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疎遠の父、その後 ☆介護~癒し☆

「あ〜、父はまだここに住んでいるだ!」

関西への帰省時、父の戸籍をとりに行きました。

いわゆる「出生〜現在」のものまで。

父とは、数十年にわたり、疎遠になっています。

そんな状況の中で、今できること

母の相続でお世話になっている税理士さんから教えていただき、「戸籍の附票」も依頼しました。

子供の立場であっても、親の住民票を同意なしにとることはできません。

そこで、頼みの綱になるのが、この”附票”。

現住所であろうところの記載があるのです。

両親の離婚当時、私は母から、父の今後の住居地のメモを渡されていて、それをずっと手元に置いていました。

そして、最近になって、その住所地をグーグルストリートで検索した時、、

「父はここに住んでいるのではないだろうか・・・?」

メモは数十年前のものですし、当然引っ越ししている可能性もあるわけですが、何となく「ここに今も住んでいる」・・そう感じました。

そして、渡された附票にある住所は、まさに、そのメモに書いてある住所地だったのです。

それは、四国

母と一緒に高松まで足をのばしたことは記憶にあります。

ただ、私は、もっぱら東京⇔関西に行き来が主で、あまりなじみがない土地。

ただ、父の「出生〜現在」までの戸籍を読み解くと、父のお父さん(私にとっての祖父)の出身が”四国”なのだということが分かりました。

というのも、父方の祖父母は、私が生まれた時にはもう亡くなっていたので、白黒の写真でしか姿を見たことがありません。

幼い時に、話を聞いていたのかもしれませんが、記憶が定かではありません。

父のお父さんは四国の出身、父のお母さんは関西の出身。そして、関西出身の母と出会った。

そして、私にとって四国はなじみがなくとも、父にとっては故郷。

何だか、謎解きのようです(笑)

たった一本の電話

私は、関西から上京を決めた時、一度だけ父に電話をしたことがあります。

二人の離婚が決まってから、10年は経っていたのではないかと思います。

その時の電話口の父の声は、私が知っている父の声よりも、少し年を重ねていることが手に取るように分かりました。

ただ、覇気みたいなものは以前と変わらず、父そのものでした。

その時の父の発言。

全てを記憶しているわけではありませんが、
「今更なんで電話してきたんだ!」
その言葉は、今でも声のトーンまで思い出すことができます。

そして、閉ざすようなエネルギー。

「私が連絡をすることは望まれていないのだ」ととらえ、その当時は、えらく傷つくような体験をしたことを思い出します・・・。

そして、父のその発言を、「”自分の人生を自由に生きよ!”という最高の応援だったんだ」ととらえ直すことができるのに、十分すぎるほど時間がかかりました(笑)。

その1本の電話から、約20年弱。

税理士さんの「お父さんが亡くなった場合、疎遠になっていたとしても、九分九厘、子供さんに連絡が入ります」という発言がなければ、再びこのようなことを日がくるとは思いませんでした。

父とのストーリーはその電話で終わったものと思っていたのですから!

さあ、これからどうしよう・・。

旅は続きます。



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