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集中治療室での面会

救急で搬送された数日後
初めて母と面会できることとなった。

数日経った後も、母の意識は戻っていないこと
いつ何が起きてもおかしくないと
主治医の先生から言われていた。

コロナの影響もあり、集中治療室に入れるのは
一回につき2.3人ずつ面会することとなった。
父、弟、妹、祖母、叔父、叔母、私の7人で病院にいたため、3回に分けて母と会うことになった。

まず最初に妹と弟が集中治療室に入ることとなった
救急で運ばれたときは、
弟と父と私しか面会できなかったため、
妹はやっと母に会える機会となった。

しかし集中治療室に入ったあと
5分ほどして出てきた弟と妹は
待合室に戻るとすぐに、その場で泣き崩れた。
一眼も憚らず2人揃って声を上げて泣いていた。

そんな2人を叔父や叔母が
「大丈夫、絶対良くなるから諦めちゃダメ」と
何度も何度も言い聞かせていた。

その後私と祖母の2人で次に面会することとなり、
恐る恐る母が待つ病室へと向かった。

ベットの上で寝ている母を見て、
私と祖母は言葉を失った。

母の目は自力で瞼を閉じることができず
半分あいていた。
身体中あちこちに色んな管が繋がっていて、
頭の傷は痛々しかった。

人工呼吸器を使ってなんとか命を繋いでいたが、
そばから見ても母が生きていると感じられなかった。あまりにも数日前の母と変わってしまった戸惑いで、今の母を受け入れられなかった。

祖母に連れられ母に触れると、
母の手は、まだ温かかった。

「みんなで頑張るからね、ママも頑張ってね」
と声をかけたが、母からの反応は返ってくるわけでもなく、母に繋がれたモニターの音が虚しく鳴り響くだけだった。

私が待合室に戻ると、弟と妹はまだ泣いていた。
私は呆然としていたが涙は流さなかった。

私は長女だから兄弟とお父さんを支えなきゃ
という思いだけでなんとか立っていられた。

私は弟や妹よりも4年も、
8年も母と長い時間を過ごし
たくさんのことを教えてもらってきていた。
だからこそ、母がいないときは自分がしっかりして
みんなを守らなきゃいけないんだと
自分に何度も言い聞かせていた。

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※写真:集中治療室で入院している母

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