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掃除で学んだかもしれない「読み手視点」と「書き手視点」

お疲れ様です。『鬼滅の刃』の遊郭編(特別編集版)に見入っていたら投稿が24時間後になってしまいました。正直、アニメの作画が綺麗すぎて迫力がありすぎて、腕や足がバンバン飛んでいく場面なんかは「さすがに子どもに見せてはいけないのでは?」と思わなくもなかったんですが、それ以上にまっすぐさや素直さといったとてつもなく熱いパッションを感じたので、この作品がすべての年代に愛されている理由もわかったというか。とにかく面白かったです。刀鍛冶編のほうは途中で視聴をやめてしまったので、機会があれば再チャレンジしたいです!

ということで、執筆が。進んでません。
一歩進んでは二.五歩くらい後退してます。
というのも、前回の記事でも言ったんですが、新しい書き方に早速チャレンジしていまして。

1話をまた最初から推敲しなおして、好き勝手にいじっていたら何だかとても楽しくて。表現の幅が増えた(と自分では思っている)ので、よりいっそう主人公の心境がわかるようになって読者さんも感情移入しやすくなった(と自分では思っている)ので、これは多分いい改変だし、いいタイミングで必要な本に出会えたなと、世界と自分の運に感謝しています。いつもありがとう。

有名な作家さんの文体どころか自分の文体がどんなものなのかとか全然わからないんですが、昔の自分の文章を読み返すと「説明がたりない」とか「表現がまわりくどい」ということはわかります。でもってブログを書くようになってからは「小学生でもわかる文章」だとか「極力わかりやすく噛み砕いて」を意識して文章を書くようになったんですが、でもそれだと、こう、あんまり面白味がなくてですね。
いや、わかるんですよ。読み手としてはわかりやすいほうがいいというのは。文章を濃くするのはそれこそ大事な場面だけでいいし、それ以外はさらっと読めるようにしたほうがいいというのは。

なんです。なんですけど、私は地の文章でも面白くしたいというか。基本的に「神は細部に宿る」をモットーとしている人間なので、むしろクライマックスじゃない場面での些細な描写こそ大事にしたいというか。なのでこれからも隙あらば笑いをとりにいこうとする芸人のような気概で書いていきます。

話が変わりまして。現在、来客対応のために必死こいて部屋を掃除しているんですが、そういう状況になってはじめて「ほかの人がこの部屋に入ったら何を見るのか」という視点が気になったわけです。それが、自分の視点とは全く違うということに、当たり前ながら驚いたというか。ふだんなら全く気にしないようなことばかり目に留まるのが、とっても新鮮でした。

何が言いたいかというと、これがつまり「書き手と読み手の視点の違い」なんだなと。でもって、来客にきれいな部屋で過ごしてもらいたいと掃除した結果、私自身もきれいな部屋で気持ちよくなれる。イコール「読み手に楽しんでもらえるように書いた結果、自分自身も楽しくなれる」という結論に着地しました。

そしてさらに付け加えるのなら「来客を不快な気持ちにさせないことは大事だけど、かといって部屋のレイアウト全部を来客好みに合わせる必要はない」ということ。自分の生活のリズム、スタイル、好み。文章のリズム、スタイル、好み。それを踏まえたうえであっても、相手に喜んでもらえることは可能だということで。

まあ、何が言いたいかというと。とりあえず好きに書いてみます。心のおもむくままに書き連ねて、そこから少しずつブラッシュアップします。
もう何年も前になりますが「あなたの文章のファンです!」と、ものすごい熱量のこもったメッセージをいただいたことがありました。私自身が気づけない「わたしの文章」というものを、その方は認識して好きだと思ってくれたらしいのです。衝撃でした。一生忘れないくらい。その出来事が、今でも私の原動力の永久機関のひとつになっています。

長くなりましたが、何が言いたいかというと、
3月には連載を再開できるように頑張ります!!!!!

それでは、最後まで読んでいただきありがとうございました。
皆さんも楽しい創作ライフをお過ごしください!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。 この記事があなたの何かのきっかけになれば本当にうれしいです。 ツイッターやブログにもいますので、そちらでもお会いできますように。