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こどもは親の鏡である

こんにちは、しきです。

今日は、育児をとおして『人は自分の鏡である』と気付いたことについてお話します。

『人は自分の鏡である』

『人は自分の鏡である』という言葉は、よく耳にすると思います。
最近受けている子育て講座でも、この言葉をよく耳にします。
意味はそのままですが、奥が深いんです。

以前この記事にも書いたんですが↓

要は、だらだらしている夫に腹が立つのは、私が本当はそうしたいと思っていることを夫がしているからだと気づいたという話です。
だらだらすることを自分に許可していない私の代わりに、夫がダラダラしてくれているのです。もうびっくりですよね。
この解決策は、まず自分もダラダラしてみることでした。たっぷり休んだら、夫がたくさん動いてくれて、私の中の夫への愛情ゲージが爆上がりでした。結果、夫にやさしくすることができ、夫の笑顔も増えました。
『人は自分の鏡である』。なんとなくそうだなって思いませんか?

なかなか昼寝をしない息子

私は息子が昼寝をなかなかしないとき、大体遊びに付き合うのですが、たまにどうしても我慢できないときがあります。私が眠くなったとか、息子が眠そうなのに何度もお布団を抜け出してどこかへ行ったりとか、そういうときです。
そういうときは疲れのせいでイライラしているからだと思い、別室で休んで気持ちの整理をつけるようにしています。
そこでふと、こう思いました。
『人は自分の鏡である』なら、この息子の姿だって自分のこと。このなかなか寝ない息子は私のどの姿を映しているのだ?と。

自分について考える

まず、自分について考えてみました。
もちろん、私の中に『寝たくない』という本音なんてありません。
もっと掘り下げると、『寝たくない』=『もっと遊びたい』なのではないかと考えました。
そうなってくると、心当たりはありまくり。
最近、楽しかった学生時代のことをよく思い出したり、夫と二人の旅行も思い出ばかりがよみがえってきているのです。
ああ、わたし、遊びたくてしょうがなかったんだな。
遊びたいけど、子供を置いて遊びに行くわけにもいかないし、遊びに行ったって子供向けのところばかり。楽しくないわけじゃないけど、自分のことだけを考える時間が欲しかったんだろうな。
もっと遡れば、勉強ばかりしてあまり遊びに行くことのなかった少女時代の悲しさも響いているかもしれない。たまの旅行さえ宿題や単語帳を持って行って、楽しむことをうまくできていなかったことも思い出しました。

本音では遊びたかった自分に気づくと、私の代わりに寝る間を惜しんで遊んでくれてる息子が愛おしくてたまらなくなりました。
部屋へ戻るともう今にも寝てしまいそうな顔をした息子がテレビを見ていました。
息子へ歩み寄り、『代わりに遊んでくれてありがとう。いっぱいあそぶ〇君が大好きだよ。』とおでこにキスをしました。もちろんラグの上でキャッキャとベビージムを蹴っている次男にも。
息子はほどなくして眠りに落ちました。

おわりに

『人は自分の鏡である』という考え方は、他人へのイライラを解消するためにかなり有効な手段であるといえます。
他人を変えたいなら、まずは自分を見つめなおし、イライラの本当の理由を考えましょう。きっと自分の本当の欲求がみえてくるはずです。
私の場合は、自分の根底にある『遊びたい』という気持ちでした。
子供たちを実家に預けて、少しでも夫婦水入らず(もしくは私一人!)で出かけてみようかな、と思います。
秋だからどこかなあ、温泉かな。妄想が止まりません♡
どうしても、『子供が…』『お金が…』と制限をかけがちなので、自分に制限をかけない思考の癖を作りたいですね。

▼育児関連の記事増えてきたんでマガジン作成しました。
よかったら読んでいってください♡

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