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夢のかけはし |短編小説(第26回日本動物児童文学賞優秀賞受賞作)雨の帰り道、少女は勇気を出して小さな動物を助けましたが

                          くれ まさかず

アキコは矢田川の堤防の上から、向こう岸にある、自宅の家の屋根を見ていました。小雨が降っていましたが、よく見えました。今から大急ぎで帰らなければいけませんでした。
「ここに橋があったら早いのにな」
 一つため息をついて、アキコは堤防の道を歩きはじめました。目指す下流の宮前橋までは300メートルくらいあります。
「今日は、きっと叱られるわ」
おやつの時間までには帰ってくると、お母さんと約束していましたが、また遅れそうでした。これで続けて三度目です。
 アキコが小学校に入学して、もうすぐ三か月になります。学校にも慣れて、お友達もたくさんできました。今日も仲良しの春ちゃんの家で遊んできたところです。
 二人は幼稚園のときからのお友達で、アキコの家と春ちゃんの家は、矢田川とその両岸の広い河原を挟んで、向かい合うように建っていました。お互いに、矢田川の堤防まで上がると、それぞれの家の屋根が見えました。
「ここに橋があったらいいのにね」
アキコと春ちゃんの口癖でした。もし、二人の家の前に橋がかかっていたら、もっと長いこと遊んでいられると思っていたからです。
 矢田川は、ずっと遠くの山から急流を下って流れてきていましたが、アキコが住む町を流れるころには、川幅も広くなり、流れも普段はとても穏やかでした。
真夏の頃は、川の水も少なくなり、男の子たちは半ズボンのまま川を渡ったりしましたが、それは学校で禁止されていました。
アキコも、お父さんとお母さんから、絶対に川には入っていけないと言われていました。だから、春ちゃんの家へ遊びに行くときは、いつも近道ができる橋があったらいいのになと、思っていました。

 ようやく宮前橋に着きました。まん中が車道で、その両側が歩行者用の通路でした。歩きながら下の様子がよく見えます。川は昨日からの雨で水量も多く、流れもいつもより急でした。
橋の上は風が強く、アキコは傘をしっかり持って歩きました。
「早く帰らないと、お母さんに叱られちゃう」
春ちゃんの家を出てから、そのことばかりが頭に浮かんできました。
「近道の橋があったら、もっと早く帰れるのにな」
 宮前橋を渡り終えると、今度は上流に向かって堤防の道を歩きました。対岸では下流に向かって歩いていたので、また戻る方向になりました。
「損している」
対岸の風景を見ながら、アキコはそう思いました。
堤防の道は狭くて、歩行者と自転車専用でした。晴れた日は散歩や運動をする人をよく見かけますが、今日は朝から雨なので、すれ違う人もいませんでした。

春ちゃんの家は川向うにありました

アキコにとって、今日の堤防の道は、いつもよりずっと遠く感じました。
少し急ごうと、速足で歩き始めたところ、
前方の水溜りの中で、何か短い紐のようなものがピチャピチャと動いているのが見えました。
「あれ、なんだろう?」
 水溜りは、道のアスファルトが窪んだところに、雨水が溜まってできたものです。
雨が降ると、堤防の道にはたくさんの水溜りができました。
アキコはその水溜りの手前で止まりました。
「……わっ! へび?」
何かしらんと、近づいてよく見てみると、紐のように見えたのは、30センチくらいの長さのヘビでした。
アキコは、ヘビを見るのは初めてだっ
たので、びっくりして後ろにころんでしまいました。
 この辺りの河原では、ときどきヘビを出るという話を、聞いたことはありました。河原の草むらで、バッタ捕りをしていたときも、ヘビに咬まれるからやめなさいと、お母さんに注意されたこともありました。

アキコは、動物図鑑のイラストや写真でヘビのことは知っていましたが、本物のヘビを見るのは、今が初めてです。
「…………」
何よりもアキコを驚かせたのは、ヘビの姿や形もそうでしたが、一番はその動きでした。  
なめらかな曲線を描くように、クネクネと体をゆするその動きを見たとき、アキコは何故か全身に鳥肌が立ちました。
「早く、逃げないと咬みつかれちゃう!」
アキコは急いで起き上がると、ヘビのいる水溜りを避けて、堤防の端の方へ逃げました。
「お願いだから、追いかけてこないでね」
アキコは蛇を怒らせないように、できるだけ静かにそっと歩いて、ヘビから遠ざかりました。
ときどき振り返ると、ヘビは相変わらず水溜りの中で、ピシャピシャと跳ねたりクネクネと体を揺らしていました。
ヘビのいた水溜りが小さく見えるところまで来て、アキコは立ち止まりました。水面を揺らすヘビの姿が、まだ見えました。
「ヘビさんは、あそこで何をしているのかしらん?」
ヘビを見たときは恐ろしくて、逃げることしか思い浮かびませんでしたが、ここまで逃げてきて、アキコは何か変だと思いはじめました。
「あのヘビさんは、ケガをしてたのかしらん?」
 また、鳥肌が立ちそうでしたが、さきほど見たあの光景を、アキコは思い出していました。
 クネクネと水の中でからだを揺らしていたヘビの動きが、何かちぐはぐだったような気がしました。全体の四分の三くらいはすごくしなやかに動いていて、その動きに鳥肌がたったのでしたが、細くなっていく残りの四分の一は、どこかぎこちない動きでした。それに、からだがその部分だけ‘く’の字に折れていて、余計に変な動きかたに見えました。
 アキコは、その‘く’の字に折れたところに赤い血のようなものが付いていたような気がしました。
「やっぱりあのヘビさんは、ケガをしてたんだわ。それであの水溜りから出られないんだわ」
 そう思うと、今も水溜りの中でクネクネと動いているヘビが、一生懸命に水溜まりから出ようとしているように見えて、アキコは可哀想になりました。
今、堤防の上には、アキコとあのヘビしかいませんでした。ここから家までは、まだ少し距離があります。お母さんとの約束の時間はもうとっくに過ぎていました。このまま急いで帰ったほうが良いに決まっています。でもアキコはどうしてもヘビのことが気になりました。あの気味の悪いクネクネとした動きも、必死に助けを求めているように思えてきたのです。
雨が少し強くなりました。とにかく一度あの水溜りまで戻ってみようと思いました。
 もちろんヘビを恐ろしいと、アキコは思いました。でも、ケガをしていて、あのまま誰も助けてあげなかったら、ヘビは死んでしまうかもしれません。そう思うと、そのまま立ち去ることはできませんでした。
 アキコのお父さんは獣医さんでした。でも犬や猫の病気を治療する獣医さんではなく、牛乳やチーズを作る会社で、たくさんの牛たちの健康を守る仕事をしていました。でもアキコが家で飼っていた小鳥や亀がケガや病気になったときは、いつも診てくれました。
 自分ではヘビのケガを治すことはことはできませんが、せめてあの水溜りから出してあげたいと、アキコは思いました。そして、どこか安全なところへ行けるように、手伝ってあげたいと。

 アキコは勇気を出してヘビのいる水溜りに戻りました。
ヘビは先ほどと同じようにピチャピチャ、クネクネと動いていましたが、アキコが近づいてのぞき込むと、急に動くのをやめました。そして、頭を上げると、まっすぐアキコを見上げました。小さなヘビの小さな目でしたが、アキコはヘビに見つめられて心臓がドキドキしました。
「ヘビさんお願い、咬んだりしないでね」
アキコは恐ろしさを我慢しました。
「ケガをして、ここから出られないのね。アキコ、何かお手伝いしましょうか……」
 ヘビはしばらくアキコを見ていましたが、やがて無視するように、ピシャピシャ・クネクネと、またもとのように動きだしました。
でも、シッポの‘く’の字に折れたところだけは、やはりぎこちない動きでした。そして、血がにじんでいました。
 アキコは、ケガをして折れたシッポの
せいで、ヘビは思うように動けないのかもしれないと思いました。それにしても、どうしてこのシッポは折れ曲がってしまったのかしらんと、アキコは水溜りの中でもがくように体をくねらせているヘビを見ながら考えました。
アキコは、いつだったか大きいお兄ちゃんたちが、河原で話していたことを思い出しました。
 お兄ちゃんたちは、石を投げてヘビをやっつけたとか、自転車でヘビをひいてやったとか、そんなことを自慢げに話していたのを思い出しました。
「そういえばさっき……」
 アキコは、さきほど宮前橋を渡りきる少し前に、こちら側の堤防の道を走ってくる自転車を見ました。乗っていたのは大人の人でしたが、すごいスピードを出して走っていました。
もしかしたら、あの自転車にシッポをひかれてしまったのかもしれないと、アキコは思いました。大人の人だったので、わざとひいたのではなく、きっと雨でよく見えなかったからだと思いました。でも、もし本当にこのヘビが自転車にひかれてケガをしたのだったら、アキコは同じ人間として、謝らなくてはいけないような気がしました。
ヘビは相変わらず動いていましたが、少し元気がなくなってきたように見えました。
「どうしてあげたらいいのかしらん」
河原の草が、雨に打たれて、うなだれていました。でも、夏にはアキコの背よりも高くなっているはずです。アキコはあの草はらのどこかに、ヘビのすみかがあるような気がしました。
「ヘビさん、水溜りが出て、草はらのほへ行きましょ。ここにいたら、また自転車が通るかもしれないし……」
アキコは何度もそう話しかけましたが、ヘビには通じないようでした。いつまでも、ピチャピチャ・クネクエと動いていましたが、だんだんと動きが遅くなり、いよいよ元気もなくなってきたように見えました。
 アキコは、何か棒のようなものでヘビを押して、水溜りの中から出してあげられないかと思いました。
周りを見ましたが、棒はありませんでした。仕方なく、差していた傘をたたんで丸めました。
「ヘビさん、怒らないでね」と言いながら傘の先でツンツンとヘビを軽く押しました。すると、先ほどまで元気のない様子でいた蛇が、急に激しく暴れ出しました。
「わぁ!」
アキコはびっくりしました。また恐ろしくなってきて、その場から逃げ出したいとも思いました。
でも、ヘビは疲れてしまったのか、急に動くのをやめると、今度は水溜りの中に沈んでしまいました。水溜りの深さは五センチメートルくらいでしたが、底に着いたとたん、今度は水の上に出ようとしているのか、また暴れて水面に出てきました。
 そんなことを何度か繰り返しているうちに、ヘビはとうとう疲れ果ててしまったらしく、水底に沈んだまま動かなくなってしまいました。
「たいへん、ヘビさん溺れちゃうわ!」
アキコはもう一度勇気を出して、傘の先を水溜りの中に入れ、ヘビの頭に近づけました。
「ヘビさん、この上に乗って」
 アキコはできるだけ脅かさないように、傘の先をヘビの体に寄せました。しかし、ヘビは沈んだまま動こうとしませんでした。
「ヘビさん、お願い、アキコの言うことを聞いて」
傘を差していないアキコの顔は、雨でびしょぬれになっていました。
「このままではいけない、息ができなくて死んじゃうわ」
アキコはもう少し強く押すことにしました。それでも動かないので、もっと強く押してみました。
「わっ!」
 アキコは、持っていた傘を思わず落としてしまいました。傘が半分くらい水溜りに浸かっていました。そして、傘の先にはヘビが巻き付いていました。
 頭を押されたヘビが、突然、傘に巻き付いてきたのです。
アキコは泣きたくなりました。頭を傘の先に乗せて、水の上に出してあげようと思っていただけなのに、ヘビは全身で巻き付いてきたのです。
「お願い、傘を離してよ!」
しかし、ヘビは傘の先にグルグルと巻き付いて離れようとはしませんでした。
 アキコは困ってしまいましたが、
「そうだ、このまま傘と一緒にヘビさんを草むらまで運んだらどうかしらん」と考えました。
 でも、自分にそんな恐ろしいことができるだろうかと思いました。傘の先から柄の持ち手まで1メートルもありません。手に持った傘でヘビとつながっていることになります。
「どうしよう?アキコの手に巻き付いてきたら……」
 アキコはヘビが巻き付いている傘を見ました。やはり、恐ろしくてとてもできないと思いました。
アキコは本当に困ってしまいました。怒っているお母さんの顔が、また浮かんできました。

雨がいっそう強く降り始めました。アキコもヘビも雨に打たれていました。
すると傘に巻き付いていたヘビの体がゆっくりとほどけてきました。

傘の先に巻き付いたヘビさん

「やっと、離れる気になったのかしらん」
アキコはもう一度だけ、勇気を出してみようと決めました。
ハンカチで顔にかかった雨をぬぐうと、深呼吸をしました。
そして、一度だけと決めて、地面に落ちている傘をそっと拾い上げました。すぐ先にヘビがいました。こちらを見ているような気がしました。
「お願いだから、こっちには来ないでね」
 アキコは、綱渡りでもしているような慎重さで、ヘビが巻き付いた傘を前に突き出すようにして歩きました。
草の生い茂った堤防の斜面までは、わずか、二、三メートルの距離でしたが、アキコは祈るような思いでした。
ようやく堤防の端に着いて、
「へびさん、ここで降りてね」
 アキコは傘の先を下に向けて、ヘビを降ろそうとしました。でも、ヘビは巻き付いたまま降りようとしませんでした。
少し、傘をゆすってみました。それでもヘビは降りませんでした。仕方なく、もっと強く振ってみましたが、やっぱり離れません。
さらに強く振ってみましたが、ヘビは離れるどころか、一度は緩めた体をもっときつく巻き付けてきました。そして、ついには傘の先で団子のように丸まってしまいました。
アキコはもうお手上げでした。ヘビは離れてくれないし、雨はどんどん強く降ってくるし、早く帰らないとお母さんに叱られるし。
アキコは少し腹が立ってきて、恐いのも忘れて、ヘビを叱ってやりたくなりました。
「ヘビさん、ひどい!アキコの傘を返して!」
すると意外にも、ヘビはアキコに怒られたことがわかったのか、頭をぐるぐる巻きの団子の中に引っ込めてしまいました。そして、胴と胴のすき間から、まるでアキコを恐がっているように見ていました。
 アキコはそんなヘビの様子を見て、ヘビは思っていたほど恐ろしい動物ではないかも知れないと思いました。それどころか、隠れてアキコを見ているヘビの目が、可愛く見えました。
「ねえ、ヘビさん、アキコはどうしたらいいの?」
 アキコはふと対岸の春ちゃんの家の方を見ましたが、強い雨のせいではっきり見えませんでした。さきほどまで春ちゃんと楽しく遊んでいたのが、うそのようでした。

もう一度、ヘビの方を見ました。すると丸まった端の方から‘く’の字に折れたシッポの先が飛び出していました。そこからから赤い血が一滴、ぽとりと地面に落ちました。
「そうだ、このヘビさんはケガをしてたんだわ」
アキコの心の中で、いつのまにか、ヘビに対する気持ちが少し変わっていました。
今、この長い堤防の上にいるのは、アキコと目の前のヘビだけのような気がしました。そう思うと、恐がってばかりいないで、この小さなヘビを守ってあげないといけない、そんな気がしてきました。
「今日は土曜日だから、お父さんはもう帰っているはずだわ」
アキコは、このまま傘ごとヘビを家に連れて帰って、お父さんに診てもらったらどうかしらんと思いました。
「お父さんなら、きっと診てくれる。そしたらこのヘビさんを助けてあげられるわ」
アキコは傘の先で団子のように丸まっているヘビを、もうそれほど怖いとは思いませんでした。でも、このまま持っていくと、途中で誰かにすれ違ったりしても困ると思いました。それにヘビが落ちるかもしれません。
アキコは顔を拭たハンカチで、傘の先のヘビをそっと包むように結びました。
「これでいいわ」
アキコは、ヘビが巻き付いた傘を前に突き出すようにして、雨に濡れながら家に帰って行きました。

アキコは玄関のドアをそっと開け、傘の先に付いたハンカチの包みをまず中に入れ、その後に続きました。
「ただいま」
 リビングからすぐにお母さんが出てきました。アキコの顔を見るなり、
「アキコ!、今何時だと思ってるの、おやつの時間はとっくに過ぎてますよ。いたっい、今まで……」
 アキコは、いつもならこんな時、すぐにお母さんに謝るのですが、今日は傘の先の包みに気を取られて、お母さんの声も聞こえていないようでした。
「アキコ、あなた……、びしょぬれじゃないの!」
 お母さんは顔をしかめました。
アキコは堤防からずっと傘を差さずに雨の中を歩いてきたので、まるで頭から水をかぶったようにぬれていました。
「お母さん、お父さんは帰ってる?」
「お父さんはとっくに帰ってますよ。それより何ですか、その恰好は?どうしてそんなにぬれているの?」
お母さんは、アキコを叱ることばかり考えていたので、すぐに傘のことには気付いていませんでした.
でも、包みの付いた傘を前に突き出して立っているアキコの姿は、どう見ても変でした。
「何ですか、その傘?」
もう訳が分らないという顔で、お母さんはアキコを見ました。
「お父さんに…」
「お父さんがどうしたと言うの。それより何、その傘は? そのハンカチは? 中に何か入ってるの?」
 お母さんはそう言うと、もう待っていられないというふうに、傘の先のハンカチを取ろうとしました。
「あっ!」
 アキコは、ヘビのことをどうやってお父さんとお母さんに話そうかと、道々考えてきましたが、話がまとまらないまま家に着いてしまいました。
 一番にヘビさんのことを話せば良かったと思いましたが、もう遅すぎました。
 お母さんはハンカチの包みをほどくと、傘の先で丸まっているモノを、
「何よこれ?」と言って、顔を近づけながら見ました
「………… キャー!」
 悲鳴を上げながら、お母さんは後ろにのけぞると、そのまま玄関ホールの壁まで逃げました。
「アキコ、あなた、…………」
お母さんの顔が引きつっていました。そのあと言葉が出てきませんでした。
「お母さん、ごめんなさい! このヘビさんがね、堤防の水溜りでね……」
アキコは、早く訳を話そうと思いました。しかし、お母さんがあんなにびっくりするとは思わなかったので、どう話して良いのか分らなくなってしまいました。
傘の先のヘビは、ハンカチの包みが取れるといったん身を固くしましたが、すぐに何事が起こっているのか確かめるように、頭をもたげました。そして、お母さんの方を向くと、口から赤い舌をチョロチョロと出し入れしました。玄関の明るい照明がヘビの赤い舌を照らしていました。
「キャー!」
再び、お母さんの悲鳴が家中に響きました。
「アキコ!……」お母さんは泣き出しそうでした
アキコはその様子を見て、ますますどうしたら良いのかわからなくなり、立ちすくんでいました。

ヘビさんを見てビックリするお母さん

「どうしたんだ、大きな声を出して」
お母さんの悲鳴を聞きつけて、お父さんが書斎のほうから出てきました。そして、心配そうな顔で、二人を交互に見ました。
「あなた、見て!」
お父さんの姿を見て、お母さんは少し元気がでてきました。震える手で、アキコが持っている傘の先を指しました。
お父さんはいぶかしそうに傘の先を見ましたが、
「おやおや」と言うと、急にニコニコしながら傘の先のヘビに顔を近づけました。
「あなた、やめてください!そんなに近づいたら咬まれますよ!」
お父さんは、怯えているお母さんの方を見て笑い、
「大丈夫だよ、これはアオダイショウだ。まだ子供だな」と言いました。
 アキコは、お父さんが少しもヘビを恐がらないので、偉いなと思いました。
お父さんは、アキコにも、いたずらっぽく笑いかけながら、ツンツンとアオダイショウを指でつつききました。傘の先のヘビはまた頭を隠して丸くなりました。
「ああ、こんなに固まっちゃって」
 アキコは、お父さんがヘビと仲良くしているところを見て、うれしくなりました 
でも、お母さんは逆のようでした。ヘビを家に持ってきたアキコを叱るどころか、かえってヘビに触れて楽しそうにしているお父さんを見て、不満そうでした。
「あなた、少しはアキコを叱ってください」
お母さんにきつく言われて仕方なさそうに、お父さんはヘビに触れるのをやめてアキコのほうを見ました。でも、お父さんが優しく笑っていたので、アキコは安心しました。
「それでアキコ、このアオダイショウはどうしたんだい?」
「アオダイショウ?」
「このヘビさんことだよ。アオダイショウって言う名前のヘビだよ」
「へぇー、ヘビさんにも名前があるの」
「もちろんだよ。それにしてもアキコ、どうしてこんなにぬれているの? ……もしかしたら、ヘビさんに傘を取られてしまったのかな?」
アキコが「うん」とうなずくと、
「それはたんへんだったね」と言って笑いながら、洗面室からタオルを取ってきてくれました。そして、アキコのぬれた髪の毛や顔を拭いてくれました。
「さあ、早く上がって、服も着替えないと風をひくよ」
「その前にアキコ! 早くそれを外へ捨ててきなさい、お願いだから」
お母さんの顔が怒り顔からまた泣き顔になっていました。アキコも傘を持ったまま上がっていいのかどうか分らず、ヘビとお父さんをかわるがわる見て
「お父さん、ヘビさんね、ケガをしてるの」
「ケガ?」
 お父さんはどれどれというふうに、また顔をヘビに近づけるとすぐに隠れていたシッポを見つけて
「ああ、これか」と言って、‘く’の字に折れたシッポを指で触っていました。
お母さんは信じられないという顔でその様子を見ていました。
「人に踏まれたか、自転車のタイヤにでも轢かれちゃったかな。可哀想に先のほうはは潰れているね」
「アキコも、そう思うの。だってね……」
 大人の人がすごいスピードで堤防の道を走っていたこと、すぐそのあとにヘビを見つけたこと、恐かったけどヘビを助けてあげたいと思ったこと、そして傘に巻き付いてきたことを話しました。そして、
「それでね、お父さんにヘビさんのケガを治してもらおうと思って」
 アキコはそう言って、ヘビの付いた傘を持ったまま、お父さんに抱きつきました。お父さんはそうか、そうかと言いながらアキコの頭を撫でてくれました。
 玄関ホールの隅で、アキコの話を聞いていたお母さんは、呆れたような顔をしていました。
「あなたは、ときどきそういう訳の分らないことをするわね。どうして、お父さんがヘビのケガを診なくちゃいけないの、それに、治せるわけないでしょ」
「だって、アキコが幼稚園のときに飼っていた亀も、お父さんに診てもらったよ」
「でも、亀は死んだじゃない」
お母さんは、ヘビを触っているお父さんを見ました。
「ははは、僕は牛が専門だからな」
 お父さんは、申し訳なさそうにアキコを見て頭を掻いていました。
「とにかく、あなたもアキコに言い聞かせて、早くそれを捨ててくるように言ってください。」
「でも、お母さん、ヘビさん、アキコの傘から離れないの。きっと、お父さんにケガを治してもらいたいんだと思うの」
「いつまでも、馬鹿なことを言ってないで、それに傘から離れないなら、傘ごと捨ててきなさい」
 お母さんは譲りませんでした。
「少しはアキコの気持ちも考えてやろうよ」
お父さんは、お母さんをなだめるように言いました。
「アキコの気持ちって、何ですか?」
お母さんは、納得できませんという顔でした。
「アキコのやさしい気持ちだよ、アキコだってどんなにヘビが恐かったか、まだ、小学校一年生だよ。ケガをしている動物を、可哀想だと思って、ここまで連れてきたんだよ。雨の中を」
「動物と言ってもヘビですよ!そんな悪い動物なんて、助ける必要ないでしょう」
 お母さんは決めつけるように言いました。
「悪い動物って、ヘビのどこが悪いの?」
お母さんはむきになって
「悪いですよ、良いわけないわよ、ヘビよ」
「確かに、毒蛇とか、人に危害を与える種類のヘビもいるけど、それだってたまたま運悪く毒蛇に近づいてしまった人の側にも原因があるんだ。ヘビのほうから近づいてきて襲ったわけじゃないよ。それに、アキコが連れてきたのはアオダイショウだよ。毒なんかないし、人がほうから悪さをしなければ何もしないよ」
「ヘビの種類なんか、どうでもいいんです。ヘビっていうことが許せないんです!不潔で気味が悪いわ。可愛い小鳥なんかを丸呑みにしたりして、残忍な最低の動物です」
お父さんはもう後には引けないと、真剣な顔でお母さんと向き合いました。
「悪い動物とか、残忍とか、それは違うと思うよ。確かにヘビを嫌いな人は多いし、あの姿や動きを気味が悪いと思うのは、お母さんの勝手かもしれない。でもだからと言って、子供にヘビはみんな悪い動物で残忍な生き物だなんて教えるのは良くないと思うよ。小鳥を丸呑みにするっていうけど、鳥だってヘビを食べているんだよ。タカやワシだけではなくて、矢田川の河原でも時々見る、君が優雅だと言っているシラサギだって、ヘビを丸呑みにするんだ。アキコが連れてきたアオダイショウの兄弟だって、きっと何匹かはシラサギに丸呑みにされているよ」
「ヘビの兄弟なんて、どうでもいいんです」
 お母さんは、いつも温厚なお父さんが、まるで叱るように言うので、ちょっとすねているような感じでした。
アキコは、自分がヘビを連れてきたことで、いつも仲の良いお父さんとお母さんが、言い争うようなことになったので、悪いことをしたような気になりました。
「それで、アキコはどうしたいの?だいたい、おやつの時間まで帰るって約束してたのに、その約束を破っておいて、その上、ヘビまで家に連れてきて、本当に……」
 お母さんはとうとう泣き出してしまいました。
「…………」
 アキコは、ヘビを捨てるのは可哀想だし、泣いているお母さんをそのままにもできないし、ほんとうにどうしたら良いほか分らなくなりました。
するとそばにいたお父さんが見かねて
「お母さんとの約束を守らなかったのは、アキコが悪いよ」
 アキコは「うん」とうなずき、小さな声で「お母さん、ごめんなさい」と言いました。
「それでいい。でもね、ケガをしたヘビを勇気をだして助けようとしたことは、お父さんはとても良いことだと思うよ。少しお母さんを驚かせてしまったけど」
「少しじゃないわ、ほんとうに心臓が止まりそうよ」
 お母さんは、アキコが素直に謝ったので、もうそれ以上怒る気にはなれませんでした。でも、ヘビをそのままにしておくことは我慢できませんでした。ただ、全身ずぶぬれになって、ずっと玄関に立っているアキコを見て、怒っていた自分も情けなくなってきました。
「とにかく、早く上がって、お着替えをしなさい」
 お母さんはそう言いながら、ヘビを避けるようにしてアキコに近づき、
「早くそれをお父さんに渡しなさい」
 アキコはお母さんに言われて、傘をお父さんに渡しました。
「あなたがアキコの気持ちを大事にしたいとおっしゃっるんでしたら、あなたが責任をもって、治療でも何でもしてください。そのかわり、絶対に私の目にふれないようお願いします」
 お母さんは、アキコをひったくるように着替えに連れて行きました。
アキコはお母さんに手をひかれながら振り返りました。
ホールには傘を持って立っているお父さんと傘先のヘビが見えました。
「お父さん、ヘビさんを助けてね」
お父さんはうなずいて、笑っていました。

アキコは熱いシャワーを浴びて、着替えを済ますと、さっぱりして、気分も軽くなりました。お母さんは、バスルームの中でアキコの手首をつかむと、
「ヘビを触ったの?」と眉をしかめて尋ねました。
「ううん」とアキコは首を横に振りましたが、お母さんは、それでもアキコの手をスポンジでごしごしと洗いました。
アキコはリビングでお母さんが用意してくれたおやつを食べ終わると、待ちきれないように、
「お父さんのところへ行ってくる」といって書斎の方へ行きました。
「ヘビを触ったりしないでね。きれいに洗ったばかりなんだから」
お母さんのため息が聞こえました。

「お父さん、入ってもいい」
書斎の中から、「いいよ」と言うお父さんの声が聞こえてきました。
 アキコはお父さんの書斎が大好きでした。難しそうな本がいっぱいあって、壁には動物の写真がたくさん張ってありました。動物といってもほとんどお父さんの仕事に関係がある牛の写真でしたが、とても珍しい種類の牛や野生の牛だと、お父さんが教えてくれました。
「お父さん、ヘビさんは?」
アキコはお父さんそばに来て尋ねました。
「見てごらん」
机の上に広げた白いタオルの上に、先ほどまでアキコの傘に巻き付いていたヘビがいました。丸い渦巻きのような形になっていました。
「可愛い!」
 最初に見たときは、恐くて後ろにひっくり返りましたが、まん丸くなっているヘビははとても可愛らしく見えました。お父さんがそばにいるせいもありましたが、もう少しも恐くありませんでした。
「ケガは直ったの?」
「うん、取りあえず傷口を消毒してお薬を塗っておいたよ」
「あっ、口の中から赤い糸みたいなものが出たよ」
「それは、舌だよ」
「した?」
「そう、ベロ」
 お父さんはそう言って自分の舌をベーと出してアキコに見せました。
「このベロでね、ヘビは臭いを嗅いでいるんだ」
「におい?お鼻じゃなくて、ベロで?」
「そう、ベロで臭いを嗅いで、餌になる獲物を探したり、敵が近づいて来るのを警戒してるんだよ。今、アキコが近づいたから用心したんだ」
「へぇー、ヘビさんはアキコの臭いが分るの?」
 お父さんは笑って、「そうだよ」と答えました。
「やっぱり自転車のタイヤに轢かれたんだと思う」
 お父さんはそう言って丸くなっているヘビの体をそっと伸ばしました。ヘビは少し嫌がりましたが、お父さんが頭とシッポを軽く抑えると大人しくなりました。シッポの先はやはり‘く’の字に折れていました。
「ここ」
お父さんはシッポの方を抑えている手の指で、ヘビの腹の部分を指しました。
「ここはね、ヘビがウンチやオシッコをするところなんだけど、ここから上を踏まれていたら死んでたと思うよ」
「シッポが折れているのは大丈夫なの?」
「うん、トカゲだって尻尾が切れても死んだりしないだろ、しばらくはちょっと動きにくいかもしれないけど、そのうち曲がっているところは取れちゃうと思うよ」
「そしたら、また元気になる?」
「うん」お父さんがうなずいたので、アキコは安心しました。
お父さんが押さえていた手をはなすと、ヘビはまたゆっくりと丸くなっていきました。
「ところで、アキコ、このヘビは、どうする?」
「どうするって?」
「ケガの治療をしてあげたら、その後はどうするつもりだったの?」
「お家に、返してあげようと思ってた」
「そうだね、お父さんもそれがいいと思う」
「きっと、ヘビさんのお家は、河原の草の中だと、アキコ、思うの」
 アキコはそこまで言うと、しばらく考え込んでいました。
お父さんは、「どうしたのかな?」と言ってアキコを見ていました。
「あのね、お父さん。ずっと前にね、大きいお兄ちゃんたちが河原でヘビさんを石でやっつけたと言ってたの。あそへ返すと、このヘビさんもお兄ちゃんたちに見つかって石を投げられないかしらん」
 アキコは心配そうにヘビを見ました。

怖いけど、でも元気になって良かった


「そうだね、昔からヘビは嫌われ者だからね。何にも悪いことをしていないのに殺されたり、ちょっとかわいそうだね」
「どうして、みんなヘビさんが嫌いなの?」
「それは難しいな、理由はいろいろあると思うけど。例えば、あのくねくねとした動きが気味が悪いと言う人もいるし、毒があるから恐いと言う人もいるし、獲物を生きまま呑みこむのは残酷だと言う人もいるし。でも結局は、お母さんみたいに嫌いなものは嫌いというところだろうね」
 アキコは、玄関でヘビを見たときのお母さんのことを思い出しました。お母さんも気の毒だったけど、何も悪いことをしていないのに、あんなに嫌われるヘビもかわいそうだと思いました。
 アキコがお父さんにそう話すと、
「そうだね、いろいろな人がいるから、なかにはヘビを嫌いだと思う人がいても仕方がないと思うよ。アキコだって打ち上げ花火の‘ドン’という音が小さいころから大嫌いだったよね。あれと同じかもしれない」
 アキコは夏祭りの打ち上げ花火の音が大の苦手でした。でも、花火の音とヘビが嫌いと思うのが、どうして同じなのかわかりませんでした。お父さんにそう言うと、
「そうだね、少し違うかもしれないけど……でも人の好き嫌いはその人の感覚みたいなものもあるからね。だから、お母さんのように、理由よりもとにかくヘビが嫌いということもあるんだよ」
お父さんは、キョトンとしているアキコを見て、
「難しいよね。ただね、嫌いだからといって理由もないのにヘビをいじめたり殺したりすることは、それは絶対間違っていると思うよ」
 アキコもそのことは理解できました。
「だから、今日、アキコはお母さんとの約束を守らなかった、そのことはいけないことだと思う。でも、勇気を出してヘビを助けようとしたその気持ちは、お父さんはすごく大切なことだと思うし、これからも忘れないでほしいな」
「わかったわ」アキコは元気よく返事をしました。そして、
「お父さん、一度だけ、ヘビさんを触ってもいい?さっきお母さんからは絶対にダメって言われたけど」
 お父さんは苦笑いをしながら、
「困ったなあ、お母さんには絶対内緒だよ」そう言うとそっと指で丸くなっているヘビの頭を軽く押さえました。
「いいよ、触ってごらん。脅かさないようにそっとね」
 アキコは心臓が少しドキドキしました。ヘビ触るのはもちろん生まれて初めてのことです。
「冷たい」
 アキコはヘビに触れて最初にそう思いました。そして、少しもヌルヌルとしていないので、意外でした。魚やウナギのようにヌルッとして臭いと思っていましたが、臭いもなく、冷たくてサラッしていました。撫でていると、指先が心地良いくらいでした。
「もういいかい」
「うん、お父さんありがとう」
お父さんも嬉しそうでした。
「じゃ、このヘビは矢田川の河原に放してあげよう。大きいお兄ちゃんたちにも見つからないように、できるだけ草の生い茂っているところにしよう。あとはヘビさんが頑張って見つからないように逃げてもらおう。それに、アオダイショウは大きくなるから、そうなったらお兄ちゃんたちがびっくりして逃げていくよう」
「そんなに大きくなるの?」
「これくらい大きくなるよ」
お父さんは両手もいっぱい広げました。アキコはそれを見て、そんなに大きくなったら、やっぱり恐いなと思いました。
お父さんが窓の外を見ながら、
「よく降ってるな、今夜はヘビさんをここに置いてあげようか。でも、このままだと、どこかへもぐりこんじゃうから、何かふたのできる容器入れないと」
「亀さんを飼っていた水槽は?」
「そうだね、それがいい。確かふたも付いてたし。あれどこに、やったかな?」
「お母さんが、知ってると思う」
アキコはそう言ってからお父さんの顔を見ました。お父さんも一緒のことを考えたらしく、「お母さん、怒るだろうな」
二人は顔を見合わせて笑いました。

予想した通り、お母さんは猛反対でした。一度は、お父さんに言われて、ヘビのケガを治療することだけは、目をつむりましたが、それだって許したわけではありませんでした。
 ヘビのことで、いつまでもずぶぬれのアキコを玄関に立たせておくことは、できなかったからです。
お父さんの治療が終われば、すぐに外へ捨ててきてもらうつもりでした。
それが、明日の朝まで家の中に置いておくなど、お母さんには耐えられないことでした。
「あなたも、アキコも、いい加減にして下さい」
 お父さんが、いくらとりなしても、今度は許してくれませんでした。
「アキコ、もうお父さんに治療してもらったのだから、もといたところに返してきなさい」
「しかし、もうすぐ日も暮れるし、だいいち外はひどい雨だよ。明日の朝まで待ってあげられないのかい」
「嫌です。暗くなるし雨だというなら、あなたが行ってください。だいたい、あの時すぐに捨ててくれば良かったんです。それをあなたが……、あなたはアキコに甘すぎます」
 お母さんが一歩も引かないので、お父さんも困ってしまいました。
「お母さん」
「何ですか、アキコが何と言っても、お母さんは許しませんよ」
 お母さんは、アキコの思いつめた顔を見て、また何か突拍子もないことを言いそうな気がして身構えていました。
「アキコが花火の‘ドン’が嫌いなように、お母さんはヘビさんが嫌いなんでしょ?」
「はぁ?」
 お母さんはアキコが何を言っているのかさっぱりわかりませんでした。
「アキコが花火の‘ドン’が嫌いで、お祭りの打ち上げ花火が始まるといつも耳をふさいで泣いていたとき、お母さんはアキコに言ったでしょ」
「アキコはいったい何の話をしているの?花火とヘビと何の関係があるの。アキコはいつもそうやって訳の分らない話をするのよ。お母さんは、今すぐ、ヘビを返してきなさいって言ってるだけよ」
「アキコの話を最後まで、聞いてあげたらどうだい」
 お父さんは、アキコに任せてみようと思いました。
「アキコの話を聞いて、それでもどうしてもだめだと言うなら、私とアキコで、行くよ」
「わかりました、私がアキコの話を聞き終わったら、すぐに捨てて来てくれるんですね」
 お母さんはそう言うと、リビングのソファに座り直し、立っているアキコに、座りなさいと、前のソファーを指差しました。
 アキコはお母さんの前に座りました。お父さんは少し離れたテーブルの椅子に腰かけました。
「あのね、お母さん。さっきアキコ、花火のお話をしたでしょ。 ‘ドン’という音が嫌いだって。どうして嫌いなのかって訊かれて、音が大きいからとか、びっくりするからとか、いろいろあったけど、やっぱり嫌いだから嫌いってそうお母さんに言ったら、お母さんはアキコに『その嫌いなことを我慢して、待っててごらんなさい。そしたら空いっぱいにきらめくきれいなものが見られるから。そしたら、花火の音も少しは好きになると思うわ』……」
 お母さんは黙って聞いていましたが、アキコが何を言おうとしているのか、よく分らなくて、どういうことなのか考えていました。
「……だから、お母さんがヘビを嫌いなのは、アキコが花火の ‘ドン’が嫌いなのと同じで、〈嫌いだから嫌い〉だと思うの」
お母さんはますますわからないという顔で、何か言いたそうでした。でも我慢しているのか、何も言いませんでした。
「だから、アキコが‘ドン’を我慢したら、ご褒美にきれいなものが見られるのと同じで、お母さんも少しだけヘビが嫌いなのを我慢したら、ヘビさんもお母さんに何か素敵なご褒美をくれるかもしれないと思うの」
 お母さんはアキコの話を聞き終わると、しばらく黙っていましたが、そのうち泣きそうな顔をしながら笑い出しました。
「ヘビのご褒美なんていらないわよ」そう言ったきり、笑うのをやめてうつむいていました。
「アキコには負けたわ。本当に明日の朝までよ。約束よ」
 お母さんは、そう言ってリビングから出ていくと、しばらくして水槽を持って戻ってきました。
「それともう一つ、条件があるの。この水槽は、今夜、アキコの部屋に置きなさい。そして、ヘビさんがどんなご褒美をくれるのか、アキコがよく見ておきなさい」

 夕食が終わるとしばらくして、お父さんが水槽を持ってアキコの部屋へ入ってきました。水槽の中に白いタオルが敷いてあり、アオダイショウが丸くなってじっとしていました。そばには水を入れた器も入っていました。お勉強は済ましておいたので、机の上に置いてもらいました。
「まだ、眠ってないみたいね。目を開いてるわ」
 アキコは水槽をのぞき込んで、ヘビを見ました。
「ヘビは目を閉じないんだよ。というより、まぶたがないから目を閉じなれないんだけど」
「それじゃ、目を開けたまま、眠るの?」
アキコは、目を開けたまま、どうやって眠るのか考えましたが、想像できませんでした。
「それじゃ、アキコ、今日は早く寝て、ヘビさんがよく眠れるように早めに明かりを消すわ」
 お父さんはそれがいいかも知れないと言いました。それからアキコの部屋を出るときに、
「さっき食事のときに、お母さんが言ったこと、あれは嘘だからね。お母さんは、アキコに言い負かされて悔しいから、ちょっと意地悪を言ったんだ。そんなことはないからね」
 お父さんは、笑いながら出ていきました。
 アキコは、お父さんに言った通り、夜の八時には明かりを消してベットに入りました。水槽からは物音ひとつ聞こえませんでした。
 今日はいろいろなことがあって、疲れていたのか、アキコはすぐに寝てしまいました。

夜中に、何か物音がして、目が覚めました。
「何の音だろう?」
 アキコは耳を澄ませました。その時は何も聞こえませんでした。ベットに入ったときは、外はまだ雨が降っていて、雨音がはっきり聞こえていましたが、今はそれも止んでいました。
 カサコソ、
また、音が聞こえてきました。目を覚ました時に聞いた音と同じでした。
 どうやら水槽の中から聞こえてくるようです。
カサコソ、また聞こえました。
アキコは食事の時にお母さんが言ったことを思い出しました。
「ヘビは昔からお化けって言われてたのよ。みるみる大きくなって人を食べたりするんだから」
 お父さんは、意地悪をいっただけだと言いましたが、夜中にたった一人で、水槽から聞こえてくる音を聞いていると、お母さんの話がもし本当だったらと心配になってきました。
カサコソ
 アキコは勇気を出して、ヘビの様子を見ることにしました。もし、大きくなっていたら急いでお父さんやお母さんにも知らせなくていけないと思いました。それは、ヘビを家に連れてきて、お母さんの反対を押し切って家に置いた、アキコの責任だと思いました。
 アキコはドキドキしながら、ベットから降りて、机の上の水槽を見に行きました。
 明かりはついていませんでしたが、外の明かりで水槽の中の白いタオルが見えました。
「大きくなっていないわ!」
 アキコは水槽の中のヘビを見て、胸を撫で下ろしました。ヘビはここへ来た時と同じ大きさでした。水槽の中をゆっくりと這いまわっていました。カサコソと聞こえたのはタオルが擦れる音でした。
「あれっ、シッポが取れてる!」
‘く’の字に折れていたシッポの先が取れていました。ヘビの長さが少し短くなったように見えました。
「お父さんの言った通りだわ、折れたシッポが取れたら、元気になったわ」
 アキコは安心しました。しばらくヘビの様子を見てから、またベッドに戻りました。
 
アキコは夢を見ました。
 夢の中で、春ちゃんの家の近くの堤防の上から、アキコの家の屋根を見ていました。
「早く帰らないと、またお母さんに叱られちゃう」
 アキコが対岸を見ながらため息をついていると、草むらの中からニョロニョロと大きなヘビが出てきたので、びっくりしました。
 ヘビの体はみるみる伸びてきて川を渡り始めました。それでもまだ尻尾は草むらの中で見えませんでした。そして、草むらのなかから尻尾がでてくると、ヘビの体は川を渡って向こう岸まで届いていました。
「わっ、橋みたい!」
 アキコは願っていた橋ができたみたいでうれしくなりました。近づいて、ヘビのシッポを見て、アキコは驚きました。シッポには千切れた跡が残っていました。
「あの時のヘビさんね!」
 向こう岸にあるヘビの頭が、アキコの方を向いて赤い舌をだしていました。まるで手招きをするよう動いていました。
「のってもいいの?」
 ヘビが向こうでうなずいていました。
 アキコはヘビの背中にのって、向こう岸に歩きはじめました。靴の底を通して、ひんやりした感覚が伝わってきました。
「ヘビさん、ありがとう。アキコの夢がかなったわ」

次の朝、アキコはお父さんと河原に出かけて行きました。雨はすっかり上がって、朝日がとてもきれいでした。水滴の付いた草がキラキラと光っていました。
「この辺りはどうかしらん」
 お父さんはうなずいて、水槽を河原の草の上に置きました。そして、
「アキコが出してあげなさい。やさしくね」
 アキコはそっと両手を水槽の中に入れました。隅の方で丸まっていたヘビは、アキコの小さな手のひらにのりました。そのまま外に出して草が生い茂ったところで、放してあげました。
 ヘビはアキコの手のひらをスルスルとすべって行って草むらの中に入っていきました。
「元気でね」
アキコは、ヘビが見えなくなる見送りました。

 アキコは家に戻ると台所で朝食の支度をしていたお母さんに抱きつきました。
「お母さんの言うとおり、きのう、ヘビさんがみるみる大きくなって、アキコに素敵なものを見せてくれたの」
お母さんは、アキコがまた訳の分らないことを言っているというような顔して笑っていました。
アキコは、ヘビがかけてくれた夢の橋のことを、どうやって春ちゃんに話そうかと考えました。はじめはきっと恐がると思いました。でも、ヘビを好きになってくれるといいなと思いました。

夢のかけはし!

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