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親になって初めて意味がわかった言葉

少し前の話だが、職場で20代の部下に
「なんか黒板五郎みたいな発言やな」と言うと
真顔で「誰ですか?それ?」と聞き返されてしまった。

今の20代にとってみればリアルタイムで
”北の国から”を見る機会がなかったので
仕方ない話ではあるが、
何だか自分が急におじさんになったような
気がしたものである。

そんな今の若者にはなじみのない
”北の国から”ではあるが、
私自身このドラマが好きだったかと言われれば
答えはNoであった。

決して明るい風景が広がっているわけでもなければ
笑えるようなシーンもない。
平たい言葉で言うならばとても
”陰気”なドラマだからである。

だが、そんな陰気さがあるにもかかわらず
このドラマはなぜか見てしまい、
記憶に残っているシーンが多い。

そんな中でも私の記憶に残っているのが
最終回(スペシャルドラマ)で主人公の
黒板五郎が色んな人たちへ心の声でメッセージを
述べるシーンである。

色んな人に対して感謝の気持ちなどが
述べられる中で、
黒板五郎は息子である純に対して
「純、勝手にしろ」
と述べたのだ。

当時の私は確か20歳前後だったので
その言葉を聞いた時に
「息子に対しては何と冷たい言葉」と
思った記憶がある。

娘の蛍にはもう少し優しい言葉を
かけていたのに
息子の純にはなぜこんなに冷たい言葉を
投げかけるのだろうか。

そんな疑問を感じながらも
当時の私ではその言葉を咀嚼できないまま
心の片隅においたまま私は歳を重ねた。

そんなある日、
息子がサッカーの試合に行こうとした際、
「今日は自転車で行ったほうがいいかな?」
と私に聞いてきた。

その日は私も観に行く予定だったので
息子を車で送ってもよかったのだが、
息子がどちらで行きたいのか意図がわからなかったので
おまかせするよという意味で
「〇〇(息子の名前)の勝手にしたらいいやん」と私は言った。

その時私の頭の中に黒板五郎が息子に述べた
例の台詞が浮かんできたのである。

当時の私は冷たいと思った言葉だが、
自分が親になって子供と向き合ってみると
同じような言葉を自分も出していたことに
驚いたとともに、
この言葉は実は冷たい言葉ではなく
とても温かい言葉なのではないかと
思うようになった。

もともとこの言葉に冷たさを感じたのは
裏に”無関心”が存在していると思っていたからである。

「お前のことなんてどうでもいい」という
感情がある前提でこの言葉を聞くと
とても冷たい言葉に聞こえてくる。

だが、自分が親になってわかったが
自分の子供に対して親が関心を持たないわけがない。

何歳になったとしてもこの感情は
変わらないであろう。

では「勝手にしろ」という言葉は
なぜ出てくるのか。

それは
「お前のことを信頼してるから
自分の想い通りに考えて判断してみろ」
という気持ちがあるからである。

私の息子も小学4年生になり
少しずつ行動の範囲も広がってきた。

親としては不安が0ではないが、
そこに送り出してやらない限り
彼の視界は決して広がることはない。

そして、そこに送り出すからには
自ら考え、自ら行動を決める人に
なってほしいと思う。

だからこそ、あえて突き放したような
言葉で親はついつい言ってしまうのだ。

自分でもなんと不器用なアプローチだと
思うのだが、
思い返してみれば私も父にこのような
「勝手にしたらいい」という言葉を
いつももらっていた気がする。

大人になって、そして親になって
わかるようになることは沢山あるが、
いつの日か息子も私がかつて発した
「勝手にしろ」的な言葉の裏にある
気持ちに気付く日が来るのであろうか。

残念ながら私がこの気持ちに気付いた時には
父は既に他界してしまっていたが、
私は息子が気づいた時に親の気持ちがわかる同士として
酒でも一緒に飲めればうれしい。

ちなみにこの話を書いていて
途中から頭の中で沢田研二の
”勝手にしやがれ”が流れ始めた。

記事の内容とは全く関係ない曲だが、
とりあえずシェアしておく。

これを聞くかどうかはまさに
「勝手にしやがれ」である。




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