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#キオクに残るやさしさ

「今日仕事帰りに飲みに行こっか」

月末に数字目標が未達成で終わり落ち込んでいるぼくに上司が声をかけてくれた。

分単位で数字を追って、やることはやって、月末に追い上げて、それでも98%という達成率で数字が締まった31日の18時が過ぎた時だった。

悔しさと不甲斐なさの波が交互にやってきては沈む。

明るく照らす無機質な蛍光灯の光の先端が霞んで見える。


あの時もっとこうすればよかったんじゃないか

もう少しがんばれば達成してたんじゃないか

月初から月末のつもりで数字を追っていたらあとの2%には届いたはずじゃないか


そんな言葉がぐるぐると頭のなかをめぐっていた。

職場の同じフロアの誰よりも仕事をしていたぼくを責めることなく、上司は職場近くの西新宿の飲み屋へ連れ出してくれた。

仕事終わりの一杯目のビールが喉を通り過ぎる感覚は、何回も通ってるはずなのに、毎回新鮮な気持ちで体全体に染み渡って、なんとも言えない充足感を感じられる。でもその日の一杯目はただただ苦かった。

とは言え二軒目に行く頃にはぼくもいい気分になってきて、来月は今月の借りを返して絶対達成してやろうという気持ちでいっぱいになっていた。


それから2年経ってぼくは新規事業の立ち上げで福岡に転勤をしていた。転勤当初こそ、土地柄の違いによってマネジメントに苦労はしたが3ヶ月もすれば慣れてきて、常に達成するチームになっていたし、全国の他の拠点に比べても高いパフォーマンスを出し続けていた。ぼくは少し天狗になっていた。


そんな時に同業他社からやってきた1つ年下の人間が、アルバイトから一気に課長まで飛び級で昇進した。最年少の管理職の誕生の瞬間でもあった。

昨日まで敬語で話かけてきた人間が、タメ口に変わり、年上の人にもタメ口に変わったことに違和感と反感を覚えたし、実際課内でもかなりのハレーションが起きていた。が、その人は確かに優秀だった。当時、現場レベルで学べる人や吸収できる人がいなくなっていたぼくは初めて全く敵わないなと思える人に出会えて反感よりも、成長できる期待の方が高かった。

厳しいというひと言では片付けられないほど詰めはきつかったし、実際ついていけずに脱落する人、病んでしまう人もいた。ぼくだって違和感のある指示もあったけど、その人の持っている全てを吸収したくて、ぜんぶ指示の通りにやった。必死にやった。大変だったけど、今までの延長では絶対に手に入れることができなかった成長も感じていた。同じ課内でも1番数字を出し、達成し続けられるチームとなった。


そんな時、ぼくのチームならびにその厳しい上司が率いる課全体も未達に終わった月があった。


「今日18時半から会議や」

未達成に終わり沈んでいる管理者たちに上司は声をかけた。


「なんで未達なんや」

「理由を数字で説明して」

「どうやったら達成するんや」

「いや、ちゃんと説明して」

アルバイトが帰った後、社員だけになった会議室に上司の怒号が響く。


みんな一生懸命仕事をやっていた。

でも未達成になったことをその上司は許してはくれなかった。

未達になった要因をただ説明するだけでも話は終わらない。

要因を全て数字を根拠に話さないと終わらない。

来月以降の改善策も「これをやってがんばります!」だけではもちろん許してくれないないが、施策をいくつかして、単に改善策を発表するだけでも会議は終わらない。

施策をしたらどこの数字がどう変わるのか、それによって営業数字がどう変わるのか、それがうまくいかなかったらどうするのか?そのリカバリー策の数字の根拠は?

あらゆる事象を数字を根拠に話せないと会議は終わらない。

会議が終わる頃には時計の針は23時をまわっていた。

今までからすると異常とも思える光景はぼくたちの日常に変わった。

日常に耐えられない人は脱落していった。

上司は3ヶ月で東京に引き抜かれて福岡を去ったのだけど、ぼくも3ヶ月だから耐えられたのかもしれないと思う。それくらい厳しかった。

とは言え、厳しかったその上司も会議が終わればスパッと気持ちを切り替える人でよく飲みに連れていってくれたし、飲みの場ではみんなにとてもやさしかった。相変わらず未達で終わった月の1杯目のビールの味はただただ苦いだけだったし、二軒目以降はいい気分になっていた。


あれから10年経って、ぼくは会社を変わってその後は独立をして全く違う仕事をしている。だけど仕事のベースになっているのは会社員の時の経験で身につけたスキルだ。


10年経った今でも色褪せない映像が頭のなかに映し出されるのはやさしかった上司より厳しかった上司。今、会社の看板に頼らずに自分の名前で仕事ができていることも厳しかった上司のおかげだ。


やさしさの意味を考えながらぼくはグラスに残ったビールを飲み干した。

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