第6回 心を浄化するために必要な3つの瞑想
“ストレスを手放し、心を解放しよう!”シリーズの第6回です。
前回は、心を浄化するための3つのステップをお話しながらヴィパッサナー瞑想とはどのようなことをするのかをお話させていただきました。
今回は、心を浄化するために必要な3つの瞑想に関して、お話したいと思います。
1.心を浄化するための3つの瞑想
苦しみから脱し、心を浄化し、心を解放することがヴィパッサナー瞑想の大きな目標です。
ヴィパッサナー瞑想で心を浄化していくために不可欠になるのが、『サマタ(samatha)瞑想』と『慈悲(mettā)の瞑想』です。
ヴィパッサナー瞑想を実践する上で、この2つの瞑想は欠かすことができません。
ヴィパッサナー瞑想とサマタ瞑想は両輪の輪であり、ヴィパッサナー瞑想の要素の中に入ってきます。そして、慈悲の瞑想は心を浄化するためのブースターのようなものです。
それぞれの瞑想法の具体的なやり方は、次回以降で細かくお話したいと思います。
また、ヴィパッサナー瞑想とはどのようなことをする瞑想なのは、前回でご説明していますので、ぜひお読みください。
2.サマタ瞑想とは
ヴィパッサナー瞑想を行うためのサマタ瞑想は、第5回でお話しました【浄化のステップ1】鎮めることを目的に行う瞑想です。
コップに入った黒く濁った水が激しく渦を巻いていて、動き回っている状態では、浄化はできません。
心を落ち着かせ、鎮める必要があります。
そのために行う瞑想が、サマタ瞑想になります。
ヴィパッサナー瞑想を行うためには、身体に生じる微細な感覚を観察し続けて、その感覚に心の焦点を合わせ、心がブレないようにしっかり固定し、心の平静を保ち続けることが大切になります。
そのためにも、自分の心をコントロールできなければなりません。
精神集中(samādhi)を訓練し、心の平静さを育む必要があります。
そして目的は、気づき(sati/maindfulness)です。
これがヴィパッサナー瞑想におけるサマタ瞑想の位置づけになります。
ヴィパッサナー瞑想でのサマタ瞑想では、『アーナーパーナ・サティ(呼吸による気づき)』の瞑想を行います。
呼吸をコントロールせずに、自然な呼吸に意識を置き、鼻の孔から入ってくる息、出てゆく息、そこに集中します。
自然な呼吸を観察し、気づき(sati/maindfulness)を育むことが目的になります。
ですから、ヴィパッサナー瞑想を行うためには、サマタ瞑想ができなければ浄化のステップは進めません。
ヴィパッサナー瞑想とサマタ瞑想は別の瞑想法ではなく、心を浄化するために必要な両輪の輪になります。
そのため、一般的に言うサマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想におけるサマタ瞑想とでは、やり方や意味付けが違いますので、ご注意ください。
一般的にいう「瞑想」と言うと、ほとんどは一般的なサマタ瞑想のことを指します。
瞑想とは
心を静めて神に祈ったり、何かに心を集中させること、心を静めて無心になること、目を閉じて深く静かに思いをめぐらすことである。
ほとんどのサマタ瞑想は、本質的にリラックスを目的にしていると思います。
一般的なサマタ瞑想の代表例には、ヨガの瞑想法、数息法、イメージ法などさまざまな瞑想法があり、数限りない種類があります。
心はあっちこっちとさまよい出してしまいますので、ある特定のものに心をフォーカスさせて、集中させていくやり方が一般的です。
私は最初に習ったマントラを用いた瞑想法もそうです。
代表的なマントラ(オームやシャンティ、リーンなど)のサンスクリット語を心の中で静かに繰り返し唱えて、その音に心をフォーカスさせながら、心を鎮めていく瞑想です。
その他にも五感や呼吸を用いたさまざまなものがあります。
音とイメージを組み合わせたものとしては、神や仏の姿をイメージしながら祈りや念仏を唱えるもの。
チベットのシンギングボウルを用いたり、瞑想用のミュージックを用いたもの。
瞑想アプリなどを用いて、声とヒーリング音楽で誘導させるもの。
ろうそくの炎を見つめたり、ある一点を見つめたりするもの。
吐く・吸うの数を数えながら、呼吸をコントールしながら行うもの。
光や気を身体の中で動かすことをイメージしながら呼吸をコントロールするもの・・・・・・・
とにかくさまざまな方法があります。
瞑想しようとして座っても、ほんの数分もしないで心はさまよい出します。
人間は1日に2万回とも6万回とも言われますが、心の中で自分と会話し続けています。そして、ある研究によるとその8割は前日同じことを考えているそうです。
次から次に浮かんでくるさまざまな想念にとらわれずに、心を静かにさせて、心地よいリラックスした状態を得ることが目的です。
私もマントラを用いた瞑想を続ける中で、今まで感じたことのないリラックス状態になったこともあります。
深い海の中でスットンと止まってただ漂っているような、次々に浮かんでくる想念の泡にとらわれずに、ただ流れていき、静かで心地よく、何も考えていない、ずっとここにいたい、そんな状態です。
一般的なサマタ瞑想は、心を一つの対象や思考に集中させて、幸福感に満ちたリラックスの状態、心の静寂をゴールにしています。
その点が、ヴィパッサナー瞑想におけるサマタ瞑想との大きな違いになります。
3.慈悲の瞑想とは
サマタ瞑想やヴィパッサナー瞑想とは全く違った瞑想になります。
慈愛(mettā)とは、生きとし生けるものすべてに、無私の愛、慈(いつく)しみの心を持つことです。
慈悲の瞑想では、愛と慈しみに満ちた思いを思念することです。
生きとし生けるものすべてに幸せを与えたいという心で祈る瞑想です。
慈悲の瞑想は、心に安らぎを与え、自分の心を清らかにするためのものです。
慈悲の瞑想を行うことで、心の中に凝り固まっている汚濁を柔らかくし、心を清らかにして、浄化しやすくなります。
ヴィパッサナー瞑想の前または後に、5分~15分慈悲の瞑想を行います。
ヴィパッサナー瞑想+慈悲の瞑想は、清らかな心を育み、心を浄化するためのブースター効果を発揮します。
また、自分やすべての人に慈しみの心を持つためには、まず自分を自分で許すこと、他の人の許すこと、許しを請うことが重要になります。
自分を傷つけているのは、本当は自分自身です。
自分が行ってしまったこと、ウソをついてしまったこと、裏切ってしまったこと、傷つけてしまったことなどを後悔して、自分を責め、自分が許せず、自分を自分で傷つけてしまっています。
自分を許すこと、そして他人を許すこと、許しを請うこと。
これができれば心は軽くなりますし、清らかな心を保てるようになります。
今まで裏切られたり、裏切ったり、傷つけたり、傷つけられたり、ウソをついたり、つかれたり、それに囚われ、心に強い縛り目をつくってきました。
自分を許すこと、他人を許すこと、許しを請うことで、その縛り目を緩め、早く解くことができるようになります。
私は許します。私は許します。
私は、今までに知ってか知らずか、意識してか意識しないでか、私を傷つけた人々、害したすべての人たちを心から許します。
私は、今までに知ってか知らずか、意識してか意識しないでか、私が傷つけた、害したすべての人たちに心から許しを請います。
生きとし生けるすべてのものが
幸せでありますように
平和でありますように
真の自由を得られますように
ヴィパッサナー瞑想を通じて、苦しみから自由になりますように。
心の中の汚濁や穢れが浄化され、心が解放されますように。
3.3つの瞑想法の相関図
ヴィパッサナー瞑想、サマタ瞑想、慈悲の瞑想、この3つの関係性を図にしてみました。
実際に心を浄化するためのブッダの教えは深く、この点以外にもたくさんの要素はあります。
次回は、具体的なヴィパッサナー瞑想のやり方と、顕在意識と潜在意識への働きかけをご説明したいと思います。
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