TOEIC840点の自分は「英語ができない」のではなく「主張ができない」のである。「英語ができません/刀祢館正明 著」を読んで
先日、大学3年生になる息子が人生初のTOEICを受検した。結果は、620点。Youtubeで対策動画を見ていたようだが、特別に試験勉強をしたわけでもなさそうだったので、我が子ながら「なかなかやるな」と思った。
一方で、私は約10年前に猛勉強?して840点を獲得。そう、なぜか燃えていて本気で英語を話せるようになりたい、と思った時期があった。今はすっかり英語冬眠中である。
さて、本書「英語ができません」は、英語の専門家ではない著者の視点で書かれたからこそ、日本人の英語との向き合い方についての本質を問う内容になっている。自分なりに共感したポイントは、以下の3点だろうか?
英語ができる、の意味は人によって異なる
英語を学ぶ目的を置き去りで教育改革の議論をしている
そもそも、皆本気で勉強してないのに教育のせいにしている
自分が10年ほど前に(TOEIC以外にも)勉強した目的は、①仕事で外国人対応をする場面があり、必要に迫られた ②好きなハリウッド映画を字幕なしで鑑賞できるようになりたかった、ということだったが、①ミッションがなくなってからは行動も一気にトーンダウンしてしまった。
つまり、自分に代表されるように、
日本人は、英語を話す必要に迫られていない、幸せな国
なのである。
でも、それで本当にいいのか?隣国(韓国)に目を向けると、BTSは国連で通訳を介さず英語でメッセージを伝えている。TWICEやBLACKPINKなどのガールズグループも英語が堪能なメンバーが存在する。ダイレクトコミュニケーションを図れることで、確実に世界との距離を縮めていることがわかる。
つまり、エンタメ業界も同様で、日本で一定のマーケットがあり海外進出する必要もないから、心地よく日本人に向けて日本語で歌い、日本語で語っているのである。従って、本質はそれ自体が悪いことではなく、将来のグローバル化を見据えた時に日本人のすべてがガラパゴス化していくことは避けなければいけないから、もっと戦略的に英語教育(外国語教育というべきか)を考える必要がある。もっと言えば、グローバル化、グローバル人材って何?というところから始めないといけないかな。
さて、自身は転職の検討をきっかけに、ある事情から「英語」へ憧れた記憶が戻ってきている。まだ「目的」には至ってないが、次に機会があれば本気で勉強したい。でも、著者のコメントが胸に刺さる。
日本人が英語を話せないのは、日頃から議論する文化を持っていないから、主張する話題を持っていないから
勉強すべきことは、もっと他にもありそうだ。
本気で英語をできるようになりたいのであれば、英語でSNSをやれば良いとも思いました。つまり、自分自身の本気度が足りないということ。いつか本気になってトライしてみたい。その時はnoteを去っているかもしれません笑。
最後まで読んでいただきありがとうございました。