見出し画像

母が倒れて変わった私

母が脳出血で入院してすぐに
私自身も、私の生活も変わった。

母が入院することとなり生活は一変した。
母が倒れる前は、実家の掃除・洗濯・食事などすべての家事を母が担っていたこともあり、家のことが回らなくなった。私は実家を出て、家のそばで暮らしていたが、実家には弟と父と母の3人で暮らしていたため、生活を守る必要があった。妹や弟と分担をしながら家事を行っていたが、慣れていないこともありなかなかうまくいかなかった。

すごく時間がかかったりもして、みんなで協力していてもうまく連携できず、兄弟ですぐ喧嘩をしていた。

母と同じようにはできないと分かっていても、みんなが栄養取れるような食事も作ってあげたいし、掃除洗濯も完璧にやりたいと思ってしまっていた。

疲れること・大変なことが分かっていても、
生活の質を落としてしまうと母がいないのを嫌でも思い知らされてしまう気がして、無理に頑張ってしまっていた。

------

また、仕事も変わった。母が生死を彷徨っている中で仕事に集中できるわけもなく、しばらくお休みをいただくこととなった。私は児童福祉分野に関わる仕事をしており、複数の施設で兼務をして働いていた。
4月に昇格し、これから自分のやりたいことの実現のために動き出そうとした矢先に、母が入院することとなった。

色んな人に関わる仕事をしているときに
気持ちが揺れ動く出来事があった際、
自分の気持ちを保てず、セルフコントロールをしながら働くことができないと思ったからだ。

これでは利用者の方や一緒に働くスタッフを逆に不安にさせてしまうと思い、働くことができなかった。職場は幸いにも、相談しやすい環境だったこともあり、有給をとって休んだり、在宅勤務へと切り替えさせてくれた。

-----

私の気持ちも体調も変化をしていった。
日中は実家と自分の家の家事で忙しくしていたが、
夜が怖くて眠れなくなった。

母が病院に運ばれたことが夜だったこともあり、
夜になり、空いている時間が増えると
自然とぼんやり母のことを考えてしまった。

いつまた携帯が鳴るか、
母がいつ急変するか分からず、
携帯を手放せなかった。

音がしない環境が怖くて、
夜寝る寸前までYouTubeを見たり
ラジオを聴いていた。
お風呂に入る時も、ご飯をたべるときも、
何か見たり聴いたりして没頭できるものや思考しなくて済むものが欲しかった。

そして1人でいるのが怖くなった。
突然何か起きたらどうしようという思いから、
夜に一人で過ごすのが嫌になり
同棲している彼が夜勤などで夜にいないと
朝方彼が帰ってくるまで寝られなかった。

最近は今の生活にも慣れてきて、眠れるようにはなってきたが、未だに携帯を肌身離さず、ボーッと何もせずに過ごすことはできずYouTubeと共に生活している。

そんなこんなで、
なんとか自分を保てている状況だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?