想像力の限界を超えなければ、戦争はなくならない
今日は広島の平和記念日です。
式典を見ながらこの春、広島と長崎の原爆資料館に
行ったことを思い出しました。
資料館では
原爆の怖さは資料や絵、ナレーションで伝わります。
でも、私が動揺して涙があふれた場所は
幼い子どもの三輪車とその子がどうやって亡くなったかを
自分の子どもの姿を重ねて想像できたときでした・・・。
その同じ場所では、
外国人の女性も泣いていました。
たぶん同じくらいの
幼い子どもがいるのかもしれません。
焼けただれた三輪車をずっと眺めながら
ずっと嗚咽して泣いていました。
しかし、私は原爆投下されたときに
全身にやけどで爛れた皮膚や目や内臓が飛び出したまま
数日間苦しんでいた被害者の痛みを想像しようとしましたが
それは限界がありました。
絵としてイメージとして浮かぶのですが
似たような痛みや苦しさが脳や体の中にないので
感情や感覚が伴いません。
人の想像力の限界を感じました。
体が体験しなくても
脳が同じような体験ができるのがバーチャルリアリティです。
「海のそなえ」では
溺れ体験ができるVRゴーグルを使って
実際に溺れな暮れても溺れた体験ができるそうです。
実際にゴーグルを使って溺れる体験をした方が
溺れるという意味や感覚を体験を通して理解できたし
溺れる苦しさと恐怖を味わったと述べていました。
これは海難事故を無くすために企画した
海のそなえプロジェクトの活動の一つですが
以下の記事を読んでとても
脳は五感での体験・経験の知識こそ
重要なのだと思いました。
溺れ体験はインパクトがあり、本当に溺れた感覚を味わい
呼吸が困難になると体験者が語っていました。
今、私たちは歴史を学び、たくさんのニュースを見聞きできます。
文字情報の教科書や新聞だけではなく、テレビや映画で
映像や音声で体験できます。
しかし、臨場感や没入感は殆どありません。
一方で似たような体験・経験がある人は
自分の感覚を伴いながら詳細で豊かな想像力で
臨場感や没入感を伴い自分事として捉えられたら
同じ体験をしてはいけない!という気づきと覚悟が得られます。
同じ体験とは、まったく同じではなくても
臨場感・没入感を再現できるVRのサポート教材があれば
気づきは全く質の違うものになる可能性があります。
溺れる体験ができるVRの仕組みは分かりませんが
参加者は水の怖さを身にしみて感じたと言っていました。
もし戦争被害者の体験ができるVRが出来たら・・・。
そんな恐ろしいVRは誰も体験したくないでしょうけれど
そのVRを体験することで戦争をリアルに想像できるようには
なるのではないかと思ってしまいます。
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