子どもにとっての存在感。
1.教え子たちとの再会
昨晩、10年くらい前に少年院でかかわっていた子たちと会っていました。
今はもう20代後半。それぞれなりにきちんと仕事をして、家族がいる。一人前の社会人になっていました。
僕は酒も飲まずに参加したけども、3時間、話が止まることはなかったです。それぞれの10年を共有し、現状を伝え合い、刺激し合う本当に素敵な時間。
そして
法務教官としてはもっとも幸せな経験をさせてもらいました。現役だったらできなかった。
2.法務教官の教育者としてのむなしさ
職務の性質上、仕事でかかわった人との個人的な交流は禁忌。まして相手が元非行少年だから、現役の法務教官が、塀の外で教え子と会うなんてことはできない。
それ自体は仕方ないことだけど、やっぱり送り出した教え子たちと再会する機会が持てないというのは、教育に関わる人間として苦しいと僕は思う。
法務教官が教え子のその後を知ろうと思ったら、「保護観察終結通知」という事務文書が届くか、卒業生自身からアクションを起こしてもらうしかない。法務教官自ら連絡を取ったり、まして外で会うなんてことはできない。
送り出してから、その後のことを気にかけても、なにもできないのが法務教官だ。刹那的でむなしく、残酷な仕事だと思う。
3.経緯と感想
今回は、SNSを介して連絡を取った。偶然、ある卒業生の活躍を知り、こちらからDMしたのがきっかけだ。
その子もYoutubeをはじめたとのことで、「いつか1本動画を撮ろう」という話が数ヶ月前からず〜っと水面下で温められてた。
今回、彼がわざわざ茨城まで来るというので時間をあわせ、彼のセッティングで当時同じ寮にいたほかの卒業生も来てくれた。
動画の出方次第でもしかしたら法務省から怒られたりするのかもしれないけれど、まぁそうなったらそれはそれ。本来的な意味では怒られるようなことは何もしていない。
機密情報も話してないし。
俺法務教官辞めてるし。
昨日の食事はきちんと自分の分だけ払ったし。
そんなめんどくさい話は置いといて…とにもかくにも昨日は楽しかったし感慨深かった。
一番心象的だったのは、彼らが僕のことを「圧倒的に存在感が違った」と言っていたことだ。
4.法務教官の質のちがい
ある子は言ってた。
僕はこんな言葉を返しました。
これが真実だと思ってる。少年院に限らず、学校でも放デイでも学童でも。子どもと関わる大人のうち、本当の意味で響き合う向き合い方ができてるのは1割かそれ以下。でも、残りの9割が全部手抜きをしてるわけじゃない。
悪意はなく、真剣に、その人なりに本気でやってる。それでも、表面的なことや子どもたちに響かないことしか言えない人がたくさんいるってことだ。
だから大人のスキルUPセミナーをやっている。本気で”向き合える”大人を増やすために。
3人が口を揃えて言ってたのは、僕の言葉のインパクトの強さについて。
就寝前に全体に向けて語る言葉、日記や作文に対するコメント…その言葉に気づきとエネルギーをもらっていたと。今でも時々思い出すと言ってる人もいた。
そういう言葉をもっともらいたくて、自ら課題でもない文章を書き、ノートや原稿用紙を提出していたと。
たしかに、昨日会った3人は、本当に事あるごとにノートや作文を出してきた。正式な課題ではなく自主的に書いたものを。僕はそのたびにいろんな言葉を書き、語らった。
当時一緒に働いてた先生たちを僕は心の底から尊敬している。チームとして、教育者として。ただ…子どもたちから見て、僕の存在は完全に異質だったらしい。
まったくもってそのとおりだ。
異端中の異端。
ほかの先生があたりまえに使う言葉をほとんど使わない。ほかの先生たちが避ける話題をどんどん語り合う。
彼らが今、社会人としてパートナーとして父として、また跡継ぎとして頑張っているのは、紛れもなく彼ら自身の努力と幸運によるもの。けれど、そこに少しでも貢献できていたなら誇らしい。
10年経っても未だに「先生」と呼び、会えたことを喜び、再会を仲間に自慢げに語ってくれる彼らとの時間は、教育者としてとっても幸せな時間でした。
ありがとう。
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放デイのスタッフをしながら、わが子の非行に悩む保護者からの相談に応じたり、教員等への研修などを行っています。記事をご覧いただき、誠にありがとうございます。