【旅行記】微魔女の微ミョーな旅・2
1.ヨルダン、イランー2016年(1)ヨルダン
なぜ、ヨルダンとイランだったのか?
当時、イスラム過激派グループISISが自爆テロ、誘拐、処刑、遺跡破壊……と世界中でやりたい放題だった。2015年にシリアのパルミア遺跡の一部破壊を目の当たりにし、「あいつらに壊される前に見ておかなきゃ」と思ったのが、ヨルダンのペトラ遺跡とイランのイスファハーン、ペルセポリスだった。
この年、私は記念すべき人生の折り返し地点、50歳。
せっかくの節目の年なので、育児や仕事でご無沙汰していた海外旅行に復帰しよう、大枚はたいて遠くへ行こうと前年末から行先候補を挙げ始めていた。
候補地は、フランス・パリ、ギリシア・サントリーニ島とミコノス島、トルコ・イスタンブール、ブルガリア、イスラエル、イラン、ヨルダン、できればモロッコまで足を延ばせるかな。年一回の日本帰国のついでに、4週間ほどで周遊するのが当初の計画。EU内は電車移動、ギリシアはクルーズ船、あとは飛行機移動にすれば北欧三国も行かれるかも……などと、広がる旅程と予算。新年になってからリサーチを始め、旅程も予算も妄想から現実的となり、結局“緊急性”を重視したら、イランとヨルダンに落ち着いたのだった。
アラビア語もペルシア語もできないうえ、イランは旅行会社を通さないとビザが取りにくいらしいので無駄な抵抗はせず、現地発着ツアー参加に即決した。同時に日本―テヘラン/アンマンの航空券探しも開始。私の住む南半球のメルボルンから、直接現地に飛ぶこともできるが、北半球まで行きながら日本に帰らないのは、なんだか親不孝をしているような申し訳ない気分になるのと、それから病気療養中の友達を見舞う約束があったので、日本帰国中に旅行に出ることにした。
現地のツアー会社には何のあてもない……。
ヨルダンに関しては、日系のツアー会社が二社あったのでどちらかにするとして、イランについては評判で見極めるしかない。2~3か月の間、数社の評判をできる限り集め、ほぼ、毎日メールのやり取りをしながら、対応の良い信頼できそうな会社を選んだ。
代金を支払う段階で、いきなり米ドル高になってしまい、当初の予算から数百ドルの差が出てしまったり、イランの旅行会社は現地でUSドルかユーロでの現金決済のみと言われたり、トランジット予定だったイスタンブールで自爆テロがあったり、予約予定だった航空会社の飛行機がオーバーランしたりと、いろいろな冷や冷やがあったものの、東京~ドーハ(カタール航空)~テヘラン(フライデュバイ)~デュバイ(フライデュバイ)~アンマン(フライデュバイ)~ディバイ(フライデュバイ)~テヘラン(カタール航空)~ドーハ(カタール航空)~東京、といった航空券と、ヨルダンのB社、イランのP社に無事ツアー予約ができたのは4月上旬だった。
飛行機の乗り継ぎについて、ドーハ~テヘラン~デュバイ~アンマンと不自然な動きをしているが、これはただ単にフライデュバイという中東地域専門の格安飛行機に乗ってみたかっただけのことで、実際、ドーハで乗り継ぎのとき、カタール航空の搭乗口で「イランの入国ビザがないから乗せられない」と離陸直前まで足止めされ、「旅程が不自然だったから確認を取っていました。マダーム」と無罪放免になっている。
さて、満を持しての中東旅行。家族には日本帰国のついでに旅行へ出ることは言っていたが、行き先を告げたのは出発の1か月前。
「イランとヨルダンに行って来るよ」
と夫に言うと、普段はほとんど動じることのない人なのだが、
「フォワーット!?」
と、飛び上がらんばかりの驚きようだった。
「知ってると思ってたけど……。知らない方が良かった?」
このときばかりは、旅程表だけでなく、利用飛行機・旅行会社の緊急連絡先、全ホテルの住所と電話番号、ついでに旅行保険の約款まで揃えて置いて行ってくれと頼まれた。
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