2020年12月29日(火) もののけ姫を見る 自分の生が何かに支えられている

 ジブリ好きを自称しながらも映画を見る精神的ハードルの高さからまだ見られていない作品もいくつかありまして,個人的そんな作品の中の1つ「もののけ姫」をようやく最初から最後まで見ました.


 見たのがもっと昔だったら分かりやすくエボシ様を嫌っていたと思う.
 今見てもどうしてそんなにシシ神討伐に執心するんだろうとは思ってしまうけれど.

 でも,山に棲むもののけ達(神々)は人間を守ってくれる存在というわけではなく,寧ろ強大な力を持つ畏れるべきもので,そのもののけ達によって命を奪われ生活を脅かされる人間も多かったことを考えると,
ひたすらに人間が人間らしく生きていくことを目指していたエボシ様を単純に批判はできない.

 そもそも人間がいま生活している街中というのも山を崩し木を切り倒してできたものであって,エボシ様は自然を壊しながら安住の地を広げていった全ての人間達の象徴のような人なのかなとも思う.


 そうは言っても,森に囲まれたこの国の自然を守ってきたもののけ達にとって,その住処に侵入され壊されて行くのは勿論死活問題であるわけで….


 アシタカは,というか自分がアシタカの立場だったら,どちらに付けばよかったんでしょう.

 利益のために神々の守る自然を壊すことはとても出来ないけれど,一方で,人間の人間による共同体をつくって人間が人間らしく生きる,という今日では当たり前の社会の実現に近づけたのは,神殺しまでしようとしたエボシ様くらいなのかもしれない.


 あと,その畏れるべきもののけ達が人間の鉄砲や地雷によって殺されていくという,神々の脆さも印象的でした.
 神々って強大な力を持っているように思っていたけれど,技術を進歩させた人間はもはや神を殺せるようになってしまったのかもしれない.



 人間は多分きれいではいられなくて,何かを奪ったり殺したりしながら生き延びていくんでしょうか.

 自分ひとりの生を,いったいどれだけの生が支えてくれているんだろう.

 きれいに,真っ当に生きられないかわりに,自分の生が何かに支えられていることをちゃんと覚えていたい.


ここまで読んでくれたあなたがだいすき!