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目的は人生を美味しくするスパイス

うちの6歳の娘は工作が好きである。

いつも何かを切ったり貼ったりしているし、
息子と同じ学童に行っているはずなのに
5年間一度も彼が持って帰ってきたことがないような
いろんな工作物を娘は持ち帰ってくる。

昨日風呂から上がり、本を読んでいると
娘がおもむろに画用紙を取り出してきて
何やら嬉しそうにハサミを走らせていた。

彼女の場合、こういうモードに入った時は
放っておくのが一番なので、
私は何も聞かずちらちらとその様子を眺めていた。

画用紙から何やらパーツを切り取って
何かとくっつけるつもりらしい。

そうしてハサミを走らせている娘の顔は
とても活き活きとしていて輝いてみえた。

その様子を見ていると、
ふと先日の休日を思い出した。

その日は雨だったので外に遊びに行けず
娘はモヤモヤしていたので、
私は娘に工作をしようと道具を一式出して
提案した。

工作が好きな娘なら勝手に何かを作って
遊んでくれるだろうと
私は高を括っていたのだが、
娘は「今は作りたいものがない」と言った。

そこで、過去に作ったものなどを
もう一度再現してみてはどうかと提案するが、
どうやら娘は気分ではないらしい。

結局、工作の道具は出したものの
工作はせずに、別のことをすることにした。

昨日私が見かけた娘の顔はキラキラしていたのに
先日の娘の顔は曇っていた。

どちらも目の前に画用紙とハサミはあり
状況は全く同じなのにである。

ではこの違いは一体何なのか。

それは目的があるかどうかである。

何かを作るという目的があるからこそ
娘は画用紙とハサミを実に活き活きと
動かすことができたのだ。

これはとても当たり前のことであり、
わざわざ記事に書くまでもないと
思われるかもしれない。

しかし、案外私達はこのことを
忘れてしまいがちなのである。

例えばダイエットをしようとしても
続かなかったという経験は
多くの人が経験している。

やり始めた頃はとても楽しくて
続けられそうな気がしていたのに、
なぜか途中からその楽しさが消えて
結局習慣にならずにやめてしまう。

私たちの脳には変化を避けようとする
ホメオスタシスという機能が備わっており、
何か日常の行動を変化させようとすると
それが発動してもとに戻そうとするので
ある意味で仕方がないことでもある。

だが、最初の頃はその機能にも負けず
楽しく続けられたのである。

それは目的が明確だったからに他ならない。

私達は何か明確な目的があると、
何かをすることが楽しくなるのだ。

何となくドライブをするのは退屈でも、
旅先に向かう道中なら楽しくなるように、
私たちの人生は行き先が明確ならば
明らかに楽しく、輝いたものになる。

そして、これは逆のことも言える。

何かわからないが、自分が楽しみながら
続けられていることの裏には
目的が隠されている可能性が高いということである。

例えば私の場合なら、
毎日こうしてnoteを書くことはその一つである。

noteを書き始めた頃は文章力を上げて
アウトプットの習慣をつけるぐらいの
気持ちであったが、
きっとそれだけでは1000日以上も
毎日更新し続けることは難しかったであろう。

きっと私の中には自分で気づいていない
何か目的があるのだ。

このようなことを色々と掘り起こしてみると、
実は自分が人生で目的としていたものに
出会えるのではないだろうか。

楽しいという感情で既に心は
私達にヒントを出してくれているのである。

そのヒントをもとに自分の人生の目的を
見つけてみれば、
きっと人生はより面白くなることだろう。

しばらくして娘の様子を見てみると
紙とハサミを持ったまま
リビングで眠ってしまっていた。

目的があって楽しんでいるうちに
エネルギーが尽きてしまったのだろう。

こんな風に自分が楽しいと思える
目的に向かって全力を使えるというのは
とても幸せなことである。

娘を抱っこして寝室に連れていきながら、
自分の目的について密かに考える私であった。


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