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掌編小説 秋桜畑(#シロクマ文芸部)

 秋桜が、また今年も咲いた。植えてないのに。
 元気のいいのを2、3本、剪定バサミで切ってハチミツの入っていた瓶に入れた。透明だから水を換え忘れないし、重さがあるのでひっくり返しにくい。うっかりものの私にはちょうど良かった。

 種を蒔いたのはいつだったか。まだ娘が家にいた頃だからもう20年も経つのかもしれない。マラソンだっかかのイベントで、参加賞と一緒に娘がもらってきたのだった。「もらった」と言って差し出されたものを、なんの考えもなしに蒔いた。芽が出た、と喜んだのも束の間、もりもりと背丈を増して、腰ほどの大きさになってからようやくインターネットで調べた。「コスモス」と入れただけで「増える」「植えてはいけない」と不吉な語群が列をなす。しまった、と思ったものの後の祭り。それから毎年、枯れても枯れても次の年にはまた新しい秋桜が顔を出す。

 今、考えてみると、娘は秋桜が好きだったのだろう。車で30分ほどの山間に秋桜畑ができたというので見に行った写真が残っている。私を右手で引っ張りながら何やら叫んで走り出そうとしている娘は見るからに嬉しそうだ。背後には画面いっぱいにピンク色の花畑が広がっている。興奮するのも無理はないかもしれない。

 そういえば、車を運転してきた夫は始終不機嫌だった。「花畑なんて、資源の無駄だよ」そう言っていた。
「菜の花畑は菜の花が獲れる。ひまわり畑はひまわりの種がとれる。だけど秋桜畑はなんにもとれない」

 思えば、新しく買った庭の隅にせっせと家庭菜園を作ったのも、同じような考えからなのかもしれない。きゅうりやら茄子やらにんじんやら。食べられるものを作ろうと熱心に研究していた。やがて飽きて放り出した頃に私がチューリップやら水仙やらを植え出すのを、苦々しい顔で見守っていた。

 携帯電話がなった。娘が買い与えてくれたものだ。夫が亡くなってから後、県外で家庭を作った娘が、毎週電話をかけてくる。寂しいと思っているのかもしれない。そうでもないのだけど、ありがたくかけられる。

「最近元気?」
「まあまあ。あんたは?」
「まあまあ」
毎週のことでお互い話題もない。自然と娘は孫の話、私は、畑の話ばかりだ。
「庭の秋桜が咲いたよ」
「植えてないのに?」
娘も毎年のことで慣れている。
「そう、植えてないのに」
瓶にささった秋桜を見る。あのとき夫に答えてあげれば良かったかもしれない。秋桜にも獲れるものがある。
「綺麗だからいいじゃん」
娘が言って、二人で笑う。娘の笑顔が、今年も獲れた。

ショートショート No.660

小牧幸助|小説・写真さんの #シロクマ文芸部 に参加しています。
今週のお題は「「秋桜」から始まる小説・詩歌・エッセイなどを自由に書く」です。