夏の音ー福田花
ラジオ体操と子供たちの声、蝉の大合唱、夕立と雷の音、遠くに聞こえる花火の音、夏には夏の音がある。
家から聞こえるこれらの音の他に、私の庭からは1時間に2回鳴る笛の音が夏にあった。
7月から2か月ほどだけ開かれる屋外の市営プールから1時間に2回笛の音が鳴る。毎時50分になると大きな笛が一度鳴り、もごもごとした放送のあと、少し静かな10分がある。そのあとまた大きな笛が鳴り、にぎやかな様子が聞こえてくる。
2回の笛は、プールで遊ぶ客に休憩を促すものと、その休憩の終了を知らせるものである。
プールは私が生まれたときからそこにあり、夏休みとともに解放され、コロナ渦でも休むことなく営業をしていた。
しかし、私にとっての夏の風物詩的であったあの笛の音が、今年は一度も鳴っていない。
施設の老朽化に伴いプールは今年の4月をもって閉業が決まっていたらしい。私は7月中旬まで気が付かず、笛の音がしないことによりプールの閉業を知った。
最後に行ったのはいつだろうか。
徒歩で行けることもあり、夏休みのお決まりコースであった。小さなころは家族で行き、少し大きくなると姉や兄が連れて行ってくれた。そのあとは友達と行ったり、いまだに背の低い私の目線で見えていた光景が頭に染みついている。
浅いプールは小さな子たちの遊び場でおしっこまみれだった。でもキリンの滑り台があったし、大きなキノコのようなオブジェの傘の下にもぐって上から降ってくる水を見るのは楽しかった。25メートルのプールでは、水泳の上手な姉がクロールや平泳ぎ、バタフライまで得意げに泳いでいた。私と兄も負けじと水を飲みこんでしまうほど泳いだ。
笛が鳴ると、母が持ってきたレジャーシートかビニールチェアに座って休んだ。家から持ってきたジュースやおにぎりをほおばる。
海のないこの街で、体中で水を感じられる場所が身近にあったことがすごく嬉しかった。
4年生で部活を始めてからはグラウンド越しにプールで遊ぶにぎやかな声を聞くことが多くなった。
https://note.com/heliporters/n/n8f7ddd602e20
暑さの中、水がはじける音に涼しさを求めていた。笛の音で休憩を知らされて、私も休みたいなと思った。
母に、プールの閉業を伝えると「ついにか~。」とこぼしていた。どうやらこの数年の間に閉業されることが決まっていたようで、去年まで、まだやっている、まだやっていると息が続いていたのを気にしていたようだ。というのも、母も生まれはこの近くで、夏には小さなころに足繁く通っていたらしい。父もここで生まれ育ったのでおそらく同じように思い入れがあるだろう。なんなら、母と父は私以上に思い入れがあると思う。自分が小さなころから遊びに出かけていた場所に自分の子供が同じように遊びに出かけていた。
自分の住む家から祖父母の家、すなわち親の実家が遠くにあり”帰省をする”ということにずっと憧れていた。しかし、こうした思い出の共有が二代、三代にわたってできるというのは二世帯で住む良さの一つかもしれない。
このプールのようにいくつもの思い出の施設や、お店がなくなったり見る影をなくしてきている。都会のように開発によるものもあれば、単に営業不振だったり、個人営業により後継者がおらず閉業を余儀なくされたり、老朽化によるものだったりと様々だ。
私の暮らす1,2キロ圏内ですら緩やかではあるものの風景が変化している。
自分の庭のように遊んだ公園ですら、遊具や配置がまるで変わってしまい、木々も減った。
寂しさも感じつつ、こうした街の変化に誰かが言った”街は生き物”という言葉が身に染みるようになった。
目まぐるしい都会の横で田舎も緩やかに、時に激しく変わり続けている。ついつい思い出にすがって「あの頃はよかった」とオヤジたちのように言いたくなってしまうのをぐっとこらえて変化を受け入れたり、受け入れなかったりしていきたい。
あのプールの前でおじさんがかき氷を売っていた。軽トラに氷を削る機械とシロップを積んで、真っ黒に焼けた大きくないおじさんが帽子をかぶり、白いタンクトップと濃い色の半ズボン、ビーサンを履いてプールの入り口で待っていた。私は決まってブルーハワイ味を頼む。プールに入らずともかき氷だけを買いに行ったこともある。
いつからか「あのおじさんはトイレに行って手を洗わない」という子供らしい噂がたち、私と友達はまんまと信じてかき氷を買う事はなくなった。子供たちの噂は子供たちなりに広がり、信頼性を深めていく。誰が見たのか、誰に聞いたのかなんにも確証がなくとも。
最後に彼を見たのはいつだろう。60歳は越えていただろうし、私は10歳にも満たなかった。15年もの月日が経って、あのプールも閉業してしまった。彼は生きているのだろうか。
プールには10年以上も行ってなかったけれど閉業となると寂しいもので、行っとけばよかったなあなんて思う。
寂しい中でも、私の知っている夏の音が足りないという理由でで異変に気がつき、閉業だと知れたのはなんだか嬉しかった。8年もこの家を空けていたけれど、体は記憶を放していなかった。
なくなっていくものはいつも静かに去ってしまうけれど、すがることなく、同じように変化していく自分と並べてみたりする。
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