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9月20日:失敗をきちんと子どもの失敗体験にすること。
おはようございます。
子どもに嫌われることを恐れない男あべです。
今日は教育や支援の現場でやらかしがちな現象について。
1)ついケツを拭いてしまう善良な大人たち
教育も支援も、その目的は子どもの成長。そのためにいろんなチャレンジをさせるし、可能な限りそれが成功につながるようにサポートする。
チャレンジの経験も成功体験も、人生を前向きに生きていくにはとても大事なもの。それをサポートすることが大人の重要な仕事であることに疑いの余地はない。
そんな教育や支援に携わる人は、基本的に子どもが好き。少なくとも…「子ども」という存在にそれなりの想いがある。
要するに「いいひと」だ。
ただ…
そのせいか現場で子どもに接する大人の中には「子どもが失敗すること」や「子どもが負の感情を抱くこと」を過剰に恐れてしまう人がいる。
このままいくと失敗するな…と思ったら横から口を挟んでしまう。
それが必ずしも悪いわけではないが、副作用は理解しておいた方がいいだろうと僕は思う。
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2)失敗をきちんと子どもの失敗体験にすること。
困った時に助けてくれる大人の存在は大事だ。
ただ…
失敗する前に手を貸してしまうのはよくない。
少なくとも本人が「あれは失敗だった」と受け止める条件が整うまでは手を出さない方がいい。条件は人によって状況によって異なるから一様には言えないけども。
任された役割に対して力不足でうまくいかないならば、成功に向けて手を貸すことに意味はある。手本を示せるし、信頼関係も構築できる。
やってみせ、言って聞かせて、させてみるのが人を育てる基本なのだから、本人のチャレンジのすぐ側で手本を示すことは、ことさら重要だ。
その一方で絶対に手を貸さない方がいいものもある。
力不足ではなく「本人のいいかげんな取組」によって結果が伴わない時
だ。
僕は絶対に手を貸さないし、それ相応のペナルティを科す。そしてペナルティを科した以上、それは必ず実行する。本人が嫌がろうが泣こうがそこに容赦はしない。(もちろん体罰や理不尽な罰ゲームなどではない)
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3)事例1〜少年院での話
ある子が、課題の作文をいい加減な内容で提出してきた。その子の日記などからそれが手抜であることは明らかだった。
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放デイのスタッフをしながら、わが子の非行に悩む保護者からの相談に応じたり、教員等への研修などを行っています。記事をご覧いただき、誠にありがとうございます。