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朝にはわからない香り

2か月ほど前から晩酌習慣をやめた。

キッカケは帯状疱疹になったことだったが、
実際晩酌をやめてみると夜の時間が
明らかに有意義に使えるようになったので
私的にはやめてよかったと思っている。

とはいえ、私は朝活をするために
3時過ぎに毎日起きているので
飲もうが飲むまいが早く眠くなってしまう。

なので、ここ最近夜にコーヒーを
飲みながら活動をするようにしている。

「え?午後4時以降はカフェインはダメなんじゃないの」
と思う人もいるかもしれないが、
私の場合はあまり影響はないらしく
コーヒーを飲んだからといって
寝つきが悪くなったことは一度もない。

昨日もコーヒーを飲もうと、
我が家にあるエスプレッソメーカーの
スイッチを入れた。

我が家にあるのはこのマシン。

何かの折に妻が欲しいと購入したものだが、
今ではほとんど私の私物の様になっている。

こうして見てみるととてもスタイリッシュで
オシャレな機械なのだが、
いかんせん音がうるさい。

ホールの豆をミルする音、抽出する時の音、
そして電源をオンオフしたときの洗浄の音、
色んなノイズを出すので、
もともとダイニングのインテリアも兼ねて
置こうと思っていた妻にとっては
そこが大きな誤算だったらしい。

今ではパントリーの片隅で日々私だけと
戯れる日々になってしまった。

すこし話がそれたが、
そんなエスプレッソメーカーのスイッチを入れると
コーヒー独特の香りが広がってきた。

コーヒーの香りには癒し効果があると
よく言われるが、
ある意味この香りをたのしみに飲んでいると
言っても過言ではないぐらい私はこの匂いが好きである。

ドリップで入れる時ともまた少し違う
独特の香りをたのしみながら抽出されていく
琥珀色の液体を眺めていた。

すると、そこに妻が通りかかった。

「なんかめっちゃいい匂いしてるやん」

妻もこの香りに気が付いたらしい。

とはいえ、妻はカフェインに敏感な体質なので
この時間からはさすがに飲むことはできない。

香りだけでもコーヒー気分を味わってくれれば
いいなと思っていると、
妻がこんなことを言った。

「なんか朝に嗅ぐよりも匂いが強い気がする」

休日の朝には妻もこいつでコーヒーを
淹れて飲んでいるが、
どうやらその時よりも強く匂いを感じるというのだ。

使っている豆はもう数か月同じブランドの
同じ品種を使っているので、
そのバラツキはほとんどないはずである。

水も単なる水道水だし、
豆の多さや水の量も設定は全く変えていない。

朝に淹れるのと条件は全く何も変わっていないのに
なぜか妻には朝よりも香りが強く感じられたという。

何だか不思議な話だなと思っていると、
以前に上司が言っていたある話が頭に浮かんだ。

当時流行っていた高級食パンの話をしていたときのこと、
私の上司がこんなことを言ったのだ。

「一回だまされたと思って晩御飯に
普通のトーストを食べてみて。
朝に食べてたのとは比べ物にならんぐらい
美味しく感じるはずやで」

高級食パンを食べておいしいと感じるのは
それを昼ご飯や晩御飯に食べるからだと
上司は力説していた。

「そんなことはないだろう」と半信半疑だった私だが
こういうことは自分で確かめてみないと
何とも気持ちがわるい。

そこで、その話を聞いた日の夜に
家に置いてあったフジパン本仕込を
トーストして何もつけずに食べてみた。

上司の言葉を聞いたうえで食べたので
それがバイアスになった可能性もあるが、
実際晩に食べる食パンは驚くほどおいしかった。

朝にももちろん感じているはずの
小麦の香りがよりシャープに感じられて
パンが持つ甘味もいつもよりも濃い気がした。

それ以来、時々晩御飯にパンを食べることに
抵抗が無くなったのだが、
もしかするとコーヒーの香りも朝意外に嗅ぐと
印象が大きく変わるのかもしれない。

私は自分が飲んでいるのであまり感じなかったが
妻にはそれが鮮明に感じられたのであろう。

朝に味覚がフル活動していない理由は
色々考えられるが、
睡眠の影響が強いのは言うまでもない。

ここで一つの疑問が私の中に浮かんだ。

「では朝にしか食べない他の食品は
他の時間帯に食べるとどうなのだろうか」

朝にしか食べない食品は一体何か。

納豆は我が家ではいつでも食べるし、
食パンは既に検証済み。

残るは彼らだけである。

さっそく今晩あたり確かめてみようと意気込んだとき
あることに気が付いた。

私は朝にこれらを食べていないので
比較のしようがないのだ。

主にこれらは妻と子供たちが食べているので
検証をするならば彼らにしてもらうのが
一番いいはず。

黙って晩御飯にコーンフレークを出して
絶句する子供たちの顔が想像できる。

「コーンフレークは楽してお腹を満たしたいという
煩悩の塊」

こんなフレーズをとある漫才で聞いたが、
こんな実験をしてみたいと思う私のほうが
ずっと煩悩の塊なのかもしれない。

ちなみによく子煩悩という言葉を使うが
この場合”煩悩”は
悪いニュアンスが薄れる気がするのは
不思議なものである。

こんなことを掘り下げていたら
いくら時間があっても足りない。
次々に書きたいことが浮かんできてしまう私は
書き煩悩なのかもしれない。

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