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ショートショート 月のうさぎ

「月に哺乳類はいない。」科学者が言った。「そもそも、空気がない。」頭をかいた。痩せて、神経質で、メガネをかけていた。
「いるさ。」と絵描きが言った。「こんな風で、こうだ。」鉛筆ですらすらとうさぎを書いてみせた。右手はぷくぷくと太っていて、口には髭をはやしていた。

二人は幼馴染だった。約束するとでもなく、同じ高校、同じ大学に通った。ただ、好きなものがちょっと違っていて、それから先はお互い違う道を歩んだ。

『月の生態系について』科学者は論文を書いた。資料を集め、文献を探して、たっぷり1年半時間をかけた。有名な雑誌にのって、得意満面でその雑誌を絵描きに送りつけた。

絵描きは早速油絵を描いた。50号のキャンバスにめいいっぱい。銀の毛並みのメタリックなうさぎだ。背景には星空と青い地球が輝いていた。展覧会に出して、賞をもらって、インタビュー記事でカメラに向かって挑発的に指を指すと、そのままその記事を科学者に送りつけた。

記事をみて科学者は眉をひそめた。「品がない。」と言い捨てて、同時に記事もゴミ箱に捨てた。
論文のおかげでちょっと偉くなっていたから、前より資料が集まった。月の地図を取り寄せて、歴代のシャトルの調査結果とつけあわせる。地表の写真、温度、拾得物。今度は3年、まるまるかかった。『なぜ月にうさぎはいないのか』500ページ超の本をこしらえて、発売その日に絵描きに送りつけた。

「ほほう。」届いた本があんまり重いので、絵描きが思わず声を漏らした。中をぱらぱらとめくって、メモを挟んで、それから新作を刷るスクリーントーンの機械の重しにした。ちょうど良い重さだった。
スケッチブックを何冊か買った。動物園とアトリエを往復した。スケッチから大きな絵を何枚か作り上げて、それから思い切って文章も書いた。初めての絵本だ。タイトルは『月の地下の小さなうさぎ』
もちろん科学者に送りつけた。

「そうだよ。」絵本を見て、腹立ち紛れに科学者が言った。地下はまだ調べていなかった。早速NASAに電話をかけた。本のお陰でコネがあるのだ。次のシャトルでの調査の企画を話した。地下を調べれば、きっと有益な情報が手に入る。天然資源や、宇宙の歴史、生命の起源、あと、うさぎがいるかいないか。

コーヒーを飲みながらNASAからの返事を待っていると、電話が入った。
絵描きが亡くなったということだった。太りすぎだ。
驚いて電話を取り落とした。そのまま病院に走った。残ったコーヒーは冷めるがままで、二度と口をつけなかった。

NASAとの調査は大成功で、いくつかの有益な資源がみつかった。金になる。だから生態系調査も順調に進めてくれた。データがたっぷり手に入った。もちろんうさぎは見つからなかった。
膨大な資料をもらった科学者は、5年かけてそれをまとめた。冷やかしてくる友達もいなかったので、極めて効率的に、順調に出版までこぎつけた。終わりの文章は、こんな風だ。

(前略)以上が、今回の調査でわかった月の内部の様子である。月には豊富な天然資源が眠っている。調査が進めば、きっと、人類の役にたつだろう。一方、残念ながら知能を持った生命体はいない。憧れの宇宙人は存在しなかった。ただ、うさぎはいるかも。いや、多分いる。銀色の毛並みのやつ。

ショートショートNo.94

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