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微魔女、サンライズに乗る・3

Wifiのない贅沢空間

 サンライズは基本的に東海道本線を走るので、熱海駅辺りまではお馴染みの景色なのだが、日本に住んでいた頃とは年齢も状況も違うせいか、ホームの見え方もまた一味違う趣がある。“あの”サンライズに乗っているという非日常から見る日常もまた、非日常に見えてしまう不思議。煌々と電気のついた無機質なホームを通り過ぎると市街の明かりは徐々に暗くなり、やがて星空だけが広がるプラネタリウムの世界へ。星空を真上に眺めながら眠りに落ちるなんて、微魔女の人生、最初で最後の体験かもしれない。
 ……と、うっとりして寝落ちしそうだったので慌てて飛び起き、スーパーのレジ袋に入れた着替えと石鹸&シャンプーを持って、シャワー室のある3号車を目指す。手前のラウンジには数人が所在なげにいて、シャワー室の前にも数人。順番待ちは想定内だったので、そのまま息子のいる7号車を目指して2度目の探検に出ることにした。
 さすがに沼津を過ぎて夜中近くになっているので、車内は静まり返っている。ところどころにある空室を見るにつけ、プラチナチケットの有り難みが薄れていく。お隣の4号車へ移ると、気のせいか空気に重厚感を感じる。ほほう、これがサンライズの最高位座席にあたるシングルデラックスの車両か。しかもシャワー室には“シングルデラックス専用”の注意書き。特権的な空気がなんとなく息苦しいので隣車両へ急ぐと、一転ここは庶民派ノビノビ座席。居酒屋のお座敷席にカーテンが下がっているような作りながらも、靴は整頓されて並ぶあたりはさすが日本人。
 上階と下階を歩きながら息子のいる7号車に到着するも、時間はすでに夜中なので、声を掛けずにUターンする。3号車まで戻るとラウンジの人影は減り、シャワー室が使用中なだけになっていたのでそのまま順番を待つことにする。なにしろ明日の朝は7時に坂出下車なのだ。
 数分もしないうちに中年の男性がシャワーから出てきて、入れ替わりに私がシャワー室へ。

ドライヤー付き

 シャワーは6分間で、途中で止めて再開することもできるそうだ。前の人が置いて行ったらしいカードが無造作に機械の横に置き去りにされていた。あんなに頑張ってゲットしたカードなのにいいの? 基本的にはキャンプ場の共同シャワーのような作りなので、私としてはビーチサンダルを履きたいところ。シャンプーも石鹸も備え付け、湯量も温度も十分で、疲れと汚れをすっかり洗い流しておしまい。6分間って結構な長さなんだな。
 部屋に用意されていた浴衣はさすがに抵抗があるので。スエット上下で部屋へ戻ることにする。

シャワーにはビーサンがお勧め

  買っておいて本当に良かった、水のボトル。
 いつもなら寝る前は“読むか書くか見るか”なのだが、読む書くは酔いそうなので却下、見るもWifiがないので却下。となるとあとは寝るの一択。部屋の電気は当然消して、窓のブラインドは全開。この期に及んでブラインドを閉める人がいるのだろうか? シートに横になって、天井に見える満天の星。今度こそ、うっとりして寝落ちしそう……の続きだ。
 思ったよりも振動はあるものの、聞こえてくるのは列車がレールの上を走る音だけ。思えば生活音が一切ない状況というのは、山奥にキャンプにでも行かない限り無理だろう。キャンプは後片付けや朝食準備など、主婦としての諸々のオペレーションがあるので心の底からのんびりするわけにもいかない。第一、満天の星となったら、虫の恐怖にさらされながらテントの外に寝なければならない。そう思うとサンライズはとことん贅沢な空間だと思う。何もしない時間以上の贅沢、いやWifiのない環境が今や贅沢にすら思えてくる。これは案外、寝台特急での旅を楽しんでもらうために意図してのことなのかもしれない。

お行儀良く並んだノビノビ座席の靴

 今回の旅行は、恐らく、息子とは最後の旅行になると思う。今回は言葉の問題もあるし、全額親負担だからついてきたものの、次回はそんな特典があってもついてこないだろうな。第一、1週間分の荷物を担いで歩き回るなんて、もう私自身が月単位で怪しくなってきている。
 息子が唯一、どうしても旅程に入れて欲しいと言った広島で、一体何を感じて何を思うのだろう。
 



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