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物事を活性化させる キッカケと時間

物事が動いてゆくには、加わる人達の想いが反映され ある程度の時間、が必要になって来ます。すると物事の成長変化が純粋に加速してゆく感覚を得られる。

純粋な想いを投げかけ 自己を表す

目の前に現れるものに対して自分の心からどんな感覚が純粋に生まれているのか。素直な想いだったり…内に秘めてしまう想いだったり…それらを明らかにして自分がそうあることを認め響き合わせると素晴らしい循環が創造を広げるように作用してゆきます。


純粋な循環は
手を「パン👏🏻」と叩くと音が響き渡り、雫が「ぽとり」と水面に落ちると波紋が広がる…。そんな風に

伝搬が滞らずスムーズな状況を生んでゆくもの


これには受け取る力とそれを受け湧き上がる想いを明らかに出来る空間と時間、そして物事に対するその人の姿勢が大切です。

パワーバランスが崩れていた 
地の時代

力、在る者が裸の王様のように正しく全体を見渡すことが出来ず、補佐役の人たちも的確に言葉を伝えられず悶々としてしまう。

無言でいる人達は何も意を持たず同意しているのかと思えば 意があっても見えない所で同じように不満を抱えた人達で悶々としたものを増幅させていたり、心の中だけで沸々とさせているだけでは 
全体の調和には程遠い。


地の時代の終わりの頃、
ごっそり事務職員が辞めていって組織が機能しなくなったり、あるサークルでは副師範が急に辞めてしまって師範までもが辞めることになったり、組織の一部が辞める…を選択して全体も機能しなくなって崩壊する。そんな風に やたらと急激な無言の抵抗が連発するような状況を見てきて、

話し合えない、とか、発言出来ない、発言させない、聞いてもそれに対応出来ない…
…そんな圧力とか権力を感じ耐えに耐えまくったあと、急に(急に起きたように見える)無言で辞める…とか無言で抵抗する…状態は傍から見ていて同じ様な出来事が結局続いた事に 驚きを感じ、ある意味じゃ当然の結果だったのかもしれないとも思う。


そんな 些細に見える行動として、自分の意を伏せる、目の前の物事に当たり障りなく 自分を表現せず従っていれば物事は混乱することなく居続けることが出来る…て 自分の本意に反した行動は 積もりに積もって耐え続けると大きな出来事として「崩壊」…て形を辿っているように見えていた。

目の前に在るのに目に見えていない。
見ないように感じないようにする。

そんな風に 自分を失うように忙しく生きていた時代も、風の時代、風穴が空いて、コロナ禍で強いられている現状から

「そんなに急いで生きる必要があるのか?」
「ほんとうに大切なものはなにか?」
「ていねいに自分の時間と空間を生きるように…」

…と意識を向けられているように促されたんじゃないかな…とも思う。

素直な想いを伝え合える事が 
そこにある全体を調和に導く

湧き上がる想いに 自分で蓋してしまったりすると その人の中で悶々とその事柄に対する負の感情が次第に溜まってどうしようもない状態が起きます。

自分の想いを伝えても 受け止めて貰えないんじゃないかとか 対立することになるんじゃないか、と ネガティブに捉えてしまうと、物事を前に進めるために自分のほんとうの想いを投じる、って意識が向くまでに相当な時間を要したり、勇気が必要になってくることもあるのかもしれない。

互いの意が違うのは当然のこと

どちらか一方の意にする必要はなくて 伝える努力と聞き取る努力、そして歩み寄れるか、が大切で どちらの在りたい姿からも掛け離れるのであれば、自分を押し殺し過ぎず、本当の気持ちを伏せ続けるんじゃなく、

ほんとうの自分で居られる場所へ
自分が戻ってゆくしかない。

過剰な無理を強いられる状態に置かれることが本来のその人の居場所では無いのではないか、、ていうところ。

自分の意を伝え合うことは
全体の調和のためにも必要なこと

親子間や師弟関係、あるまとまりの上下関係でも、ただ力のある者の意にただ黙って従い続けるんじゃなく、子や弟子である者達の純粋な前向きな想いから興味をもって理解を深めてゆくことが、それらを活性化し洗練させてゆく働きになってゆくのでは無いかとも思う。

より前向きな変化を生むため、互いが同じものに向き合っている互いの姿勢と空間と場所を大切に出来るか…。

自分と違った意を唱える人たちの言葉を
どう受け止めるか?

それらを「批判・批難」と受け止めるのか、「前向きな意見」と受け止めるか…
これが一番のネックのような気もする。

「批判」と受け止めればネガティブな方向へ物事は流れてゆき、「前向きな意見」と受け止めれば現状を見直したり改善出来る部分がないかとポジティブに現状に向き合って流れてゆくように検索が開始される。

自分と他者の想いの違いを
どう活かせるか

これは その人 その人の実践経験の中で大切にそしてていねいに形成されてゆくべきものと考える。

誰か(誰からしさ)を殺して そこにある強い意見に従わせる姿にさせたいのか、人として全ての人を尊重しどんな姿をも認めることが出来るのか。

自分と違う…というのは自分と違う能力を持っている、ということ。そこに着目出来てそれを互いが発揮出来れば大きな目的に対してそれぞれ違った能力を持ったブレーンとして互いに力を合わせ創造が加速されてゆく。

違いあることが当たり前だから

同じ目的や目標をもって一緒に歩んでゆく時、互いらしさを活性化出来るような関わりを構築してゆけば…それは それぞれの人がそれぞれの個性を発揮しながら同じ目標に向かって世界を共同創造している…そんな世界を創っている一人一人の集まりだといえる。

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