不自由なからだとつきあう
昨日に続いて、自分のからだのことを少し。
昨年の療養の後遺症で、ときどきまだ調子が悪くなる。
からだの疲労が溜まり過ぎると、メンタルの力が極度に低下して、なかなか浮上しないこともある。
そんなときは、いろいろ工夫をしても、なかなか直ぐには復調しない。
からだを休めるしかなくなる。
休むのは元来苦手なようで、その自分に対して苛立ちを感じてしまうこともある。
全体としては、日常生活や仕事にそれほど大きな影響はなくなってきているのだが、それでもやはりまだまだ疲れやすい状態。
少しの変化に気をつけながら、過ごしているところはある。
だいぶ慣れては来たのだが、それでもそんな弱い自分に腹立たしくなることもある。
でも、それでも何とか生きているということは、大きな意味では健康体ではあるのだ。
病気や疾病を抱えているから不健康なのではない。
それらを抱えながらも何とか生きていること、何とか自分なりの暮らしをつくっていられることが、とても大きな奇跡なのだ。
そういう意味では、人間はいつだって健康体なのではないだろうか。
さまざまな不自由でセーブがかかることも、また自然の摂理であり、大きな回復の一過程だ。
そんな気持ちを持ちながら、悠々と、できるだけ構えていたい。
焦らず、毎日をじっくり味わいながら、進んでいこうと思う。