心の遺書
最近また、心を殺す機会が増えた。また自分の声が聞こえなくなってしまわないように、ここに遺しておく。
私は何がしたいんだろう。何に怯えているんだろう。何の気持ちを見なかったことにしているんだろう。
勉強に本腰を入れようとした。3月、2週間実家で勉強習慣を取り戻してから自分の家に戻った。すると、人との関わりが薄れ、誰とも会話を交わさなくなる日が増えた。その生活を続けているうちに、自分が生きているのか死んでいるのか、社会に存在しているのか分からなくなってきてしまった。
春休みに入って、授業で知り会いに会う機会が無くなったのも大きかった。今まで慣れてきたはずの深夜一人でいる孤独感とは比べ物にならなかった。こうなると勉強も手につかず、生活リズムも狂い、暗い部屋で一日中ドラマを見ていた。
そんな時だった。あれから毎日朝は起きられるようになった。物理的な孤独感は減ったし、生活リズムを無理やり矯正したおかげで、ある程度の精神状態を取り戻した。
しかし、どんだけ頑張って朝起きても、夜全くと言っていいほど寝付けない。そして何より、この生活に慣れてしまい、また1人の生活に戻ったとき、孤独に耐えられる気がしない。次の12月の試験こそ受からないといけないのに、また勉強が手につかなかくなったらどうしよう。
自分の心を守るために身につけたはずのあらゆる場合を想定するスキルは、あらゆる最悪が重なった場合を想像させ、心を完全に壊した。
もし心が完全に壊れて、何も希望がなくなったら死んでしまおうと本気で思っていた。だからこそ、壊れかかったまま何年も経過していた私の心には、ある程度のことは響かずに頑張ってこれた。
けれど、どうしても手が震えて死ねなかった。死ぬ勇気もなかった絶望に加え、最期の砦を亡くした私は、どう生きればよいのか分からなくなってしまった。
まだこれに答えは出ていない。勉強は孤独だが、暇を潰してくれるから嫌いではない。だから、上手く勉強を使いこなしたいと思っている。
幸か不幸か、私には人を好きになる感情がよく分からないと確信してしまった。どうしようもないくらい必要とされて愛されないときっと好きになれない。
だから、物理的に寂しくなることはあっても、精神的にまで人に依存することはないだろう。その点では成長したな、と思っている。 恐らく、だが。
自分の孤独は自分でどうにかするしかないのかなぁ。ここまで頑張って考えたからこのまま幸せにならせてよ神様。
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