          母が脳出血で倒れ、意識がない状態が続いている中 私たち家族は、いつどうなるかわからないことに 日々不安を抱えていた。 そんある日の夜、父が突然パソコンに入れられていた昔の写真を探し出してくれた。 そこには、優しい母の笑顔がたくさん詰まっていた 母が倒れたことによって 失ってしまったことや未来への不安を抱えていたが 母とのこれまでの思い出や、母からもらった沢山の愛情を思い出すきっかけにもなった。 ----- 娘から見た母は、 とても厳しくもあり、優しい人だった。 私の家

          世界で1番尊敬している母

          母が倒れて変わった私

          母が脳出血で入院してすぐに 私自身も、私の生活も変わった。 母が入院することとなり生活は一変した。 母が倒れる前は、実家の掃除・洗濯・食事などすべての家事を母が担っていたこともあり、家のことが回らなくなった。私は実家を出て、家のそばで暮らしていたが、実家には弟と父と母の3人で暮らしていたため、生活を守る必要があった。妹や弟と分担をしながら家事を行っていたが、慣れていないこともありなかなかうまくいかなかった。 すごく時間がかかったりもして、みんなで協力していてもうまく連携で

          母が倒れて変わった私

          集中治療室での面会

          救急で搬送された数日後 初めて母と面会できることとなった。 数日経った後も、母の意識は戻っていないこと いつ何が起きてもおかしくないと 主治医の先生から言われていた。 コロナの影響もあり、集中治療室に入れるのは 一回につき2.3人ずつ面会することとなった。 父、弟、妹、祖母、叔父、叔母、私の7人で病院にいたため、3回に分けて母と会うことになった。 まず最初に妹と弟が集中治療室に入ることとなった 救急で運ばれたときは、 弟と父と私しか面会できなかったため、 妹はやっと母に

          3度の脳梗塞と戦った母

          脳出血で意識の戻らない母。 救急で運ばれた後1週間が経っても目を覚さなかった 母に明日はくるのか。 これからどうなるのか。 何も分からず不安で押しつぶされそうなとき、 何か母につながるものに触れていたくて、 母が大切にしていたノートやら手帳やらを取り出し 母の言葉を読み返していた。 ----- 2021年58歳で母が脳出血で倒れる前に 2016年の秋に脳梗塞と診断され緊急入院していた。 そして同年の冬、2017年の2月と 短い期間に3度の脳梗塞を経験していた。 3度目

          3度の脳梗塞と戦った母

          母に明日はくるのか

          母が救急で運ばれた2日後、 母のその後の経過を聞くべく、病院に行くこととなった。 父、私、弟、妹、そして母の兄である叔父や叔母、私の祖母も朝の10:00に病院に集まった。 手術を担当してくれた先生より、 術後の経過を聞いた。 ----- 脳の中の出血が引かずにいて、 まだ命の危険があり、集中治療室にいること 手術の際の麻酔は切れているが、 まだ意識が戻らず、人工呼吸器をつけていること 仮に万が一意識が戻ったとしても、 重度の後遺症が残り、 自立しての生活はほぼ無理

          落ち込んでばかりはいられない

          脳出血による母の手術・入院をきっかけに 色々な手続きが必要になった。 仕事で忙しい父に代わり、 私たち兄弟で書類の申請やらをすることになった。 保険の手術費・入院費の手続きや 高額療養費の限度額適用認定証の申請をすることとなった。 とにかく聞きなれない言葉が多く、 制度についての理解をすることがすごく難しかった。保険や書類の手続きなどはこれま母が行ってきたことが多く、子供の私たちは知らないことばかりだった。 特に困ったのは、家の中にある母の書類がどこにあるかわからない

          落ち込んでばかりはいられない

          家族の絆

          母が手術をした当日の昼に 遠方で一人暮らしをしている大学生の妹が電車で自宅にやってきた。 妹はまだ大学3年、突然の出来事に驚き 一人暮らしをする家で不安な夜を過ごしていただろう。 妹の大学はコロナウイルスの影響で、 オンライン授業が続いていた。そのため、大学がある期間もしばらく実家で過ごすことができるようになっていた。 3人兄弟がようやく揃って、 母が救急で運ばれるまでの経緯を 私や弟から伝えていた。 妹はただ涙を流して話を聞いていた。 しばらくして母の話しを終えた

          夢なら覚めて

          母の手術が終わった後、私は疲れ果ててベットで寝たが1時間おきに目が覚めてしまい 7時には寝ることを諦めた。 起きるたびに、悪い夢でも見たんじゃないか。 現実で起きてることじゃないんじゃないかと思って 昨日の記憶を何度も思い返していた。 私以外の家族も、私が起きる頃には起きていた。 きっとみんな眠れなかったのだろう。 父はいつもと変わらずに仕事に行った。 父は母が入院した日も、少し時間が経った今になっても泣いているときを見たことがないし いつも通り仕事に行き続けていた。

          命を繋ぐ手術②

          手術は緊急で運ばれた当日の夜中の12時から3時半まで行われることとなった。休日の救急の担当を脳外科の先生が担当していたことで手術ができるとのことだった。 緊急の電話がかかってくる可能性があったため、 父・弟・私の3人は自宅で待機し、 誰かしらが起きている状態で連絡を待った。 父はこんな状況でも仕事を休めなかったため、 手術開始後1時間ほどして、次の日のために休んでもらった。 夜通し私は起きていた。 遠方に一人暮らしをしている妹とビデオ通話をしなぎら、連絡が来るのを待って

          命を繋ぐ手術

          母が救急車で運ばれ、自宅に帰ってきた後、すぐに病院から父へ電話があった。 「再度出血をしているため手術をします」 手術の説明を聞くために父1人で病院に行った。 手術をしても血が止まらなければ、亡くなる可能性があることと、手術をして一命を取り留めたとしても、意識がないことや重い後遺症が残ることは覚悟してほしいと言われていた。 私はただ言葉を失い泣くしかできなかった。 「ママは死んじゃうの?」「もう会えないの?」 昨日会ったばかりだったのにどうしてこんな急に… まだやりた

          病院に運ばれるまで。

          救急で運ばれた後、実家へと帰ってきた。 そこで弟から、救急車で運ばれるまでの母の様子を教えてもらった。 ------ 夕方ごろ自宅の三階にいた母が一階にあるリビングに降りてきた。 突然の頭痛・めまいに襲われ、椅子に座ったまま頭を押さえていた。異変に気づいた弟は、リビングの横にあるソファに母を寝かせた。 その後強い吐き気があり母は急に吐いてしまった。 また、トイレに行きたいと言い出したが、一人でトイレに行くことができず、父が付き添って行ったが、自分で排泄物の処理をす

          母が倒れた。

          2021年6月27日。 仕事の残業中に、弟からの着信があった。 「ママが救急で運ばれた」 突然の出来事に驚き、急いで荷物をまとめて職場を出た。5年ほど前、脳梗塞で倒れたことのあった母だったため、手の痺れや呂律が回らないなど、軽度の症状で済むだろうと思っていた。この時までは。 最寄りの駅からタクシーに乗り、病院へ向かった。病院に到着すると、処置室の前の椅子に父と弟が座っていた。私が到着する前に病院の先生から説明を聞いていた弟から今の症状を聞いた。 診断は、小脳出血。