小林秀雄の個性論から考えた 繊細がトレンドだけど,これって個性なんですか?

 意識高い系がスタバでコーヒー片手にマックブック開くように,
 女子高生がタピオカ飲んで指ハート作ってTikTok撮るように,

 自分はうつ病ですとか,発達障害がありますとか,あるいはそういう肩書が無い場合はHSPを自称して,繊細なわたし,生きづらいわたし,大多数の凡人は気にも留めない事に気づいて傷ついてしまう特別なわたし,を演出するのがトレンドなんだなと思っています.
(精神疾患や発達障害で苦しんでいる方を批判する意図はないです.ただ一部ではそういうのがステータスみたいになってるような気がする.)



 ところで,こちら小林秀雄の講演音源でして,ゴッホの話題からゴッホの個性について語っているんですが,小林秀雄の個性論面白いんですよ.


 目が大きいとか,背が高いとか,癖とか,育ちとか,病気とか,性的指向とか,そんなものは個性じゃない,それはオリジナリティではなくスペシャリティであり,特殊性であり,自分の意志に関わらず与えられたものであり,強いられた個性であって,
その強いられた個性と戦って,ある種の普遍性を勝ち得たものこそ真の自分の個性である,
というもの.

 この普遍性って具体的にどんなものなのか分かるような分からないようなですが,「私は私よ」の一歩先まで考えないといけなんですね.


 この小林秀雄の個性論から考えると,「自分は繊細です」「傷つきやすいです」というのは特殊性で,この自分の神経質さとは何なのか,過敏で気難しくて面倒くさい自分がどのように生きていくのか,そこまで考えることが真の個性となるために必要なんでしょうか.そこから勝ち得る普遍性がどのようなものか具体的に言葉にするのが難しいけれど….

 書道では,お手本を元に書いても人によってとめやはらいに違いが現れるのが個性で,みんな「青空」と書いているところで「勝利」と書くことは個性ではない,というのに似ているような.

 ギャグマンガ家は,何が非常識か,何をすると奇想天外かを分かっていないといけないから常識人でないといけない,というのにも似ているような.


 最近の繊細トレンドにモヤモヤする(はっきり言うと不快な感情を抱いてる)理由は,特殊性を個性に昇華しようとせず,自身の特殊性をまるごと相手が受け入れてくれることを求めているように感じるからかもなと思いました.



 まあこんな文章はいいから小林秀雄の講演を聞いておくれ(下の「ゴッホの人生」から「個性と戦う」に繋がります).


ここまで読んでくれたあなたがだいすき!