スキニーマジック

オーストラリア在住のバブル世代。趣味の旅行の話を中心に、日本語で感じて、考えて、書く時…

スキニーマジック

オーストラリア在住のバブル世代。趣味の旅行の話を中心に、日本語で感じて、考えて、書く時間を大好きなスキニーマジックを飲みながら楽しみたいです。

最近の記事

【旅行記】微魔女の微ミョーな旅

 おわりに  微ミョーな旅を始めて、5年目を迎えた。  2021年は4月の誕生日を迎える前にミャンマーへ行こうと思っていたところ、折からのコロナウィルス騒ぎでお祝いさえまともにできない、人生で一番思い出深い誕生日を迎えた。  国際線のほぼ全便が止まり、鎖国状態になって久しいオーストラリア・メルボルンで、再び海外旅行に出られる日を心待ちにしながら、計画作り・体力作りに余念がない。    実は、この原稿を書くに当たって、ひとつだけ、隠していたことがある。辛気臭い話が嫌いなので黙

    • 【旅行記】微魔女の微ミョーな旅・32

      6.ウズベキスタンー2019年   お別れの言葉は“ありがとう”  夕飯はナルギズに連れられて、旅行会社が用意してくれたレストランへ向かった。民族舞踊を見ながらのホレムズ(ヒヴァのある地方)料理は、香草を練り込んだ麺が珍しい。思えば、こうしてみんなで夕飯を食べるのは初めてだ。私だけホテルが違うので、3人は一緒に出掛けていたのかと思っていたが、毎日ホテルに戻るとまったくの別行動で、朝食ですらほとんど別々だったらしい。意外な気もしたが、外国人同士はそんなものなのかもしれない。

      • 【旅行記】微魔女の微ミョーな旅・31

        6.ウズベキスタン―2019年    微魔女の旅コーデ   最終目的地、ヒヴァへの移動日。  今夜は私だけ、ヒヴァの100キロほど北東にあるアヤズ・カラ(城塞)にあるキャンプサイトでヤート泊になっている。今日も朝8時出発でロングドライブらしいので、朝食は食べずに持ち帰りにして欲しいとホテルに頼むと、食べきれないほどのクレープやケーキ、果物を袋に入れて持たせてくれた。  途中、3回ほどトイレ休憩を入れながら、午後3時過ぎにまずはキャンプサイトで私を下ろし、あとの3人はヒヴァに

        • 【旅行記】微魔女の微ミョーな旅・30

          5.ウズベキスタンー2019年  広大な砂漠に思いをはせる  さて、憧れの“青の都”はたしかに素晴らしいのだが、期待が大き過ぎた分ガツンとくるような衝撃がなく、トシのせいなのか観光客が多過ぎるせいなのか、それとも本家のイランを見てしまったせいなのか……。消化しきれないものを抱えながら、途中ティムールの出生地であるシャフリサーブスに寄りながら、4日目はブハラへの7時間のドライブとなった。  車中、長時間フライト直後のアミィと、年齢的に疲れも見えるモリーはバンの最後尾で爆睡。

        【旅行記】微魔女の微ミョーな旅

           【旅行記】微魔女の微ミョーな旅・29

          5.ウズベキスタン―2019年  美人か不美人か  翌朝10時にロビーにいると、なかなか微ミョーな女性、ウミダが迎えにやって来た。日本語では“海だ”という意味だと教えてあげると面白がってメモにまでとっていた。車寄せに停めてあるバンには、既に白人の女性が二人乗っている。  「おはよう。はじめまして。よろしくね」  アメリカから来たモリーとイギリス人のジュリー。  私の名前は日本人には珍しく、外国人は覚えにくいので、短縮すると同じになる某有名レストランの店名を言ってみた。  

           【旅行記】微魔女の微ミョーな旅・29

          【旅行記】微魔女の微ミョーな旅・28

          5.ウズベキスタンー2019年  デュバイで仮説を立証  さて飛行機は、デュバイ乗り換えでタシュケントへ行くエミレーツ航空。エミレーツはウズベキスタンには飛んでいないので、デュバイでフライデュバイへの乗り換えになる。5年前に“不審な旅程”と言われながらも乗りたかったピルグリム御用達のLCCだ。今はエミレーツの傘下に入っている。  午後1時にデュバイ着。夜九時発の便なので市内に出ることにしていた。  前回の“陸の孤島での軟禁状態”に懲りているので、今回は市内の地図までダウン

          【旅行記】微魔女の微ミョーな旅・28

          【旅行記】微魔女の微ミョーな旅・27

          5.ウズベキスタンー2019年  なぜ、ウズベキスタンだったのか?  私は子どものころから、ターコイズブルーとエメラルドグリーンが大好きで、絵具や色鉛筆のセットを買っても、この二色は必ず別売りで買ってもらっていた。小中学校の図工ごときで、こんな特殊な色を使う機会などほとんなかったのだが、持っているだけで嬉しかったので、いつも箱を止めるゴムに挟んでいた。  だから、ペルシアンタイルに彩られたイランのモスク、とくにイスファハーンのイマーム・モスクのエイヴァーンなどは、私にとっ

          【旅行記】微魔女の微ミョーな旅・27

          【旅行記】微魔女の微ミョーな旅・26

          4.ベトナムー2018年   家族あってのひとり旅  フエの2日目はフォニャ・ケバン国立公園へ向けて朝七時の出発。  大型バスの前方をベトナム人グループが占め、後部にはヨーロッパ人バックパッカー風が後から後から途中乗車し、結局市街を出たのは8時を過ぎていた。現地までは休憩を入れながら4時間のドライブらしい。  正午を大幅に過ぎてから公園内のレストランに着き、円卓を二つ囲んでのベトナム料理のランチになった。一つのテーブルはベトナム人グループだったので、休憩時間に仲良くなった

          【旅行記】微魔女の微ミョーな旅・26

          【旅行記】微魔女の微ミョーな旅・25

          4.ベトナムー2018年  初めての日本人?  ホイアンの船着き場で解散となり、一人で旧市街の散策を始めた。  さすがに世界遺産というだけあって、歴史的な建物が並ぶ雰囲気ある街なのだが、何しろ観光客が多く暑いので、一旦ホテルに戻って日が暮れてから出直すことにした。  夜7時。色とりどりのランタンが17~18世紀の中国式の建物の並ぶ街を彩る様子はとても幻想的で、目をつぶれば当時の貿易商たちの息遣いさえ聞こえてきそう……だったらいいな、と。昼間にも増して賑わう観光客で情緒など

          【旅行記】微魔女の微ミョーな旅・25

          【旅行記】微魔女の微ミョーな旅・24

          4.ベトナムー2018年  私は怪しい微魔女?  ホーチミン乗り換えでダナンの空港に着いたのは午前3時。今回は用心深く、ずっと窓口になっていたツアー催行会社A社のキャシーとチャットアプリで繋がっておいたので、いつもより気が楽だった。そしてキャシーに連絡することもなく、私の名前を持った男性を見つけ、車に乗ってホテルに向かった。     チェックインしたファーホイ・リバーサイド・リゾートは、トゥポン川を挟んで旧市街地の向かい側にある。そして案内された部屋は、まさかの、窓なし。

          【旅行記】微魔女の微ミョーな旅・24

          【旅行記】微魔女の微ミョーな旅・23

          4.ベトナムー2018年  なぜ、再びベトナムだったのか?  前年、ハノイ再訪を心に誓いつつ、この年は遥か中央アジアの国、ウズベキスタンへ行く予定だったが、後述する諸事情から二度目のベトナム行きとなった。ベトナムの南北都市部の様子はなんとなくわかったので今回は未知の中部へ行ってみて、そして最後に“ベトナム3か年計画”の仕上げに、がっつりハノイへ戻ることにした。    行き先が決まると、航空券、ツアー探しになるのだが、航空券は王道のスカイスキャナーでざっと値段と時間の見当を

          【旅行記】微魔女の微ミョーな旅・23

          【旅行記】微魔女の微ミョーな旅・22

          2.ベトナムー2017年     がっぷり四つで取り組みたい国  ハノイに着いたのは午後6時近くで、2日前と同じホテルにチェックインしてから疲れを感じる間もなく、ツアーの最終予定になる水上人形劇場へ向かった。  ホテルの近くにあるホアンキエム湖周辺は観光客相手の土産物屋が並んでいて、人形劇が終わった時間でも店は開いているし人も多い。路地に入らない限り危険はなさそうだと直感し、それから一時間くらい、夫と息子のお土産を物色しながら辺りをうろついた。  最終日は、夕方の4時半の

          【旅行記】微魔女の微ミョーな旅・22

          【旅行記】微魔女の微ミョーな旅・21

          2.ベトナムー2017年    ケンタッキーの3人娘?  ホーチミン最終日は自由行動なので、ホテルをチェックアウトしてからバスに乗り、今回のハイライトでもある郊外のスーイ・ティエン遊園地へ行き、シュールな世界を堪能。夜は無事に迎えが来て空港へ向かい、ハノイへ移動し、その晩だけは市内ホテルに泊まり、翌朝には、世界遺産にもなっているハロン湾へ向かった。  今日は大型観光バスでの移動で、シートもほぼ満席。観光とホテルの付いたパッケージツアーではあるが、全旅程を同じメンバーで回る

          【旅行記】微魔女の微ミョーな旅・21

          【旅行記】微魔女の微ミョーな旅・20

          3.ベトナムー2017年  誘拐されて臓器売買?  ツアー初日はホーチミンの市内観光。  約束の時間にロビーで待っていると、昨日とは違う男性ツアーガイドが迎えに来てくれ、ノルウェー人の男性と若い白人のカップルと一緒に、旧大統領官邸や博物館、教会といった定番コースを回った後、川沿いのレストランでランチを食べた。カップルと同じテーブルに着いて簡単な自己紹介をすると、なんと二人共、私の住むサバーブの隣りに住んでいることがわかった。私がまだ現地通貨がなくドリンクを注文できずにいる

          【旅行記】微魔女の微ミョーな旅・20

          【旅行記】微魔女の微ミョーな旅・19

          3.ベトナムー2017年     なぜ、ベトナムだったのか?  今更感の強いベトナム。当然押さえておくべき国ベトナム。  今回なぜベトナムなのか、というよりも今までなぜベトナムでなかったのか、という方が説明しやすい。それはずばり“ベトナムといえばボートピープル”の世代だからだ。  70年代後半、多感な中学生だった私たちの年代にとって、毎日のようにニュースで流れるベトナム難民(正しくはインドシナ難民らしい)の映像は、ベトナムという国が“怖い、暗い、貧しい”印象をしっかりと植

          【旅行記】微魔女の微ミョーな旅・19

          【旅行記】微魔女の微ミョーな旅・18

          2.カンボジアー2017年   そのころ私は中学生だった  翌朝、空港へ向かう道路は、既に中国正月の準備で盛り上がっていた。夫はここでも、チャラ男君に、また来ると無責任な約束を繰り返していた。ここでチャラ男君の名誉のために付け加えておくが、彼は大学で国際関係を勉強したエリートで、将来は外交官になりたいという野望も持っていた。虐殺収容所での解説は、非常に詳細だったと夫も感心していた。  「今度は、地方の田舎に行きたいな。シェムリアップで行ったような田舎の町」  初めての海外

          【旅行記】微魔女の微ミョーな旅・18