オタクになれなかったよ

 昔から漫画読んでるし,2.5次元ミュージカル好きだし,推してる役者さんはいるし,自分はオタクなんだと思っていた,けれど,

 ただでさえ整理整頓が出来ないんだから,グッズを大量に買ったところで置き場所に困ることは目に見えてる,だったら必要なもの1つずつ買うので十分だと思ってるし,
 ランダムブロマイドとかも,推しが出なかったら残念だけどtwitterとかで交換のやりとりしてまでゲットしようとは思わない,知らん人とやりとりするの怖すぎる,
 同じ理由でチケットの譲渡交換もしてない,
 本当に好きな舞台は何度か観てちゃんと理解したいけど,全部の舞台でそんなことするのはあまりにも莫大な時間とお金がかかるし,
 全通なんて大変すぎてとてもできないし,
 そもそも推し事にはお金がかかるけれど,社会生活と推し事とバイトでスケジュールがぎっちり埋まってるような生活はどうしても心が落ち着かなかった.

 確かにチケット買ってグッズ買って円盤買って…とお金を沢山使っている時のオタクしてる感・お金を使うことで自分は推しに貢献していると胸を張れる感・経済回してる感は気持ちいいけれど(あぶない),
体に馴染んだ服を着て外に出て,電車に揺られながら普段は取れない貴重な読書時間を楽しんで,時間を気にせずぶらぶらするとか,Youtubeで自分が生まれる前の時代の音楽をぼんやり聴いてみるとか,もう何度も見た大好きな映画をもう一度見ようとして途中で寝ちゃうとか,午後2時からのサスペンスに途中から見入ってしまうとか,…そんな休日も楽しくて,むしろそういう日が必要で,全然お金使わなくても満たされてしまうことに気づいてしまった.
 推し事は楽しいけれど,そういうハレの休日だけではなく,「なにもしない」をするためのケの休日が必要だった.


 自分はオタクらしい嗜好だと思っていたけれど,いわゆる重課金・現場全通・チェキ券のために〇万円分CD購入みたいなお金をじゃぶじゃぶ使うオタクらしい行動は幸せ以上に大きな負担になってしまっていた.

 「金出せないやつは黙ってろ」とか,推しを支えるために貢ぐ,好きならそれくらいのお金出さないとと,みたいな考え方は存在しているし,自分もそうしなければと思っていた時期はあるけれど,しんどくなったのでその価値観からは逃げました.

 以前はオタクのために使わなければ!と思っていたお金を貯金に回し,社会生活と衣食住を安定させ,「なにもしない」をするためのケの休日をたっぷり取った上で,ケの時間に飽きてちょっとワクワクしたいな,と思ったところでちょっとお金をかけて推し事をしてみたりしている.このゆるさで推し事と言えるのか?しらん.

ここまで読んでくれたあなたがだいすき!