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【旅行記】微魔女の微ミョーな旅・26

4.ベトナムー2018年 

 家族あってのひとり旅

 フエの2日目はフォニャ・ケバン国立公園へ向けて朝七時の出発。
 大型バスの前方をベトナム人グループが占め、後部にはヨーロッパ人バックパッカー風が後から後から途中乗車し、結局市街を出たのは8時を過ぎていた。現地までは休憩を入れながら4時間のドライブらしい。
 正午を大幅に過ぎてから公園内のレストランに着き、円卓を二つ囲んでのベトナム料理のランチになった。一つのテーブルはベトナム人グループだったので、休憩時間に仲良くなったヒッピー風ドイツ人、二コラと“多国籍群”――フランス、ポルトガル、ドイツ、日本――の方に混ざることにした。そして、ふと、バリのクラブへ行った友達の話を思い出した。
 オーストラリアでワーホリをしていた彼女が、バリ経由で日本に帰ったとき、バリのクラブで大盛り上がりしたのだそうだ。自分もすっかり白人になった錯覚を起こしていて、気が付くと周りは白人ばかりで、一緒に行ったアジア人の友達もお客もドン引きしていたという話。今の私も同じ状況なのだろうか? アジア人としてはベトナム人グループのテーブルに行くべきだったのか? しかしベトナム語なんてわからないし、英語を話す人もいなさそうだし。ごくごく自然にこちらのテーブルに来てしまったが、奇異に思われているだろうか? 二コラを除いて周りは、明らかに娘・息子世代だし。ま、今だけだから気にしないこととしよう。
 案の上、食事が終わると多国籍群のほとんどはトレッキングなどの別のツアーに行ってしまい、残った私たちも二つのボ―トに分かれて洞窟巡りに出かけた。美しく幻想的であることはわかるのだが、閉所恐怖症気味なので、鍾乳洞に入るたびに、最初に発見した人は真っ暗闇のなかで押しつぶされるような恐怖はなかったのかと要らぬ心配の方が先に立ってしまう。 
 帰りももちろん、4時間のドライブでフエへ。
 このバスには行きのベトナム人グループはいたものの、一緒に食事をした多国籍軍は二コラしかいなかった。その代りに、ほかのバックパッカー風ヨーロッパ人がところどころで途中乗車してきた。ホテルや現地ツアーデスクで、長距離バスや路線バスとは違う、“フエ行きのバス”として半日ツアーの括りで予約をするらしい。代理店間でツアー客のシェアをするくらいなので、バスで運ぶだけというのも十分にあり得るし無駄がない。
 ベトナムには長距離電車、長距離寝台バスももちろんあり、外からは二段ベッドしか見えない長距離バスがよく走っている。実際の乗り心地は、電車の方は、前回ホーチミンで会った旅慣れした風のノルウェー人が“もう二度と乗らない”。理由は、冷房は効き過ぎで寒く、ベッドの寝心地は悪く、寝具が衛生的でなかったからだそうだ。寝台バスの方は、外国人バックパッカー御用達と言われるだけあり、多国籍群のフランス人によると、寝返りも打てないほど狭いものの、Wi-fi 完備でコスパは最高とのことだった。ま、微魔女世代が興味本位で乗るとしたら、どちらも最短距離でVIPシートだろうか。
 
 すっかり日も暮れたころ、タイヤが突然パンクし、交換のために修理屋近くのお土産屋で休憩になった。タバコを吸うグループのなかに、携帯を気にする二コラの姿がある。
 「娘に電話しなくちゃならないのよ」
 ヒッピーの風貌にはそぐわない家庭人的な答えが返ってきた。年齢は恐らく同じ微魔女世代で、娘が3人、子どものいる長女に毎日電話をすることになっているという。
 「旅行は、一人が気楽でいちばんよ。家族とは絶対に行きたくないわ」
 自分と同じ考えの人がいて、嬉しい。
 「そうよね、私も旅行はいつも一人。娘さんは心配しない?」
 「一人で旅行に行く条件として、SIMカードを持たされてこうやって毎日連絡する約束になってるのよ」
 ああ、そういうわけなのか。ドイツは今、午後2時過ぎ頃だろうか。
 「帰るところがあるから、こうして一人で旅行にも出られるのよね」
 たしかにそうだ。戻れる場所、待っていてくれる家族があるからこそ、一人で出掛けられる。なんだか、夫の浮気みたいなものではないか? 帰れる家庭があるから外でつまみ食いをしてしまう。寛大な妻に甘える夫、寛大な家族に甘えている自分。
 「家族に感謝ってとこかしらね」
 二コラは煙を吐きながら、何度も頷いていた。
 
 ホテルに到着したのは大幅遅れの午後9時。翌日は迎えの午後1時半まで自由行動なので、ビールを飲みながら市内地図のチェックに余念がない。
 
 翌朝、予定通りにホテルを出て、アオザイは諦めたものの洋服屋をのぞきながら目標のスーパーマーケットへ。1階から上が服と日用品の売り場で、地下は食料品が並んでいる。日用品売り場では、もちろんコーヒーメーカーを買い、地下に下りて、すっかり虜のココナツキャンディー、雷おこしのようなメースン、緑豆粉で作った落雁のようなホア・アンと、ベトナムのお菓子とフランス製高級チョコ、スナック、インスタントミックスなどを買い漁っても20USドル程度。ダナンで100USドルを現地通貨に両替してから、まだ半分以上も残っている。ホテルに戻るまでにランチを食べてコーヒーを飲んでも、懐は余裕そうだが、時間は微ミョーだ。
 そう気づいたところでスーパーを後にし、もう一つのマーケットへ足を延ばすと、こちらはいわゆる市場になっている。生き物こそいなかったものの、果物、植物、雑貨、そして“常温放置”の生肉・生魚が無造作に並んでいて、ここではもう写真を撮る以外に用はない。
 帰り道にカフェを見つけてランチでもしようと、うっかり地図を頼りにしたおかげで迷宮入りしてしまい、今夜はシャワーを浴びられないというのに汗だくで、おまけに空模様も怪しくなってきた。時間は既にお昼を過ぎている。そこでGPSの存在に気づき、Wi-fiの目印のあるカフェに入ってコーヒーだけを飲み、ようやくホテルに戻るとすぐに迎えが到着した。
 カウンターもまだ閉まっている小さなフエの空港で、暇にまかせて一人反省会をする。
 ダナンは午後半日しかないうえにホテルが市街から遠すぎて、結局ビーチ周りしか行かれなかったのが残念といえば残念。ビーチから受ける印象が熱海のようだったので、出掛けたところで大したこともなかったかもしれないが。
 まあ、それぞれの街でそれぞれの出会いや体験があり、小粒の思い出ができた旅行だった。そしてやっぱりベトナム3か年計画の仕上げはハノイかなと、志を新たにする微魔女なのであった。
  
 

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