JGPは, これから目指すものではなく, 既に行われているのだ!

1 JGPは今, この瞬間の日本でも行われてますが何か?

MMT(現代貨幣理論)を勉強している人で, やたらと「経済学」や「会計学」にだけ詳しい方が, やたらめったら忌避反応を示すのが, JGP(就業保証プログラム)と呼ばれるものである. 実際に, レイの金ピカ本つまり「MMT 現代貨幣理論入門 ゾブリン金融機構のためのマクロ経済学入門書」(本当は, ゾブリン...の部分が一番重要なのに, ここを日本語版ではタイトルに入れなかったのはなぜかな★)に書いてあるというふうに, 私からしたとんでもない誤解をした上で, MMTからJGPを引き算できるなどと主張してしまう人がいる.

たとえば, twitterでその意識をもっとも持っている一人は, シェイブテイルさんであろう. このかたは, MMTに関するものについて何冊か本を書いている方だが, JGPに対する言及がなかったり, あったりしたとしても脇役なのである. これではMMTの理論の, 言っておくがほとんど全てが崩れ去ることになることに気づかずに...

いやね. いいんですよ別に, ど素人で, ネットにウヨウヨしているだけの人がMMTをかじりききし, 自分に都合の良いことを述べる道具として使う分には. しかしながらですね. ここでいう, ど素人とは, MMTに関する学術書や論文を一切読んだことのなく, 高々藤井聡のMMT入門や, 井上智洋のMMT入門を読んでいるだけの人に向けた言葉です.ところが, MMTに関して, ある程度の学術スタイルを堅持しながら著作を書いている人で, JGPを否定的にというか, MMTから分離できると考えてしまう人がいるのは, これはMMTに対する愛が足りないのです.

何をヘッドホンは言っているのかね?と思われた方. 安心してください. JGPなるものの本質の一端に迫りますからこの記事で!しかしそれをするにはMMTが何を目指しているか, MMTとは何かについて軽くだけでも説明する必要がありますので, まずは節を改めそれらを説明しましょう.

2 MMTは経済「学」の理論ではない!

まず持って, 非常に誤解されているというか, 現代貨幣理論という日本語だけでMMTを知ってしまった方に多くある誤解として, MMTは経済学の理論であるという誤解がある. これだけ誤解誤解と述べているのは, ここの理解を誤ったからJGPがMMTから引き算できるなどという暴論を平然と述べるということを, 私が言いたいからである.

理論と訳されている単語は, theory という単語である. この単語について, 欧米のエリートたちや, 日本のインテリゲンティア(エリートであるが知識を社会のために使える人のこと)は, theoryの背景には, その理論が目指す哲学や思想があるということを, 言われずとも理解することができる. つまり, 完成されたものとしての理論という意味ではなくて, 何かしらを目指す思想や哲学を, 「たまたま」経済の, もっと言えばお金の用語を多く用いて表現しているのが理論である, と考えるのがMMTなのです.

要するに, 思想や哲学が先にあって, その後に記述としての理論が来るということをMMTは実践しているのです. これは残念ながら日本の経済学の授業だけを受けてしまった哀れな日本の人には, 気づけない点なのです. というよりも, 日本のエリートは, 思想や哲学について正面から語ることを避け, 無味乾燥とした, 中立なる理論がこの世に存在する, それも人間が登場する学問(経済学)において存在するという妄想の世界の住人なのですね★

では, MMTの目指す思想や哲学とはなんでしょうか, と言われたあなたは, 答えることができますか?おそらくですけど, MMTの会計的事実だけを勉強している人よりも, MMTをふわっとだけ聞いていたあるいは, 人間に関心の強いあなたの方がそれを説明できるはずです. あ, そうそう, ここで述べた通り, MMTは徹底的に人間を記述することを心がけていることに, 気付いてますかね?語られる言葉にたまたま経済学の用語や会計学の用語が多いから, ひょっとしてこの点に, MMTは人間記述であるということに気付いていない人も多いのかもしれないです...

そもそも, 経済学で言われるところの人間理解って, かなりはちゃめちゃなのですね. 何がはちゃめちゃかというと, 人間は社会的動物であるというアリストテレスの天才をぶっ殺す理解が基本であり, いくらアリストテレスと似たようなことを表面上言っているとしても, その内実はアリストテレスのこの言葉の否定であるということがしょっちゅうなのです.

簡単に言えば, 人間をアトムとしてつまり, これ以上分解できないところの個人として捉えるのが, 経済学の人間理解の基本です. おっかしいよね?人間は共同体の中に生まれ, 共同体の中でいき, 共同体の中で死ぬというのに, どうして人間が個人であるという馬鹿げた発想になるのでしょうか?実は, これも全て, 資本主義と呼ばれている経済システムが, 法制度のあり方として要求するものなのです. 私的財産権の自由ってね, 人間が共同体にいるってことを認めた瞬間に侵される自由だから, その自由を目指すとされる資本主義と, それを礼賛するようにしか見えない学問である経済学では, 人間が共同体に生きるという事実を否定するのです★

要するに既存の経済学とは, 人間が社会的動物であるという人類普遍の事実を否定することで成り立つ学問であるのに対し, MMTは(MMTの源流の一つにあるマルクスは)事実をみよ!と言っているだけなのです. 人間は社会的動物であるという事実を直視せよと言っているだけなんですよ!ちなみに, マルクスの認識では, 生きているとは働く(というよりもこれは, なんらかのものや自然や人間に働きかけると言った方が伝わるだろう)ということであるということに, 人間の生活についてなっています.

とするならば, MMTの目指す思想が何かがわかってくるはずです. 人間は社会的動物であるという当たり前を思い出せという思想です. そしてMMTの目指す哲学はこうなるのです. 人間が生きるとは人間がなんらかの働きをしていることになるので, その働きを保証する環境を作りましょうという哲学です. ちょっとだけ大きなスケールで述べれば, MMTの思想や哲学は, 諸個人の諸価値を自由に追い求める社会を目指す, というものなのですね.

こ, れ, ら, の!!MMTの思想や哲学をですよ. あえて経済学の用語だけで述べるとこうなるのです. MMTはインフレなき完全雇用を目指す, というよりもそれが人間の共同体としてもっとも良い社会であるから, インフレなき完全雇用は当然であるということです. あるいは, あえて経済学の用語を用いれば, MMTは完全雇用と物価安定を当然視すると言っても良いです.

3 JGPはMMTの貨幣認識の根本を支えるものである

MMTの貨幣認識は, とても簡単に述べれば, 貨幣はデータであり紙じゃんというものです. つまり, 貨幣自体の財としての希少性になど全く注目せずに, 貨幣とは「表券主義」的なものであると考えるものです. さらにその貨幣の名目単位を政府が決め, その貨幣だけでもって納税ができるように政府が仕向けることで, その貨幣の根本的な需要を支えていると主張するのが「租税貨幣論」という考え方であるのは, 大丈夫だと思います.

なんだと?JGPは雇用に関する話がメインで, まあ物価安定に多少は寄与するかも知らんけど, まさか貨幣認識にまで関係なんかあるのかね?と思ってしまうあなた. 残念でした. 経済学のイデオロギーに完全に染まっています. それは, 金儲けのためならば働く以外のことをしても良い(株式の投機やベーシックインカムはその代表例)というイデオロギーですね★

いやね. 別に経済学のイデオロギーの話を持ち出すまでもなく, 考えましょうよ. 共同体に働く人がほとんどいないのに, ほとんどの形態がデータである, あるいは紙であるところの貨幣は有効に機能しますかね?するわけないでしょう(笑)第一に, 貨幣の名目価値が駄々下がりするか, 貨幣の量が減少することになります. 第二に, これはしばしば言われているので簡単に述べますが, 共同体を維持するための供給能力の大幅な毀損につながります. 

つまり, 働かない人がその理由はさておいて, 多い世の中であったとしたら, 貨幣の存在意義が減ることになってしまうのです. あるいは, 貨幣の価値そのものが, 容易に変動することにもつながってきます. それは, 景気なるものによって働かない人の数が変動するという, 今の社会での事実を見る限りにおいて, 貨幣の価値そのものが変動することになってしまうからですね. この帰結はなかなかに悲惨なことで, それこそハイパーインフレが起きうる可能性を持っているのです!

逆に考えましょうか. JGPによってどんな人もなんらかの仕事について, 少なくとも生活ができるだけの所得を貨幣で受け取ることができたとしよう. その状態においては, 少なくとも生活のための貨幣に対する価値は, 大きく変動はしない. それは全ての人間は違う嗜好を持つが, 社会的分業を行っている人間社会において, 生活に必要とされる諸々のものは自ずと一定に定まっていくからである. もちろんJGPはもっとお金儲けしたい人の労働を束縛するものではないため, そのような金儲けによる貨幣価値の変化に対しては, 税制度を適切にビルドイン(英語ではオートマティックスタビライザーと呼ばれることが多い)することで対処しようとするのです.

4 1のタイトルを「回収」する

私はこう述べていた. 「JGPは今, この瞬間の日本でも行われてますが何か?」何を血迷ったかのかと本気で私を心配するかたや, 本気で私を愚弄する愚か者に告げますよー. 「いや, 最低賃金ゼロかつ福利厚生ゼロのJGPが実行されている最中じゃん今の日本は!」どういうことか. まず, JGPによってだけではないものの, それが縁の下の力持ちになって, 完全雇用を目指すものであるというのは述べたと思うのですが, 完全雇用の定義をちょこっとこういじくろう. つまり, なんらかの共同体に縛られていると思う人が, その共同体の中の全員であれば, それを「完全雇用」と呼ぶことにしよう, と. ほら, 「完全雇用」が今この瞬間も達成されているでしょ★人間は社会的動物であるという事実があるのだからさ!

おかしいだろ?それでは生きていけない人がいるではないか!最低賃金ゼロで福利厚生ゼロで, 政府は納税の義務を課してくる以上, そのための貨幣は最低限の最低限でいるというのに!!ピコーんときましたか?★そう言えば, JGPは最終的には地域共同体において合議された仕事の内容にあまり関係なく, その仕事に対する賃金と福利厚生を政府が定めることになっていたではないですか!!

そうなんですね. つまりJGPは人間が共同体を形成する限りにおいて, つまりこれは人間が存在する限りにおいて, 常に実行はされているのです. が, 共同体の最高責任者は, 貨幣をどれにするかであったり, 納税の度合いであったり, 福利厚生や賃金の最低限度を簡単に決めることができてしまうのです. 権力とはそれだけ絶大なものなのでね.

5 結論 MMTとJGPは密接不可分である

MMTの勉強を素直に, 人間として行っていれば, MMTとJGPは不可分であることが素直にわかってくるのだが, 経済学のイデオロギー, つまり人間は個人であるというイデオロギーにはまっている人ほど, この不可分性が気持ち悪く見えてくるのである. もっと言えば, MMTにおけるJGPこそ, 経済学への, ひいては資本主義という経済への事実的批判(この批判は問題提起という意味と, 経済学や資本主義という経済はおかしいところがあるぜという摘発の意味である)になっているのですね!


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