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心に想いが生じる…ということ【10】〈魂の救済〉

心の中に湧いて来るものを観察し続けると それを調えてゆく事が出来るようになります。多くの人たちはそういうものを野放しにさせている状態が多いように感じる。


このところ 世間を騒がせている
自分の本質を勇気を持ってさらけ出したのに それが誹謗中傷の的になって 悲しい結末を迎えてしまった ある芸能界の出来事からも感じられるように…誹謗中傷した人達は 自分の行為を 削除している…と聞きます。

自分の行為を無かったことにしたいからその行為に至っているのだろうと思うけれど、行った事実は変えることが出来ないし 無かったことにもならない。そして 結果も変わりません。

自分の行いが どんな未来を生むのかと 想像の欠如が招いた 悲しい出来事です。

原因と結果の法則から観ると、行った〈原因〉の〈結果〉は 行った当人が何らかの形で いづれ責任を負うことになっていきます。無かったことに今世 免れたように出来たとしても 肉体を脱ぎ捨ててから その時 法則として自分に返って来るものがあります。法則だから そうなることが決まっている。


何故 自分の考えとの違いを 嫌うのか分からないのだけれど…。

「NOと言えない日本人」て 昔 流行った著書からも伺えるように 「違い」が生じることを避け 隠そうとする文化があって、だから「違い」に苦しむことが生じるのだろうことも 推察出来ます。

私が近年感じて来たのは 「他者との争い」を避けるために「他者との違い」を隠し「本当の自分を押し殺し 相手とか周囲の意見に対して 逆らわない従順を演じる」それらが 自分自身の本心と 外界との間にズレを生じさせてしまっている。そんな 人達が 比較的多いのかもしれない…ということ。

それらは何を物語るのかというと、違和感とかズレを 故意に生じさせてしまっている。それは「違い」を許さないようにも見える。

「NOと言えない…」から読み取れるのは
ほんとは「NO」と 言いたいのに 言えない状態を表し、「言いたいことが 言えない、もしくは 言ってはいけない、といった 誤った解釈の文化」があることを意味しています。

耐えることが得意な文化 とも言えるのでしょうか。本心を押し殺さなければなければならない現実の状態があるから、安易に「言葉」を使えてしまうsns上で 日頃 我慢し耐えている苦悩を「悪意ある言葉」で発散させているようにも見えます。

自分の心の奥から湧いてくる感情とか想い、言葉を無視しないで欲しい。他者と違いがあっても その違いを 自ら認め 受け入れて欲しい。「違い」を 他者から攻められることがあっても 堂々と在って良い。自分の本心を 自分が認めてあげて下さい。他者との違いがあったとしても……。

みんなが全て同じで在ろうとすることが
実はおかしく歪んだ状態に置くことに
誘導している。

違いがあるからこそ 自分だけの特質は育ってゆくし、自分らしく生きることが出来るんじゃないのかな……?と 思う (๑•᎑•๑) ウンウン♬*゜


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