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★実存的変容の実践 〈特に医療従事者で病を負った方、エビデンスからなかなか抜け出せない状態にある方への病と向き合うためのヒント〉《6727字》

はじめに

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私は看護師でもあり 主人も医療従事者です。二人ともスピリチュアル的観念や仏教などの教えも取り入れ 病と約三年半 歩んで来ました。

特に私は意識改革が重要と感じ、主人は医学知識に関わらず広範囲に渡る知識が豊富で 科学的実証が得られないものは信じ難い性質を持っていたために閉じ込められた枠(世界)から脱するのに時間が掛かりましたが、自分自身も創造主である事を 感覚的に実感し始め 制限された世界から解き放たれ始めている現在があります。

語弊があるかもしれませんが あえて言葉にするなら、(後天的に生じた)病も自ら創造したものであるから それを解き放つことも自らの創造で変化させることが出来る、と 現在 実践しています。染み付いた、一度得た、知恵とか知識は消えて無くなるものではありません。…ですが 肉体へと魂が閉じ込められた後、この世に生を受けてから刻まれてしまったネガティブを生んでしまう記憶が呼び起こされたとしても正しく対処してゆける今を創造しています。

こちらの場所では西洋医学、科学的観点からは掛け離れた考え方や見方、スピリチュアル的言葉、思考が含まれた表現になっています。ご自身の世界観から逸脱している、と感じられる方たちには受け入れ難い内容と思います。違和感や不快感を感じられる方はスルーして下さい。

私たちは現在、西洋医学、東洋医学(生薬、鍼灸)、温熱療法(ハイパーサーミヤ)、エネルギー療法、(体感を合わせた)イメージ療法、サウンドhealing、crystalhealing、意識状態・認識度の確認をしながらそれらの浄化、癒し、エネルギー充填、(記憶)意識の上書き、五感(六感)から取り入れられるものを(感覚を通して)精査し意識的に選別できる力を持ち、良質のものを取り込める力を持つこと、……etc等 これらを総合し 定期的に私たちが学んで来たことを複合しその時々に必要だと感じる手法を使って実践しています。*二人とも実際に学んで来たことが多くあるので自分たちで 現状 実感を確認し試しながらそれらを実践しています。

ベースとなるものは 私たち二人にとっての師(清水義久先生)から学んできたこと、様々な書籍・師となる人達から学んできたこと。そして 私自身 やんたらジローさんから学び受け取って来たsoundhealing、crystalhealingなどの技術や、チベット密教、仏教から来る教え…etc。自分自身の感覚から感じ取って自ら開いて来たもの、……などをベースとしています。

本来 すべての人たちの 魂の深い部分で “ 分かっている状態 ” へと還り 戻ってゆくことを主題とする取り組みを「意識の建て直し方」マガジンと題してまとめています。(現在進行形)

多くは私の感覚(フィルター)を通した内容になっています。

人それぞれに自分に合うものは 決められていません。常に流動的です。いつでも 選択によって自分のゆく道は変えてゆくことが出来る。常に症状や状況 意識レベルの状態も変わっているから、その時自分が必要なものも変わってゆくのも当然です。自分の心と身体と対話しながら何事にも囚われず 偏らず 自由であって欲しいと願っています。

こちらの記事は《意識の建て直し方》マガジンへあげていきます。病を持った方やそういったpartnerさんと身近に接していらっしゃる方たちへ 私なりの伝え方で表現して行きたいと思います。

*特に医療従事者で病を負っている方たちへ、エビデンスからなかなか抜け出せない状態にある方たちには参考になるヒントが隠されていると思います。

𝕋𝕙𝕒𝕟𝕜 𝕪𝕠𝕦 ❤︎"

⸜(*ˊᵕˋ*)⸝‬💕✨

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「実存的変容」について 
考える前に 

どんなことが肉体へ
病変を生じさせると考えられるか

後天的に肉体へと 何らかの病変が生じてくるのは その前の段階の 意識状態、生き方とか考え方、価値観、が 意識へと歪みを生じさせ それらが肉体へと病変を生む事がある、と 私は捉えています。
*もちろん肉体に現れて来る状態への多角的アプローチは必要不可欠なので、一概にここで受け取ったものだけが大切だと限定しないで下さい。考え方捉え方に偏りが生じない様に私達も留意して来ました。

ある程度医学知識がある場合、アプローチを変える必要があると実感を得た

前述した通り私たちは二人とも医療従事者であったために検査結果などから 目に見えない領域にどんなことが起きているのか、またその先に起こりうる状態がある程度予測出来てしまいます。(⇒だから予防も素早く対処出来るのですが…)
知識があることが 果たして良いのか…という点において、ある意味 それがネックとなって、既に持っている科学的事実から導かれ創り出されたイメージが現実に反映されやすい、だから特に科学的実証など長年刷り込まれてきている場合は特に 目に見える数値とか状態が表す狭い限定された未来創造の世界に閉じ込められやすい。と 実感してきたことを 辿ってゆくとこちらに記述した感覚が適切な表現だと思います。

根強い 人の持つ意識の世界へと
手を入れる時

これら 目に見えない領域へと手を入れてゆく時、生活を共にしている状態にあり、当人が自分の世界観に対して崩壊させる様な発言を受けたとしてもそれに耐えられる精神と「分からない領域」に対する 前向きに理解しようとする努力が持てるか…が重要だと私は考えていて それらを見守りながら言葉で確認しながら実践しています。

適切なタイミングで
フォロー出来る状態にある事が
好ましい

何かに手を施した後 適切なタイミングでフォローが出来るか…は日々一緒に居て当人を観察していないと分からないことは多く、また、互いが「住んでいる世界が違う場合、使われる 違う言葉(世界に対する解釈の違いや認識の違いから言葉の使い方に違いが生じる)」を持っている場合は特に「言葉」を噛み砕き 認識の違いから説明し伝え続ける努力と 当人の意識段階の状態を当人の言葉で表現して貰う必要もあり、日頃から共通した「言葉」を持っていない場合、一つの理解を得ようとするのにも相当の時間を要します。

私は感覚的な言葉を多く持ち、主人は既に書物に表され確立されているような言葉を多く持つ人なのでこの「互いが机上の言葉に留まらず本当の意味で理解し合うこと」は 大変困難で 時間を多く必要としました。

自分の世界観を一旦壊す、というのは
たやすくない

健常な状態にある時、自分の世界観について「これは ひょっとして違うんじゃないか?」と疑問を持つ人は少ないでしょう。自分の命に関わるような状態が起きた時、初めて自分の生き方に真摯に向き合う必要があるのだと気付く人も多いのでは無いかと思います。

下記に案内した 過去の記事の中でも書いていますが、

実存的変容は 現実に生きながら生き方考え方を大きく転換させること。

生き方を大きく変えるには、自分の現実で衝撃的な何かが起こり 自分の人生に真剣に自分が向き合う必要が出てくる……ともいえる。
下記 案内の過去記事より

「現実に生きながら生き方考え方を大きく変える」…は 何も問題がなければ 生き方を変える必要が無いし考える必要もないと捉えるのは当然といえば当然でしょう。

病変と言われる変化を
正常化させるため
どんなことが 必要だと考えられるか

その肉体へ生じた病変が 正常化して行くのには「実存的変容」の実践が必要だろうと 私も感覚的に理解していて 夫がそれを実践するのを助けてきました。

実践していく中で一緒に生きる私自身も 私自身の意識の変化を実感していて、意識段階の変化や上昇など、時間と共に移り変わる状態を経験を通して学び合っていると認識しています。

難しく考えるよりも シンプルに
感覚で感じられることを 優先に

当初はこの「実存的変容」の言葉を知らなかったのだけど、肉体へ病変を起こしている状態がありそれを元に戻そうとするなら、何かを変化させる必要がある、というのは 感覚的に理解出来るものです。

目に見えない領域で
何が起きているかに気付く

目に見えない領域に 意識を向ける

何気ない言葉や行動、また 置かれてきた環境や自ら選んで来た状態が 実は自分自身を傷付けていたり、負荷(ストレス)をかけているということはよくあることで、そして 何故、この言葉に限らず こういった事が 適切な時に適切に処理が成されず 見過ごされて行くのか。…は 時間を生きるから 目の前に生じるものが絶えず変化し 流れて来ては過ぎ行くからこそ、忙しく時間を生きる人は 特に目に見えない領域に起きる事には 取り掛かる前に次に流れてくる何かに意識が奪われ 忘れ去られ 無かったことになってしまうことがある。(…が 認識できていないだけで 意識には仕舞い込んで在る)…とも 考えられます。

目に見えない領域にあるものを
捉える

日々 口にする言葉や行動は その人の意識に内在しているものを表します。何らかの出来事で その人がどう対処し 言葉としたり行動にしているのかをよく観察してゆくと 自分を傷付けるような物事の考え方捉え方だったり、前述したように 何かを見過ごし目に見えない傷を残し、またそれらを隠し続ける性質、また 見えなくさせてしまう環境に居続けて居ないか、など、様々なその人の意識の段階が分かってきます。

周りに流れてくるものを
まず止める

じっくり物事を観てゆくには 時間を止めるのが一番ですが、人間が時間を生きている限り難しい。(瞑想法などの中にはじっくりと物事を観察してゆける時間と空間を創るのにもっとも最適だと私は理解しています。)

幸いというべきか、主人が発症したのは2019年で 未知のウィルスへの社会の対応が 主人の職場全体の動きを封じるような状態を引き起こしました。
ある程度主人の周りに流れてくるものを止める状況になったことが、彼が彼自身に向き合うための時間を与えた、とも受け取ることが出来ます。

自分が自分に向き合うために 
邪魔する様な余計な思念を遮断する

何かにじっくり取り組む時、自分の周り(自分自身の心とか意識の状態をも)を静かにさせる…というのは感覚的にも分かることと思います。

前述した通り ステイホームを奨励されたり、行動が制限され 人との接触を避けられるような環境に置かれたことは 他者の思念、言葉や行いに乱されることが無くなり、彼自身が 自分と向き合うのには絶好のタイミングでした。

自分一人で気付いて 
前向きに変容させてゆくのは難しい

何故 私たちが 肉体を通し 人と関わり(擦れ合い)何らかの出来事を経て外側に 何かを観察できる状態が起きるのでしょうか?

それらを通して人は 快、不快、など 感情を生んでゆきます。

そして 前述したように 処理出来ない、向き合い難い出来事が起きた時、心の内側に何かを溜めておかなければならない事態が起きることがある。

この不快な感情や、その時々で解消出来ないものを心の内に溜めていってしまう事が悪い、…ということではありません。

物事の変化は 時間が必要な時もあるし 多様な人の性質と 多様な物事の性質に触れるその時に 全てすぐに消化出来るものなのか、変化を加える必要があるのか、どういう形に変化してゆくのか分からない、どうしたら良いか分からず手を付けられない、など また 自分に対処しやすい、対処し難い、は 当人自身の性質もありますから必然に生まれるものです。

多種多様な人間が存在するからこそ自分の視点からだけでは得られない物事の見方や捉え方、思考展開の仕方は 他者と触れ合うからこそ学べるもののような気もします。自分の身近に居る人に率直な意見を仰ぐ、というのは必要不可欠と思っています。自分以外の視点や考え方捉え方を学べる、というのは物事や自分自身を紐解いて行く時、それがすぐに腑に落ちて来なくても 未知の次元への扉を手に入れる ありがたい存在となります。

自分の目に見えない領域にどんなものが溜め込まれているかに気付く

それらがまず 自分の内側に在る、と理解し受け入れ、分かっている状態に在ることが大切だと思っています。

それらが目に見えない領域に在る(一時しまって置いてある)、ということが分かっていれば、それらを解体(解除し解いて 手放してゆく)しなければならない時間がいずれ必要だと分かる。

だからその時に備える事が出来るし、不消化なものを抱えているから自分を癒す時間が必要だとも分かっていることが出来て けして見知らぬ振りをして何かで蓋をするように どんどん歪に膨らませてしまうような事態は起きない。

自分の思考の癖を自ら分かっていて
定期的に 自分の意識を積極的に綺麗にする時間を持つ

人の感情の傾向として、ポジティブに偏るのか、ネガティブに偏るのかは 人それぞれで、幼少期に置かれた環境や関わって来た人達の性質にも大きく影響されます。長く その人の五感で吸収してきたものは その人の思考システムのベースを作りやすい。

そして ポジティブだから良い、と伝えようとしている訳ではなく、目の前の現実、心や肉体の状態を無視して 単にポジティブな思考だけに頼ることは、隠れたズレや歪みを生じさせてしまうようにも感じられます。

極力 物事を歪ませずストレートにまっすぐに観る(正見)それそのものをそのまま受け止める、と どんな事も恐れとか悲しみを超え 「…では それを踏まえ その次にどうしたいのか……」が鮮明に観えて来ます。

人の持つ思考パターンはその人を表すものでもありますが、それらは 肉体に魂が入って その人の世界を作って来た、関わって来た人たちやものや事たちが影響し合い作り上げたものでもあり、それが自らの人格形成や人生に現れる道の選択に影響し 結果へ影響を及ぼすことも起きます。

負荷を大きく掛けられてしまう人たちにはそれに耐えうる状態が生じ、忍耐力を付けることで粘り強さ、簡単なことでは諦め無い力強さを身に付けさせられているように観察して来ました。だから逆境など比較的軽々と(⇔当人にとっては)超えることが出来て 大きな何かを得る、成す、使命もあるのではないか、と 人間観察を経て来て そう認識している今、があります。

どんな事象にも 執着せず 感情を必要以上にくっつけない。ネガティブな感情は持ち続けるとその人の行動(思考⇔言動⇔行動⇔その人の世界)まで歪めさせてしまうように感じます。

自発的に 純化させてゆく

人の生死は選ぶことができません。ましてや 生まれ落ちる家庭や環境、そして死のタイミング、など、そして 死、は恐れるものと捉える人が殆どでしょう。けれど 自分の死のタイミングなど誰も知る由もありません。

人間が永遠に生きるとすると 肉体はどう変わってゆくのかを 想像できるでしょうか?

「銀河鉄道999」では 機械人間として 機械のパーツを集めて肉体を捨て永遠に機械として生きていく…という描写がありました。

始まりがある、ということは いつか終わりが来る、ということが決まっている。ということでもあります。

自然の摂理として決まっていることに対して 思い悩むよりも 今 生あるこの時 どのようにして自分を生きたいのか…に焦点を合わせることを勧めたいと思います。

過去や未来に囚われることなく 今に集中し続けると余計な雑念に侵襲されること無く純化してゆきます。

今 この心が平穏であり心地よく 満たされている状態に置くこと

今 この心が 平穏であり 心地よく 満たされている。自分に与えられている生在る時間を どんなことに費やしていきたいですか?

今 その心に浮かぶことが あなたの時間を削っています。私は輪廻転生を信じてはいますが、今世 この人生 限られた時間を人は皆生きています。

限りある自分の人生の時間を どう生きたいか、自分で決める

自分の時間がどんな思考(意識)に費やされているのか、は 本来主導的に自分が決めることが出来るはずなのだけど、そうは分かっていても 他人軸で生きることを選択していたり組織の中の一つのパーツとして人生の時間を使っている時(⇔知らず知らず)、どうしても自分の時間を奪われてしまうようなブレやすい状態が生じやすい。

どんな思考(意識)で時間を費やしているのか…時々自分の時間を省みて、ブレていることに気付いたら 自分の道を 選び直すことも出来るのです。


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