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言葉とは一体何か?

突然妙な質問をさせて頂くが、
私達人間にとって最大の発明とは
何だと思うだろうか。

数百年前に猿人がこの世に出てきてから
進化を遂げて今の私達に至ったわけだが(諸説あり)
その中で色んな発明をしてきた。

特にここ200年での進化は著しく
私達人間のライフスタイルは驚くほど
変化したと言えるだろう。

そんな無数の発明のなかで
「言葉」は間違いなく最大の発明であろう。

数え方によっても数字は大きく異なるが
この世界には約7000近くもの言語が
存在しているといわれている。

それだけたくさん種類は別れながらも
私達はそれぞれ言葉を使うことで
お互いにコミュニケーションを図り
複雑な社会を構築することに成功した。

他の動物にも群れを作る生き物はいるが
それらとは比べ物にならないぐらい複雑な社会を
構築できたのは、
まさに言葉があったからこそであろう。

そんな言葉とは一体何であろうか。

子供のころから当たり前に使っているのに
あまり「言葉」が何かを考えたことは
内容な気がする。

ちゃんと調べると明確な定義が
あるのかもしれないが、
「自分の心の中にあるものを相手に、
そして自分に理解できるように発するもの」
という定義で考えてみるとどうであろうか。

この定義のポイントは
言葉が相手に理解できるように発するものだけでなく、
自分が理解できるように発するものでもあるという
点である。

私たちの心の中には色んな考えが
いつも渦巻いている。

そしてその中には自分でもよくわかっていない考えも
沢山存在している。

「今あなたは何を考えていますか?」と
聞かれたならば、あなたは何と答えるだろうか。

間違いなくこのnoteを読みながらなので
この内容について考えてはいるだろうが、
果たして頭の中にある考えはそれだけであろうか。

答えは間違いなくNoである。

家族のこと、仕事のこと、食事のこと
大小こそあれど、色んな考えが沢山同時に
渦巻いているであろう。

だが、私達はそれを自分で見る事は出来ない。
何となく色んな感情があることはわかるが
高速でぐるぐると回っている洗濯機の中の
洗濯物のように、
一つ一つが何なのかを見ることができないからである。

言葉というのはその渦の中に網をつっこんで
取り出したものと
考えてみるとわかりやすいであろう。

そうしてすくい上げてみると、
自分が何を考えていたのか、相手に何を伝えたいのかが
初めて明確になる。

そう考えてみると、本来私達は人との会話の中でしか
自分の考えや感情を見られないことになってしまう。

いわゆる頭のいい人はよく話す傾向があると
感覚的には感じているが、
人と話すためには当然ながら相手が必要で
いつでもどこでもできるわけではない。

また、人と話すのは案外エネルギーを使うことでもあるし
中には人との会話が苦手な人もいるだろう。

そうなると話が得意な人ばかり自分の考えを認識し
色んなことができる事になってしまう。

だが、現実はそうではない。

寡黙ながらも考えをしっかりまとめられる人はいるし、
人と話さずとも心の中で考えることができる。

それは言葉を心の中に出すことができるからである。

誰かに伝えるためではなく、自分のためだけに
頭の中に網を入れて言葉という形で取り出すのだ。

ならばどんどん自分自身でこの網入れを繰り返して
自分の考えを取り出せればいいのだろうが、
毎回出てくる考えはバラバラで統一感がないし、
私たちの心の中には新しい考えが次々と浮かんでくるので
無暗に取り出したとしてもあまり意味がない。

だが、そんな私たちの心の中にある雑多な考えを
取り出して箱のようなものに並べて詰める方法が
一つだけある。

それは取り出した考えを文章として
書き起こすことである。

考えを書き起こしてみると、
脈略がないような雑多な考えも
論理的にまとめることができるのだ。

相手に言葉を発する際にも
相手に伝わる適切な順番で考えをまとめ
論理的に破綻していないかを確認しながら
言葉を出しているはずであるが、
それと同じことが書きだすことでも
できるのである。

ある意味、考えを書きだすということは
自分自身と対話する行為とも言える。

これならば人と話すことがあまり得意でなくても
自由に自分の考えを心の中から取り出して
それをまとめることができるので、
いつでもどこでも24時間することができるのだ。

正直言うと、私はあまり人と会話するのが
得意ではない。

人当たりはそれほど悪い方ではないので
周りからは人と話すのが得意な人だと認識されがちだが
私自身は決して会話が得意ではないのだ。

だが、そんな私もこうして自分の考えを
文章にして発信することを続けて
1000日以上もの日が過ぎた。

一日に1500文字を書いているとすれば、
総量150万文字以上もこれまで言葉を
紡いできたことになる。

もちろんこれだけの文章を書いたとしても
毎日無限に湧き出てくる考えの中の
ごくわずかな部分を切り取ったに過ぎないが、
間違いなくこれだけ言葉を紡いできたことで
自分自身のことを以前よりもわかるようになったと
自負している。

かつて半年ほど実践していたが、
赤羽雄二さん著のゼロ秒思考のアウトプット法は
まさに頭の中に網を入れて、
それを言葉に変換するプロセスの練習だったのであろう。

これからもまだまだ未知の領域である
自分の心の中に網を投入し続け、
自分の心を少しでも見つめていきたいと思う。

ある意味、これは自分の心の中という
未知のジャングルを探検するような
ものなのかもしれない。

外に出なくてもそんな探検ができるなんて
人間とはなんと面白い生き物であろう。

ちなみにこの記事の内容は
昨日業者の方が来社されて面談している際に
ふと頭の中に浮かんできた内容である。

こうして文章としてまとめることも大事だが、
ふと考えが心の表層に浮かんできたときには
すぐに網ですくいあげて、
何かにメモするということも大切なのだと
毎日noteを更新するようになって
実感させられるようになった。

今日も蝶を狙うこどものように
網をしっかり握りしめて一日を過ごしていこうと思う。

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