『スリランカ人日本語教師選びの、意外な結果』
こんにちは。
私は、2016年くらいからスリランカとの関わりが深くなり、2022年からは、ほぼ「住んでいる」という状態になっています。
日本語教師になった約15年くらい前から
「10年後には、パソコン一つで、世界中で仕事ができるスタイルを確立したい」
とビジョンを定め、
1.パソコンに全ての道具が入っている状態を整え
2.オンラインでレッスンを受けてくれるように少しずつお願いし
3.最終的には、パソコンがない状態でも仕事ができるように、「自分の中に知識と技術を全て入れ込んで、道具が「0」でも、お金をいただけるくらいの質が提供できる技術を目指して
一歩一歩準備を進めてきました。
「私はこんな人生がいいな〜。」
と、自分の好きなスタイルを目指して、逆算して、周りと自分を整えていきました。
っと、ここまではよかったのですが^^;
だんだん「日本に私を引き留めるもの・人」が少なくなり、羽が生えたようにどこにでも行けるようになった先に、
「スリランカにどっぷり浸かって、現地の活動をサポートする」
という状況が待っていました^^;
この記事に書けること40%、書けないこと60%がありながら、笑顔よりも涙の方が多い日々を過ごしながら、なんとか2年半くらいが経ちました。
その中で、「日本語教師」という立場で彼らに声をかけてもらった役割を全うすべく、
「スリランカ人の日本語教師選び」
を、任されていました。
余談ですが、こちらの方は、本人の日本語レベルや技術だけではなく、家族構成までチェックします。
そして今まで、5〜10人くらいの方を見てきました。
・N2レベルの方
・N3レベルの方
・教師経験がある方
・学歴・経歴がそれなりにある方
・日本で仕事をしたことがある方
色々な方がいました。
毎回、10分ほど簡単に面接をして、日本語力をチェックして、あとは、現地のスタッフにお任せなので、私は「日本語レベルと雰囲気だけ」を見ます。
そして、私のレッスンにも参加していただいて、見学や、あとは、ちょっとアシスタントのようなこともやってもらいました。
だいたい、レッスンに参加してもらったり、アシスタントをお願いすると、
「やっぱりできません。」
と言われることもよくあって、私自身、
「どうせ最初は頑張ります!ってモチベーションがあっても、すぐに辞めますってなるから、期待しない方がいいな〜」
と、思い始めていました。
そして、一番最近も、一人面接をしました。
その方に対する、私の正直な印象は、、、
・日本語力、ギリギリN4かなあ、、、?
・日本語の自然さもかなり微妙だなあ、、、
・日本人と話したことは、学校の先生だけかあ、、、じゃ、日本のこともあまり知らないな〜
・なんか返事の仕方とかも気になるな〜。日本の企業面接では、あまりいい印象を持たれないかもな〜
つまり
「うん、採用、ちょっと難しいな。。。」
という感じでした。
ところが、現地スタッフが
「彼女に決めた」
と言うのです。
びっくりして、
「え、でも、日本語もかなり間違えているし、まだ教えられるレベルじゃないんじゃない?この人が先生だったら、間違った日本語覚えてしまうし、なんでこの人?!」
と思いました。(いえ、言いました^^;)
「ま〜、大丈夫〜、大丈夫〜、どうせシンハラ語で説明するだけだから^^そして、会話をちほみさんがすればいいでしょ?!」
と、お気楽なのです^^;
私は、しばらく
「え、でも、いいの〜?!」
と引きずっていたのですが、ま、お給料払うのは現地だし、いっか、と思って、あとは横からちょこっと様子を見ている状態でした。
ところが!
この方が、とーーーーーってもいい仕事をするのです!
積極的にどんどん動いて、
「え、私、それ無理です。」
なんてこと全くなく、臆することなくズンズンと道を切り開いていくのです。
もう、びっくり!です。
色々な意味でびっくり!です。
でも、この方の件があって、私自身も、今までを振り返ってみました。
日本人も外国人も含めて、色々な方と、色々な距離で仕事をさせていただいたことがあります。
まだ私が起業の「き」の字くらいで、未熟だった頃、知り合いの気の合う社長と話をしていた時に、
「あの、ちょっと質問があるんですが、どうして●さんを雇っているんですか?」
と聞いたことがあります。
なぜ聞いたかというと、冗談なのか本気なのか、この社長がいつもこの社員のことを
「ったく、またこいつは〜。」
と言うようなことを言われていたので、私としたら、不思議でしょうがなかったのです。
「同じお給料を払うんだったら、どうして、仕事できそうな人にしないんですか?っというか、そもそも、社員に求めていることって、どんなことなんですか?」
と、聞いてみました。
そうしたら、即座に
「一つ挙げるとしたら、「素直な人」かな。色々採用してみたけど、結局「素直な人」がいいよ。一緒に仕事しやすいもん。プライドある人って、少々仕事ができる人って、時期が来たら会社辞めようと思ってるし、だからだんだんこじれて、最後に裏切られてっ終わりってパターンも正直あったから、だから、仕事ができるできないより、我々のやりたいことを素直に受け止めて、一緒に成長していってくれる人がいいよ。どんなに手をかけて育てても、「自分で育った」って思っちゃうんだよね。」
と、言われました。
これも10年以上前の話です。
これを聞いた時。私は、あまり理解ができませんでした。
ですが、今日まで、さまざまな方達と、仕事や活動を共にし、結局私が「楽しくて、居心地が良くて、仕事がしやすかったな〜」と思う人たちは、この社長が言われていた
「素直な人たち」
なのです。
もう、1000倍の共感を持って、今は心の底からわかります。
ちなみに、この社長が雇われてた
「ったく、またこいつは〜。」
の方は、フィリピン人の男性の方でした。
何人かの日本人社員と仕事をしながら、結局文化も価値観も違う国の人との仕事が
「素直さがいい。働きやすい。」
という結果になっている現実って、深く深く考えさせられるな、、、と時が経てば経つほど、しみじみと感じます。
かく言う私も、今、命レベルで一緒に活動を共にしているのは、スリランカ人の方で、私がとても苦しい時、滅多に人に相談しない私が、「この人に話を聞いてほしい」と思うのが、アメリカ人の方です。
これから日本も、日本社会も、もしかしたら
「面接で礼儀正しく」
とかだけじゃなくて、
「どこか人間味があって許せちゃうんだよな〜」
と言う採用基準が生まれてもいいのでは?と思います。
日本人側が受ける彼らの
「素直さや安らぎ」は、天性のものだと感じます。
全ての国民性に当てはまるわけではない、最終的には「人による」と言うのは100も承知だと分かっていますが、ざっくり言って、こんな感じに日本が流されるのもいいのでは?と感じています。
っと言うことで、異文化の採用基準は
「日本社会に適合するか」
だけではなく、
「日本社会に緩やかな風と素直な心をもたらしてくれる人」
も、含まれる日が来るといいな、と思います。
完璧を求め合わない関係の心地よさは、世界の中でも幸福度の低い日本人に、革命を起こしてくれるのでは?!と、期待しています^^
っということで、まとめとして、日本人の価値観をもった私が「スリランカ人日本語教師の正しい選び方」なんて、わかるわけないと、最初からその見方も持ってなきゃいけなかったな、と、勝手に日本人目線で判断しようとした自分に反省です^^;
Chihomi
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