見出し画像

手のひらを太陽にすかして生きる価値を考え、ヒトの壁(養老孟司)を超える

人生は不要不急ではないか。
生きるとはどういうことか、生きる価値とはどういうことか

全体的なストーリー性はあまりなく、徒然で飄々とした語り口でありながら重いテーマをさりげなく入れこんで考えさせる、そんな本書「ヒトの壁(養老孟司 著)」である。

年明けに購読した「無理ゲー社会(橘玲 著)」をふと思い出す。

おお、42のスキ!

ということはどうでもよく笑
希望を持てない世の中(無理ゲー社会)を作った大人たちから「夢をもて」と言われ押つぶされていく若者、、、そんな構図が語られている。

そんな現実に対し、養老氏は「価値観を情勢に応じて自分で変え、自分なりに持つしかない、それを自立と言い成熟と言う」「自分でやることなんだから、すべては自分で考えるしかないんだな」と語る。

「無理ゲー社会」的には「それができないから困ってるんだよ」ということになるのだが。

救いは

「しょせんはヒト、ヒトの分際で」

と語られる点。
そう、しょせん我々は「ヒトにすぎない」のである。対人を気にしすぎる世の中、人付き合いができないと異端扱いされる世の中、まさに「ヒトの分際で」である。だから、養老氏とって愛猫のまるの存在は重要な意味を持つ。

そうか、自分にも愛犬「パル(15歳)」がいる。

確かに、どんな辛いことがあってもパルが家にいてくれるだけで癒される。
愛猫のまるの死への思いを語る最終章、80歳を超え自身の生きる価値を考える老人がひときわ「ヒトらしく」なるところで本書は締めくくられる。

<以下、要旨>
🔹人生は本来不要不急
🔹たかが“ヒトの分際”で調和はかろうとし過ぎ
 しょせん、私たちはヒトという生物
🔹可能な限り精緻な表現を目指すのは、社会的にいわば未熟な態度
🔹理解(感覚系)と解釈(運動系)
🔹理屈が世界を覆うが面白くない、世界を説明できない
🔹個人は社会を投影する、AI社会になれば人はAIに似てくる
 自分の意思で生きているつもりが実は世の中に流されている
🔹日本社会はひたすら「反応」だけ
 コロナ、ネット炎上、IT化等(解決、意思がない)
🔹問題は「問題は何だったか」
🔹生きることに努力すると生を実感
🔹愛猫まるの死へへの思い
 役に立つ/儲かるとは真逆の存在 ⇔ 実際の人間関係の辛さの裏返し

いつも以上にとりとめのない文章になりましたが、最後まで読んでいただき感謝いたします。
初の電子書籍(Kindleではなく楽天kobo)での読書、快適でした。
紙のぬくもりって大事だよな・・・という思いがぶっとびました笑

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?